★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

月への思慕

2021-11-27 23:20:08 | 文学


白川の関屋を月のもる影は 人の心を留むるなりけり

能因法師の「都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関」をふまえているんだろうが、法師は白河に行ったことはなくて、旅に行った噂を流して肌を焼いた上で発表したという説話がある。我が国の文学は、どこまでがホントなのだ?と思わせるところまで文学であることが多い。恋の歌に限らず、出家の歌だって、あまりにばしっと決まっていると何か虚構のニオイがするというわけで、逆にファクトの方が疑われ始める。

西行は、人の心に注目するばかりである。関屋に洩れる月の光が心を滞留させる。想像であっても事実であっても、心にとってはどうでもいい。そもそも月にとってはどうでもいいではないか、と言いたげでもある。

月は昔の詩人の恋人だつた。しかし近代になつてから、西洋でも日本でも、月の詩が甚だ尠なくなつた。近代の詩人は、月を忘れてしまつたのだらうか。思ふにそれには、いろいろな原因があるかも知れない。あまりに数多く、古人によつて歌ひ尽されたことが、その詩材をマンネリズムにしたことなども、おそらく原因の一つであらう。騎士道精神の衰退から、フエミニズムやプラトニツク恋愛の廃つたことなども、同じくその原因の中に入るかも知れない。さらに天文学の発達が、月を疱瘡面の醜男にし、天女の住む月宮殿の連想を、荒涼たる没詩情のものに化したことなども、僕等の時代の詩人が、月への思慕を失つたことの一理由であるかも知れない。しかしもつと本質的な原因は、近代に於ける照明科学の進歩が、地上をあまりに明るくしすぎた為である。

――朔太郎「月の詩情」


朔太郎が、月の詩情に目覚めたのは、彼によると防空演習の時だったそうだ。月への思慕を思い出した彼にとっても、科学文明は月よりも身近で親密さをもったものになってしまっていた。朔太郎はどうか分からないが、我々はもはや、防空演習と月を思慕の相手として比べる粗雑さえ持ち合わせるようになっている。朔太郎は上の部分の後で、「ペルシアの拝火教で、人間の霊魂が火から生まれたことを説いてゐるのは、生物の向火性と対照して、興味の深い哲理を持つてゐる」と述べている。朔太郎だって、この場合の「火」はそこそこのものでしかありえなかったのである。