★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

饒舌の今昔

2024-06-28 23:12:31 | 思想


元来がアカデミーなるもののアカデミックな機能は、思想的文化力とは無関係なのであり、従って又この点で殆んど全く無力なものなのだ。帝国芸術院が養老院にしろ類似アカデミーであるにしろ、とに角文化勲章的存在のものであることには議論の余地がない。文芸懇話会は、処が決して、客観的に見る限りそういうものではなかった。夫は実際に於ては全く無能力ではあったが、客観的な評価からすると、一種の思想文化上の社会的闘争機関であった。恐らく或る一群の文士達の社会的なバカさ加減をテストする実験室であったかも知れない。して見ると文芸懇話会が解消になったことと、今回の日本文化中央連盟との間には恐らく内面的関係があるのだと見ねばならぬ。尤も文芸懇話会や松本学氏はどうでもいい。

――戸坂潤「思想動員論」


人の真価は死んでからのような気がする一方、我々の風土には、本人がいなくなるまで絶対に評価を行わない風習も存在している。死んだのと引き替えにおもむろに腰をあげるのである。戸坂の場合は戦争体制によって殺されてしまい、戦後の時代性もあってそれほど再評価が進んだとはいいがたいと思う。だから、うえの法則が当てはまるか分からない。なんといっても彼の全盛期は昭和10年代初頭にあって、――同僚の先生が最近の論文によると、昭和12なんかは97本の文章を書いているらしい。全部を読んでいないが、彼のいう文學者=モラリストとしての「風俗批評」の必要性(「思想としての文學」)を実践したかのようにわたしにはみえる。だから、彼の文章は、おもったより時局的である。戦後の人々が彼を救いきれなかったのはそういう理由もあると思う。

文体を見ても一種の饒舌体だとおもう。誰かも言っていたけど言文一致的だ。饒舌な講義という感じである。戸坂の文章は、当時から「長い割には言っていることこれだけ?」とか言われていたし、いまでもそんな気分になるのだが、彼からしたら「事態よとまれ」「時よ止まれ」みたいな気分だったのではなかろうか。

戦後、一部の饒舌な人々に神は宿らなかった。むしろ沈黙に価値が見出されたような気がする。主体性論争の喧噪とかをみると、主体性とかが大事とかいうひとは映画の「スケアクロウ」(1971)とかみてからいうてくれ、という気がする。

ところで、わたくしはモンテーニュを目指すとかいいながら、テオプラストスを読んでいなかった。情けないはなしである。

いまは逆に饒舌の時代である。最果タヒは言うに及ばず、息をするように詩を書こうとする。わたくしは、三角みづ紀氏の『オオバアキル』は古本で持ってるのだが、そのあとがきの「大丈夫、私は元気です」という箇所に「志村けんの「大丈夫だぁ」」と鉛筆で注釈をつけている前持ち主よ、お前さんを許さぬ。――しかし、読者も、詩人の饒舌に釣られるというのはあるのだ。


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