白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
 古い友達と巡る秘湯の旅!
白爺一人で ブツブツブツ・・
お暇な人 寄っていって~。

ニイタカヤマノボレ ・・・-・ (再投稿です)

2009-12-08 07:36:13 | 生活
今年も、12月8日が来ました。
今から68年前の朝、白爺はテニアン島で空を眺めていました。
その時は、丁度学校へ行こうとしていた時間で、宮前区の家の庭に出た時です。
テニアン町の上空を、編隊を組んだ陸上攻撃機が続々と南のアギーガン島の方向に飛んで行きました。

         昭和16年12月9日 読売新聞

その日、学校で聞いたのか、帰宅して聞いたのかハッキリしないのですが、「日本は世界を相手にして戦争を開始した」と教えられました。

東京の新聞では、このような記事になって報道していたようです。
68年ぶりに当時の新聞を開いて、記事を眺めて見ましょう。

      
             昭和16年12月9日 読売新聞

日本政府は、アメリカに対し苦しい交渉を続けていたようですが、堪忍袋の緒が切れたような内容が書かれています。
今冷静に振り返ってみると「勝てば官軍」ということもあるのでは?と、白爺悩んだりしていますが・・。


          昭和16年12月11日 読売新聞

いずれにしても、テニアンの第1航空艦隊所属の攻撃機の支援を得て、日本軍はグアム上陸を敢行し占領したと12月11日の読売新聞には掲載されています。

      
              昭和16年12月11日 読売新聞

ハワイの真珠湾に続いて、マレー沖海戦の大勝利に、白爺は心からバンザイをしました。
この頃から、海軍は軍艦より飛行機が良いのでは?と白爺は思うようになり、大きくなったら航空兵になると決めました。


           昭和16年12月9日 読売新聞

グアムは2~3日で完全に日本軍が占領しました。
そして、開戦翌日の新聞には、ドイツ・イタリアも米国に対して宣戦布告をしたとのニュースが掲載されています。

      
               昭和19年7月19日 読売報知新聞

山本五十六連合艦隊司令長官が「短期間で戦争を終結しないと日本は負ける」と心配されたそうですが、緒戦のバンザイ・バンザイはミッドウエー海戦を境にして少なくなり、19年7月19日にはサイパンが玉砕するとの報道がされました。
白爺はこの2ヶ月少し前に、サイパン港から引揚船に乗ったのに夢のようです。


  春田航空兵の随筆集から
隣のテニアン島でも、この直前には、航空艦隊の飛行機が無くなり、春田航空兵たち数人は、鹿屋基地までゼロ戦の引き取りに出向いていたようです。
            

白爺は、サイパン空港で春田さんと偶然お会いして、当時の話を聞くことが出来ました。
春田航空兵は、
「鹿屋基地で粘り抜いた交渉の結果、漸くゼロ戦を調達することが出来た。
テニアンに向けて飛び立たせるため、千葉館山の基地まで到着したが、その時米軍がテニアン島に上陸を開始してしまい、帰ることが出来なくなってしまった。 
その後太平洋の各基地を転戦し、特別攻撃隊の支援をしていたが終戦になり、奇跡的に復員することが出来た。」
と、話されていました。
終戦後は台湾人日本兵との間に「台湾・九州親善友交会」を設立して日台間の親善交流に努めておられたようです。


           昭和20年8月15日 読売報知新聞

終戦当日の新聞には、原爆の成分検討結果が報道されていますが、爆弾の形も内容も適当なものだったのではないでしょうか。

      
           昭和20年8月11日 読売報知新聞

日付は前後しますが、連日新型爆弾投下の記事が見られます。


 昭和20年8月11日 読売報知新聞

長崎にも新型爆弾が落とされたと報道されています。
息苦しい記事が沢山載っていますが、中央の広告を見てください。
当時の宝くじPRです。
この時代は、宝くじとは言わず「勝札」で、1等賞金は10万円だったそうです。
この頃から、日本勧業銀行が発行していますねー。

      
            昭和20年8月15日 読売報知新聞

最後に終戦詔書を載せました。
詔書をしみじと読んだことが無かったのですが、今あらためて読むと、天皇陛下の苦しいお気持ちを拝察することが出来ます。

そして、いろいろと批判る人もいますが、この詔書のお蔭で今の日本があるのだと、白爺は感謝しています。

白爺は、図らずも昨夜「篤姫」の放映を見ました。
「篤姫」も昭和天皇と同じお気持ちだったのではと思いつつ ・・・-・(モールスの終わり符号)






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2 コメント

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読むのがたいへん!! (ちづ)
2008-12-10 22:21:51
新聞の字をつい左から呼んでしまい、「??」
そうだった!当時の横書きは右から読むのですね(w)!!
でも、よく当時の新聞がとってありますね!!
難しい字も、たくさんあり、字も細かかったのですね。
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チョッと戸惑います (白爺)
2008-12-11 14:23:33
毎日読む字は左から右ですから、チョッと読みにくいですねー。
でも進駐軍が来るまでは、これを抵抗無しに読んでいたのですから、慣れは恐ろしいものですねー。
白爺はテニアンへ行っても車の運転はしません。
日本では、右確認⇒左確認の順ですが、テニアンでは左確認⇒右確認ですから戸惑います。
左を走るなら東京都内でもスイスイ?
OKですけどねー。
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