★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

天皇陛下について――藤原安紀子の『動物の修復』を課題に

2024-06-25 23:57:42 | 文学


わけて、平安期の末期には、年表にも「天皇、皇后、競馬を覧給ふ」の項が随所に多い。神泉苑の競馬、仁和寺の競馬、加茂の競馬、時には、公卿の邸地でも、都の大路でも、臨時競馬をやった。
 すべて直線コースで、今の千二百メートルぐらいがせいぜいであったらしい。騎手は、朝臣たちだ。中には、負けたくやしさに、切腹した者もある。
「賭物貢ノ式」というのが、春と秋に、宮中で行われる。天皇の前で、負け組から勝組へ、罰として“貢”を贈る儀式である。あとは無礼講となり、敵味方、勝敗を忘れて、大らかに飲み遊ぶ。
 いったいに、その頃は、賭け事を、そう危険視や不潔視していなかったようである。僧侶をあいてに天皇が、賭け碁をしたりしておいでになる。
 とにかく、競馬場には、素裸な庶民が、終日、他愛もなく渦まいている。偽似君子でなければ、この中にも人間の真を見出すであろう。本来の人間とは、何と愛すべき生態で、そして無邪気なものか。いろいろな人間図、本能図、可憐なる家族図なども、御覧になれることとおもう。馬は見給わずとも、いちどは、おいでになる価値はあろう。

――吉川英治「天皇と競馬」


あいかわらずの吉川英治の不敬の文章である。彼は天皇に対しても宮本武蔵に対しても誰に対しても不敬なのである意味仕方がない。

わたくしの朋輩によれば、わたくしはいまの天皇陛下に似ているそうである。

しかし、天皇陛下は大学教師などというヤクザな職には就いていない。何処がヤクザかと云えば、例えば、学生が「分かりやすいのが良い」とか言い始めたら、「藤原安紀子の『動物の修復』を課題につっこむぞコラッ」とか言いかねないところである。


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