Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

たとえ話

2006年08月17日 23時38分58秒 | 時事・社会
ある人の家の隣りに、カルト教団の信者が引越して来ました。
その教団は過去に事件を起こしており、その人はその教団を
今でも信用していませんでした。信者が自宅で修行をしている
声が聞こえてくるのも不快でした。
そこでその人が、信者の家に抗議に行ったところ、「私が何を
信じようと、心の問題、私の自由だ。それに私は、事件を起こ
した教祖を拝んでいるわけでも、師事しているわけでもない。
純粋に教えを信じているだけだ」と、はねつけられました。
その態度に憤慨したその人は、信者を無視し、近所づきあい
も一切しなくなりました。子どもたちにも、信者の家には近づか
ないよう言い含めました。
すると信者は、「この程度のことで無視するとは、何て非常識
なんだ。子どもにまで変なことを吹き込んで。話があるなら、
こちらはいつでも応じてやるのに。きっと家庭内に何か問題が
あって、それから目を反らすために騒いでるに違いない」など
と近所に触れ回りました。
そして遂には、「今まで配慮して夜中や早朝は遠慮していた
のに、文句ばかり言うなら、こちらもやりたいようにやるさ」と
四六時中修行を行なうようになりました。

あなたなら、この信者を許せますか?

公約は口に甘し?

2006年08月16日 11時17分07秒 | 時事・社会
8・15靖国参拝の意向 首相「公約守るべき」

 小泉純一郎首相は9日午前、終戦記念日の8月15日に靖国神社を
参拝すると明言した2001年の自民党総裁選での公約に関し「公約は
生きているから、守るべきものだと思っている」と述べ、15日参拝の
意向を強く示唆した。訪問先の長崎市内で記者団の質問に答えた。
 首相は就任以降、1年に1回の靖国参拝を続けているが、中韓両国
への配慮から8月15日の参拝は見送ってきた。9月退陣を控え今年が
公約実行の最後の機会だが、15日参拝に踏み切った場合、A級戦犯
合祀(ごうし)を問題視する中韓を刺激し、一層の反発を招くのは必至
だ。
 首相は「いかなるものについても、みなさんも公約は守るべきものと
思っているのではないか」とも述べ、国民に対する公約の重要性を
指摘した。
                (2006年8月9日 (水) 13:05 共同通信)


本来ならば参拝前に書くべき記事でしたが、心身ともに参っていたの
で気休めに花火の記事などを書いて、後回しにしてしまいました。
「守るべきもの」である小泉首相の数々の「公約」は、どうなっている
でしょう。
「宿願」であった郵政民営化は、一応「実現」しました。とはいえ、首相
自身が当初描いていた通りの姿かどうかは知りません。
道路公団民営化も、形の上では移行しましたが、新たな道路は従来
の計画通り造られ、ETC利用者以外は値下げもされません。
一内閣一閣僚はあっさり放棄。「小泉ブーム」の立役者の一人だった
田中真紀子外相を擁護もしませんでした。
「自民党をぶっ壊す」というスローガンは、いつしか「自民党的なもの
=旧橋本派的政治手法」にすり替えられました。気がつくと、自身が
所属する森派が最大派閥に。他派も、役割は多少変質したものの、
解消される気配はまるでありません。単なる党内の権力闘争に過ぎ
なかったわけです。
国債新規発行30兆円枠に至っては、「守れなくても大したことでは
ない」とまで発言。
年金改革はどうなったのでしょう。構造改革って、結局何したの?

と見ていくと、「公約は守るべき」はこっちのセリフだよ、と言いたく
なるほど守られていないことがよく分かります。

実はここに、更に大きな問題が隠されています。
これらは、自民党総裁選挙の公約なのです。
総理大臣指名選挙は、ご存知の通り議会勢力によってほぼ機械的
に決まりますから、政策論争などやりません。
いくつかの公約は、国政選挙でも掲げられましたが、少なくとも8月
15日の靖国参拝は、党の公約にはなってないはずです。
つまりこれは、自民党員・議員に対する公約であり、総裁選勝利に
よって彼らの支持を受けたことにはなっても、国民全体の同意を得た
わけではありません。「小泉を総裁とする自民党が総選挙に勝った」
から全てが信任されたわけでもないのです。
それに、守られていない公約はどれも、まず自民党に対して守らせ
る(「抵抗勢力」を抑えて実現させる)べきものにも関わらず、果たせ
なかったものばかりです。野党の抵抗によるのではありません。
党総裁の公約を党が守らないのに、党とは無関係の、「公約」には
本来なりえない事柄を「守るべき」とは、詭弁もいいところです。

ちなみにこの「公約」、01年総裁選の前に遺族会副会長の尾辻秀久
議員から「終戦記念日に靖国参拝をしていただけるなら、遺族会は
あなたを応援します」と持ちかけられたのが事の起こりのようです。
当時の遺族会会長は、対抗馬だった橋本元首相。しかし彼は現職
だった時に、国内外の反発に配慮して一度きりで参拝を取りやめた
ために、遺族会からは見限られていたようですね。それで小泉首相
に白羽の矢が立てられた。首相も選挙のために靖国を利用しただけ
の話。
それを持ち上げたり美化したりって、TBSの「亀田報道」と一緒です
よね。違うのは、インチキをインチキと言えない雰囲気が作られて
いること。「心の問題」なら、異を唱えるのも自由のはずなのに。

「尊い犠牲」

2006年08月15日 23時53分47秒 | 時事・社会
大方の予想通り、小泉首相が靖国神社を参拝しました。
朝7時41分というのはちょっと意外でした。我が家は朝からテレビを
付けないので余計にそう思うのかも知れませんが、お盆休みという
こともあり、リアルタイムで見た人はそれほど多くないのではないで
しょうか。狙ったわけではないでしょうが。むしろ、政教分離に反する
との指摘を考慮して「公務に入る前の時間だから私的参拝だ」との
逃げ道を用意したのかな、と感じました。
靖国神社の参拝客が最近では最も多かったそうです。まさに「小泉
効果」、広告塔(「客寄せパンダ」のほうが適当かしら)です。靖国で
なければ立派な(?)スキャンダルになるところでしょう。中国・韓国
以前に、国内の他宗教信者が迷惑し、憤慨しているのです。良心的
な識者も国際政治的配慮からだけでなく、靖国神社そのものの抱え
る問題ゆえに批判しているのであって、別に中国・韓国に迎合・便乗
しているのでもありません。首相の参拝を支持する人たちはそうした
部分が見えていない、理解できていないように思います。
(そうした構造を理解できない人たちだから小泉首相を支持する、とも
言えますが。)

「これは毎回申し上げているのですが、日本は過去の戦争を踏まえ
反省しつつ、二度と戦争を起こしてはならない。そして今日の日本の
平和と繁栄というのは、現在生きている人だけで成り立っているの
ではないと。戦争で尊い命を犠牲にされた、そういう方々の上に今の
日本というのは今日があると。戦争に行って、祖国の為、また家族の
為、命を投げ出さなければならなかった犠牲者に対して、心からなる
敬意と感謝の念を持って靖国神社に参拝しております。今年もこの
気持ちに変わりはありません。」(総理インタビューより)


毎回同じ言葉の繰り返しで、いい加減聞き飽きました。こういうのを
「洗脳」と言うのではないのかな。韓国系の宗教団体ばかりを叩いて
いる場合じゃないでしょう。メディアもコメントを垂れ流すだけ。たまに
出演者が疑問を差し挟むとたちまち集中砲火を浴びる状況は、異常
です。
それにしても、「尊い犠牲」が「今日の日本を築いた」という理屈が
私には理解できません。「尊い犠牲」のおかげで日本は無条件降伏
できて、米国の庇護の下、戦後の復興・発展を成し遂げられた、と
いう皮肉でしょうか。戦争の愚かさに目を開かされ、恒久平和の実現
に向かわされて初めて、彼らの犠牲は「尊い」ものとなるのではない
でしょうか。
少なくとも、「戦争責任」を否定しないのであれば、行政のトップとして
「犠牲となった」人たちへの謝罪がまずあるべきです。理由はどうあれ、
戦争を回避できなかったこと、犠牲者を出したことは政治の失敗です。
総理大臣としての自覚があれば、「心の問題」と逃げて「職務放棄」
することはそれこそ良心が許さないはずですが。

また、安倍官房長官は首相のコメントについて「詳細にわたり参拝の
理由を述べ、問題点や論点、考え方を述べたと承知している」「大変
分かりやすくご説明された」との認識を示したそうです。
首相に、自分と異なる意見を理解する能力が無いということ以外に、
何がどう分かったのか、ご説明頂きたいものです。

夏の宴

2006年08月14日 23時47分45秒 | 日記、雑感
今日は仕事が休みだったので、娘も保育園を休んで、二人で出かける
ことにしました。
私は、福屋広島駅前店で「水木しげるロード展」と「藤城清治版画展」
を見たかったのですが、娘が「妖怪は怖い」と嫌がったので、基町クレド
の「広島アニメーション・ビエンナーレ」に行って来ました。
広島は、知る人ぞ知るアニメの街です。今年で11回目を迎える「広島
国際アニメーションフェスティバル」に合わせて、街をアニメで埋め尽くす
べく、広島経済同友会が中心になって開催されたこのイベント、メインは
「東映アニメーション50周年ヒストリー ~白蛇伝からふたりはプリキュア
まで~」という企画展です。
しかし、というかやはりというか、私を含めほとんどは小さい子ども連れ
の親たち。古い作品は見向きもされず(主催者も予想してたのか、展示
自体少なかったのですが)、親たちは'80年代の作品のコーナーで足を
止め、子どもたちは最新作のコーナーか、遊具やゲームのある場所に
たむろするという状況でした。隅から隅までゆっくり鑑賞することは叶わ
ず、娘に振り回されて疲れ果てました。



「ボールプール」でたわむれる、しおん。

夜は、予定通り、宮島の花火を見に行くことにしました。
家を出た時には既に、宮島SAは満車で進入禁止でしたので、第二候補
の阿品台に行きました。あじなモールの駐車場も満車かも、と心配して
ましたが、意外と人は少なく、無事観賞することができました。
距離はありましたが、特に障害物も無く、打ち上げだけでなく海上の水中
花火もきれいに見えました。遠くて大きな音がしないので、娘も怖がらず
に済みました。風もあって、快適でしたし。
約5000発の花火は、とてもカラフルで、ユニークなものもあって、堪能でき
ました。
でも、次はもう少し近くで見たいな。

写真は上手く撮れませんでした。やはりコンパクトデジカメで最大ズーム
で三脚無しだと無理ですね。光学一眼レフが欲しいよ~。
ということで、Walkerplusに載っている写真を代わりにご覧下さいませ。



明日は敗戦記念日。小泉首相は本当に靖国神社に行っちゃうのかな?

ちよだ夏まつり

2006年08月13日 23時16分44秒 | 日記、雑感
先月予定されていた近所の花火大会は、豪雨の影響で今月末に延期され、
町内の夜間パトロールの日でもあったので、同じ日の宇品の花火大会にも
行けず、この夏はまだ花火未経験だった我が家。
昨晩、北広島町の千代田まで花火を見に行って来ました。
広島からは高速で30分ほどの距離です。

土呂久に行く時に久々に九州道を走りましたが、それと比べると中国道は
もちろん、山陽道も通行量はとても少なく感じます。

会場は千代田インターを降りてすぐ。観客も少なく、駐車場の心配は無用
でした。(早く行って損した・・・)
旧町時代からのこじんまりとした祭りですが、その分のんびりと、間近で
楽しむことができました。1700発は物足りなくも無いですが、花火の音を
怖がる娘にはちょうどよかったかな。



花火の写真を撮るのは難しい・・・。やっぱり三脚買おうかな。

さて、明日は宮島の水中花火大会が行なわれるのですが、見物場所に
予定していた宮島SAが進入制限されるらしく、見れるかどうか微妙です。
この時期はいつも帰省などで広島にいないので、今年こそは、と思って
いたのですが・・・。

語り継ぐ

2006年08月11日 01時04分54秒 | ヒロシマ
また体調を崩しています。「不定愁訴」といった感じですが、夏バテの
うちなのかな。唇に口内炎のようなものができて、かなりつらいです。
伴侶にホメオパシーの本で調べてもらったら、「死や病気への恐怖」
の影響だそうで。そういえばこのところ、ずっとヒロシマの被爆体験談
やら映像やらに向き合って、気は滅入るし、トラウマも顔を出してます
から、当たってるかも。

私の教会の夏の特別企画の、第二弾は被爆体験集の朗読でした。
私の教会には、現在も十数名の被爆者がいらっしゃいます。
被爆60年の昨年、このうち10名の方々の了解を得て、証言を聞き、
本にまとめまる作業に取り組みました。
教会では過去にも、体験を聞き、平和と核廃絶を祈るプログラムが
持たれたことはあります。劇団を結成し、原爆劇を国内外の教会で
演じたこともあったそうです。しかし近年はそうした取り組みも見られ
なくなっていました。
「怠慢」と言われるかも知れませんが、被爆者にとって「あの日」を
思い出すこと、語ったり聞いたりすることは、耐え難い苦痛なのです。
時が経てば癒される、忘れられるというものではありません。信仰を
持っていても、それは同じです。
しかし、「今聞かなければ、もう永久に聞けないかも知れない」という
危機感と、「広島に生きるクリスチャンとして、被爆体験を継承し、
語り広めていかなければならない」という使命感から、節目の年に
このような取り組みを行なうことになった次第です。
編集に携わった方々、そして証言者の方々の身を削る努力の末に
先頃ようやく完成しました。



7月23日の礼拝で奉献式を執り行い、教会員の各家庭と、関係者
に1部ずつ贈呈、残りは頒布されることになりました。初版500部は
瞬く間に底を突き、現在増刷中です。
(私も、差し上げたい人がいるので5冊ほど購入しました。)

水曜日には、この中の一人の証言の朗読を聞きました。
実は私は、本人の口から体験談を聞いたことが過去にありました。
生き証人の語る言葉は、たとえ「話し上手」でなくても、当人にしか
語りえない生々しさと重さがあります。活字で読む何倍もの迫力・
リアリティに圧倒されます。それはまた、私のようなものが人前で
何かを語ることをためらわせることにもなってきました。
しかし、この日の朗読は、本人の証言とはまた違った形で、聞く者
の心に響いてきました。「語る」ことには、こんなに力があるのか、
と再認識しました。
もちろん、専門的な指導を受けたことがある人の「語り」と、私の
ような素人のそれとでは、天地ほどの差はあるでしょうが、文字を
残すだけでなく「語り継ぐ」ことで伝わる「記憶」は、決して小さくは
ない、と感じました。
物事を記録し再現する技術が進み、便利な世の中になればなる
ほど、私たちは記憶し想像する力が弱くなってしまっているよう
な気がします。子どもへの「読み聞かせ」が注目されていますが、
語り言葉を大事にする文化を大人も取り戻さなくてはいけません。

『ピカドン』を見てください

2006年08月10日 00時43分17秒 | ヒロシマ
「アニメーション ピカドンの世界」

日時 2006(平成18)年9月1日(金)まで(午前9時から午後5時まで。
但し、8月5・6日を除く土・日・祝日は閉室します。)

場所 広島平和記念資料館 東館地下1階 情報資料室

世界的に有名なアニメーション作家木下蓮三(れんぞう)・小夜子(さよこ)
夫妻が昭和53年に制作した「ピカドン」は、世界初の原爆をテーマにした
短編アニメーションです。
被爆者の書いた手記と絵を資料にして制作されたこの作品は、当時世界
に衝撃を与えました。「アニメーションのカンヌ」ともいわれるフランスの
アヌシー国際アニメーション映画祭で、審査員特別賞をはじめ、世界の
映画祭で多くの賞を受賞しました。セリフのない10分の物語の中で原爆
の実相を伝えるこの作品は、制作されて約30年経ちますが今でも国内
外で上映され続けています。
木下小夜子さんがフェスティバル・ディレクターを務める、広島国際アニ
メーションフェスティバルの開催を記念して、「ピカドン」のセル画や関連
資料を展示します。また、期間中に限り情報資料室で、「ピカドン」を
ご覧いただけます。
(入場無料) 是非、ご来場ください。

お問い合わせは 平和記念資料館 啓発担当まで
  電話 082-242-7828, E-mail hpcf@pcf.city.hiroshima.jp

詳しくは↓をご覧ください。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200606280001.html


私も覚悟を決めて、もう一度見ようと思います。26年ぶりです。

こんなサイトも見つけました。絵本は絶版、フィルムも未だソフト化されて
いないとはいえ、著作権法違反ではありますが・・・。
閉鎖されないうちに、ぜひ一度ご覧下さい。
「ピカドン PICA-DON」

長崎原爆の日

2006年08月09日 22時32分28秒 | ヒロシマ
移動中のカーラジオで、長崎の平和祈念式典を聞きました。
生まれた時は長崎県民、親の本籍も(結婚するまでは当然私も)長崎県
で、身内に被爆者もいる私ですが、広島の平和記念式典は子どもの頃
からテレビで見てましたし、広島に住むようになって何度か足も運びまし
たが、長崎の式典は一度も見聞きした記憶がありません。
そういえば、私が小学生の時の福岡市の平和登校日は8月6日でした。
何となくそれで、原爆はもう済んだ気になっていたのかも知れません。

初めての長崎の平和祈念式典。高校野球か何かのようなアナウンスに
ファンファーレと、広島よりもイベント色が強い気がしました。もちろん中身
は、ちゃんとした慰霊祭です。良くも悪くも「マンネリ化の典型」と言えば
いいのでしょうか。
伊藤市長の平和宣言は、どこか諦念が漂っていた秋葉市長とは対照的
に、被爆地の怒りを前面に押し出したものでした。もっとも、「広島が駄目
なら長崎が」と、核廃絶への道筋を自ら指し示すまでには至っておらず、
最後は政府に「お願い」で終わったのは、少々物足りなさが残りましたが。
かつては「怒りの広島・祈りの長崎」と呼ばれたそうですが、今年の両市
長の宣言は「観念の広島・怒りの長崎」といった趣きでした。

思うに、ヒロシマ・ナガサキにおいては、保守も革新もありません。国会
議員だとろくでもない輩もいますが、地方では首長も議員も、被爆者を
無視できません。陳情のカードという側面もあるかも知れませんが、冷淡
な国に対する地元のセンセイたちの姿勢を見ていると、顔の見える政治
は主義主張の違いを超えた温かみを持っていることを実感します。地方
分権の必要性・可能性をこういうところからも感じます。

一方の小泉首相はというと、広島の時とほぼ同じ文面の原稿を棒読み。
毎年そうなんですかね。長崎は、おまけみたいなものなのかな。

またまた靖国問題

2006年08月08日 23時58分29秒 | 時事・社会
靖国合祀基準 東条元首相が厳格化

 第二次世界大戦末期、東条英機首相(兼陸相)=当時=が「戦役勤務に
直接起因」して死亡した軍人・軍属に限るとする靖国神社合祀(ごうし)基準
を陸軍秘密文書で通達していたことが5日までに分かった。
 文書は、靖国への合祀は「戦役事変に際し国家の大事に斃(たお)れたる
者に対する神聖無比の恩典」と位置付け、合祀の上申は「敬虔(けいけん)
にして公明なる心情を以(もっ)て」当たるよう厳命。原則として戦地以外で
の死者は不可としている。元首相自身の戦中の通達に従えば、戦後の同
元首相らA級戦犯は明らかに「合祀の対象外」となる内容だ。
 文書は1944年7月15日付で「陸軍大臣東条英機」名で出された「陸密第
二九五三号 靖国神社合祀者調査及上申内則」。原稿用紙29枚分で、原
文のカタカナをひらがなに直して戦後に書き写したとみられる。80年ごろに
旧厚生省が廃棄処分にした書類の一部として作家の山中恒氏が古書市で
入手した。
 防衛庁防衛研究所の史料専門官は「旧陸軍の秘密文書の書式に合致し、
内容にも矛盾がない」と原文を写したものにほぼ間違いないとしている。
 文書は、戦死者、戦傷死者以外の靖国神社への「特別合祀上申」対象者
として(1)戦地でマラリア、コレラなどの流行病で死亡した者(2)戦地で重大
な過失によらず負傷、病気の末に死亡した者(3)戦地以外で戦役に関する
特殊の勤務に従事し負傷、病気の末に死亡した者-の三つの要件に限定。
「死没の原因が戦役(事変)勤務に直接起因の有無を仔細(しさい)に審査
究明すること」を命じている。
                             (東京新聞 2006/8/6)


先日の「富田メモ」に続いて、何か示し合わせたかのように、またしても
靖国を巡る「スクープ」です。おかげで、8月6日朝刊の一面をさらわれて
しまいました。まあ、節目の年でなければ、原爆の日がトップニュースに
なることは無いのでしょうが。
内容的には、目新しいものではありません。A級戦犯となる東条自身が、
いかにも彼らしい詳細な指示を出していたという点での面白さはあります
が。
「富田メモ」で松平永芳宮司がクローズアップされていますが、私が再三
指摘している通り、あくまで合祀の主体は政府であり、その主目的は、
遺族に対する政治的配慮です。だから旧厚生省が関与したのです。
毎日新聞の調査では、14遺族中8遺族が分祀を受け入れてもよいと答え
たそうです(反対は3遺族)。また広田元首相の遺族は「合祀について
要望も同意もしていない」と語っています。勝手に祀って、取り下げも分祀
も認めない靖国神社の姿勢に、それがクリスチャンや韓国・台湾人の時
は無視していた人たちも、違和感を感じ始めているようです。
とはいえ、靖国神社の姿勢はおそらく変わらないでしょう。その教義や
思想に私は賛同はしませんが、政治的圧力で変わることがあってはなら
ないと思います。この際一気に国営化を、という目論みは断固として阻止
しなくてはいけません。

靖国は必要だ、国のために命を捧げた人を国が祀るのは当然だ、と言う
方たちにぜひ聞いてみたいのですが、過労死した公務員を祀る神社を
国が作ってくれたら、公務員は喜んで命を削って働くでしょうか。また、
そのような神社は必要でしょうか。
宗教は生きている者のためのもの、生きていくためのもの、と私は思う
のですが。

61年目の平和祈念式典

2006年08月07日 23時43分57秒 | ヒロシマ
6日の平和祈念式典は、実家でテレビで見ました。
地元では民放各局も中継しますが、全国中継はNHKのみ。この辺りが
「公共放送」たるところです。
今年、広島市教育委員会は、記憶の継承のために、市内の小中学校
に8月6日を登校日とするよう要請し、約半数の学校が実施しました。
今年はたまたま日曜日だったので4日にずらした学校も多かったのです
が、来年は6日に実施する学校がもっと増えることでしょう。
NHKも、この日に市内の大林小学校で児童たちに証言を語る被爆者の
姿を報じていました。時間枠の都合があるとはいえ、8時12分~14分
頃を中継に充て、15分の黙祷の瞬間に画面が式典に切り替わる構成
は、式典の雰囲気を感じ取りたかった私には多少不満も残りましたが、
形骸化した式典よりも新たな取り組みにスポットを当てようとする報道
姿勢も理解できなくはありません。
ただそれなら、相も変わらぬ黙祷の中継スタイルも見直してほしいもの
ですが。
続いて、広島市の秋葉市長の平和宣言。全文が広島市のHPで公開
されています。内容も、語る秋葉市長の姿にも、昨年までの熱意が
やや欠けている気がしました。61年経っても核廃絶も世界平和も実現
への道筋が見えない、むしろ日本国内と周辺の状況はますます悪く
なっていく現実に、虚しさと失望を覚え落胆を隠せなかったという印象
を受けました。
続いて子ども代表による平和の誓い。被爆50年の年に始められたこの
誓いも、定着した反面、マンネリ化の弊害も出つつある気がします。
今年は初めて、米国籍を持つ少女が子ども代表に選ばれました。しかし
残念ながら、米国人としての発言は一切無い、抽象化された「代表」の
誓いでした。木下あいりちゃん殺害事件に触れ、身近な一人の命も、
原爆で奪われた大勢の命も同じ、という内容も、そのまま別の文脈で
利用されかねない危うさを感じました。小学生にそこまで要求するのは
酷かも知れませんが。
そこまでで8時30分を迎えたので、プリキュアを見る娘にテレビを譲り
ました。まあ、小泉首相は大したことは言わないだろうと読めてました
し。今朝の新聞で読む限り、期待に違わぬ内容だったようです。
就任以来6年連続で式典に出席していたことを誇っていたようですが、
式典での挨拶は相も変わらず、官僚の作文を棒読みするだけの誠意
のかけらも無いものでした。納得いく説明無きままの自衛隊の「戦地
派遣」の継続・拡大、党内外の改憲議論や北朝鮮ミサイル問題を巡る
暴論の黙認、そして改憲・核武装論者である安倍官房長官の事実上
の後継指名までした彼が「今後とも憲法の平和条項を順守し、非核
三原則を堅持する」と口先だけで言っても虚しいばかりです。
そして今年も「被爆者代表から要望を聞く会」を欠席し、駆け足で広島
を去りました。「具体的施策は厚生労働大臣の仕事」という理屈にせよ、
原爆症認定訴訟の判決が出た直後だけに、首相として被爆者に誠意
を見せるべきではなかったのか。式典直後の報道各社のインタビュー
で唯一の被爆国の首相として核兵器廃絶への決意を問われ「兵器が
先鋭化しているので、原爆の被害を訴えていくことに意義があるのでは
ないかと思う」と答えたそうですが、被爆者の生の言葉を聞こうとしない
人物が言っても何の説得力もありません。

昨日の「世に倦む日々」の記事が、私の感じた通りのことを先取りして
書いていました。同じ思いを持つ人がいること、大勢の人が読んでいる
かのブログでそれが語られていることに些か安堵しましたが、将来の
見通しはますます暗くなるばかりです。
今、何ができるのか、何をなすべきか、模索の日々が続きます。