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深く入りて神路の奥をたずぬれば また上もなき峰の松風
われわれの希望は、上には風が吹いているだけだと知っていることだ。それは風であって、何かの権力や事物ではない。
思想・文学研究における科学主義への接近が、訓詁注釈がしばし陥る危険性をあまり考慮しない楽天性を生み出しているところがある。基礎研究がないがしろにされている疎外感がそれをあとおしする。人文系の学問に伏在する、創造に対する複雑感情(コンプレックス)をなかったことにしてもらってはこまる。極論すれば、テキストは存在せず、あるのは存在だけだ、ということからの逃避である場合、研究はただの職域奉公である。こうなっては、もはや人や事柄が言ってることは耳に入らないし、実証が事柄をさしおいて真実面していることに気がつかないのである。