白爺の独り言

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テニアン玉砕 ⑥(収容所生活始まる)

2006-05-11 14:03:40 | テニアン玉砕
テニアン島の組織だった抗戦は、8月1日に終了しました。
米軍上陸から9日間で攻め落とされたことになります。
日本の守備隊は殆ど玉砕しましたが、米軍の損害は、戦死290名・戦傷1437名と記録に残っているようです。


 
トラックに乗せられてチュ-ロキャンプへ運ばれる

Emiiの話を聞きましょう。
そのとき、私はカロリナスの洞窟に避難していました。
ダイナマイトや青酸カリを持っている人は自決をしていきました。
私達親子は何も持っていないので、ジャングル内の蔓で首を括って自決しようとしました。
すると、近くにいた日本軍の兵隊さんが「民間人には罪は無いのだから止めなさい」と注意しました。
夜になると穴から出て木の根を千切り、石で叩いてしゃぶって口の中を湿らせていました。

                    
                    キャラメルなどを呉れるアメリカ兵

飲まず喰わずで一週間くらいいました。
喉が乾いたと子供に騒がれて、自分のおしっこを飲まそうとしたが、飲めなくて泣く子供もいました。
「泣く子は殺せ」と兵隊に怒鳴られて自分の手で子供を海に投げ入れたり、首を切って殺したりした人もいました。

そのうち、アメリカ兵の投降を呼びかける放送が始まりました。
「水もお菓子もあげるから出てきなさい」という放送です。
私達は、どうせ死ぬなら腹いっぱい水を飲んで殺されようと洞窟を出ました。

アメリカ兵はとても親切で、水も腹いっぱい飲ましてくれました。

投降してきた民間人は、50人ずつ数えてトラックに乗せられ、チュ-ロのキャンプに運ばれました。
親子で投降し子供が50人目の場合には、親子が別々のトラックに乗せられるので、別々に殺されるのは嫌だと、親は必死に抵抗していました。


 蒲鉾型のチュ-・ロキャンプ
                  
蒲鉾型のキャンプが建てられるまでは、掘っ立て小屋のようなところに入れられて、筵の上で横になっていました。
夜は、星空を眺めて涼しいのですが, 昼間は暑く今牧場の木陰で休んでいる牛のように、日陰で時間を過ごしていました。

          
                   収容された人は全員「収容人番号」がつけられた


右は収容所長のケニ-海軍大佐
 ケニ-大佐とEmiiは、今もクリスマスカードのやりとりをして、お付き合いが続ずいています。

                 
                  キャンプの炊事場



キャンプ内では、農業に従事する人・洗濯場に勤める人・炊事場に勤める人等キャリアを生かした作業につき、ドルの賃金を貰っていました。


キャンプの全景
直線の先端には、駐在所建物の跡があります。
駐在所跡より右側には、朝鮮人や中国人のキャンプがあり、日本人より上級の待遇を受けていました。
戦勝国だからと、日本人は諦めて見ていました。

                  
                     キャンプのステージ

                
                  テニアン収容所内に作られた学校


 テニアンスクールの立派な校舎

                   
                           ムック中尉がつくった日本人学校の学務課

ここに設立された学校の制度が、その後日本の小学校・中学校・高校の基礎になったそうです。
Emiiは、ここで選抜試験を受けてキャンプ中学(中学校と女学校を合併した今の高校の元祖)に入学し、帰国まで勉強していたそうです。
テニアンの学校は、「敵の子供のために学校をつくる」のタイトルで、TV放映がされています。





          
          東京でケニ-大佐と再会した収容所の仲間達



 戦前の駐在所建物跡
                     

                      
                      右側が朝鮮キャンプ・左側が日本人キャンプ





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4 コメント

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実話ですから、迫力があります。 (ありどんだす)
2006-05-12 23:17:58
自決された方々も生き残られた方々も、大変なご苦労をされたということが伝わってきて、胸が締め付けられます。一週間も飲まず食わずで、よく耐えられましたね。でも本当に生きてて下さってよかった。その後の皆様のご努力が今の平和の礎です。キャンプ場でのお写真のみなさんのお顔がとても輝いていますもの。そしてまだ当時係わった方との交流が続いてらっしゃること、素晴らしいですね。ほんと、なんで戦争してしまったのか・・・
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同窓会 (白爺)
2006-05-13 07:39:56
Emii達は、沖縄でムック先生を迎えて、テニアンキャンプ中学の同窓会をしました。

これもテレビ放送されていましたが、70歳を過ぎても同級生の絆は固いようです。 
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Unknown (ちづ)
2006-05-14 01:18:05
逃げているときのお話は怖いくらいです。



駐在所建物跡に行きたかったのですが、曲がり角がわからなくっていかれませんでした・・。



キャンプの敷地は広いですね。賃金が払われていたとはおどろきです!
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収容所での生活 (村上)
2023-08-31 13:05:36
テルファームックさんの処遇に感謝します。
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