★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

二つの行進曲

2021-11-20 23:09:15 | 文学


うなゐ子がすさみに鳴らす麦笛の 声におどろく夏の昼ぶし

昼ぶし(昼寝)が最後にでてくるところがいいと思う。確かに、夢の中でなにか聞こえてるときには、夢だと思わず、はっと起きてから寝ていたことに気付くわけである。こんな感じで出来事が認識され、他人が存在すること、時間と空間があとから感じられるのが我々の生であった。



夏は稲妻冬は霜富士山麓に鍛え来し
若きつはものこれにありわれらが武器は大和魂
とぎすましたる刃こそ晴朗の日の空の色
雄々しく進め楯の会


楯の会は「起て!紅の若き獅子たち」というレコードを出していた。もちろん三島由紀夫の作詞である。これだけみても、三島が後から気付かれる生を嫌い、完全に風景と世界を掌握しようとする姿勢があることがわかるが、――これは校歌とか軍歌はそういうもんかもしれない。この曲を作曲したのは、「サザエさん」とか鉄人28号の「正太郎マーチ」の作曲者である。あたりまえであるかもしれないが、これらの曲は、音楽の中で何が行われるか始まった瞬間にわからなくてはいけないのである。行進曲といっても、ベルクの「管弦楽のための三つの小品」の第三楽章のようなものであってはならない。



ベルクのそれは、ほんとの行進に近い。三島由紀夫は、歴史と文化を守るといった姿勢の中に、ベルクのものではない行進曲のような非現実性があることをもちろん知っていたと思う。