石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

外人にナショナリズムを教えてもらう

2010-01-01 06:33:10 | 雑談
西暦2000年を送る大晦日の夜は、エリック・ガウアー宅の宴会で過ごした。彼は鎌倉の浄明寺近くに住むアメリカ人だ。去年『日本は金持ち、あなたは貧乏。なぜ?』」という面白い本を毎日新聞社から刊行した。

パソコン一台で金融投資も、フリー編集業もこなす、39歳の多才な男だ。私は彼のワインの知識と、料理の腕にいつも敬服している。

古い日本家屋の一軒家。彼の家には「かまど」がある。1メートル半ほど、子供の背丈ぐらいの高さで、卵形をして庭先にドーンと座っている。パックリと上の蓋が開く。中には炭火が元気よく火照っている。

中の温度もチェックできて、火力を強くする時のためにプロパンガスの補助装置もついている。アメリカから運んできたこのカマドが、実は日本伝来の「蒸しカマド」であることを知って、改めてわが祖先の知恵に驚いた。

占領軍(むかしGHQと言った)のある兵士が日本の「蒸しカマド」に感激して、アメリカに運び、研究してアメリカの商品にしてしまった。日本人は戦後、カマドなど「粗大ごみ」として放り出してしまったのだ。「都市化」に走り、燃料としての炭火も捨てた。

そのころ、占領軍は「日本的なるもの」は、歌舞伎も、チャンバラも、任侠も、統制した。その一方で貴重な浮世絵を初め、書画骨董の類をせっせとアメリカに運び出していた。カマドもそのひとつだった。「封建的火器」として日本人はこれを追放したわけだ。

いやー、このカマドで焼いてくれたピッザパイの美味かったこと! 日本中が「紅白」で酔いしれている時、私はアメリカ人が「蒸しカマド」で次々に焼く料理を、彼がインターネットで取り寄せた極上のオーストラリア産赤ワインで楽しんでいた。

宴会の締めはニュージーランド産シャンペンで乾杯した。午前零時が近づいて日本人、外人入り乱れて、近所の大塔宮に参拝、その足で瑞泉寺に向かった。除夜の鐘を、一人づつ、思いのたけをこめて突いた。

「清冷」という言葉そのままの境内の雰囲気で、私は瑞泉寺が好きだ。闇の中で冬桜の花が冷気に揺れていた。庫裏の障子だけが明るく、中ではいったい何が行われているのだろうか。私の知らない日本文化の深淵を、遠くから眺める思いだ。

アメリカ人に手を引かれて、日本人であることを思い知らされた西暦2000年のおおみそかであった。


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2 Comments

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Unknown (yuusuke320)
2010-01-01 23:06:10
   お久しぶりです。
 105年前の明治38年1月1日この日、「旅順攻略」に成功した日本は追い付け追い越せと西洋化と覇権主義に突っ走りました。 そして、敗戦。
 「得るものと失うもの」「得た物と失った物」いつも天秤に掛け生きている生きてゆく私たちは歴史から何を学びとるのでしょうか・・・
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Unknown (キム)
2010-01-30 19:17:38
カス
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