Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

長崎原爆の日

2006年08月09日 22時32分28秒 | ヒロシマ
移動中のカーラジオで、長崎の平和祈念式典を聞きました。
生まれた時は長崎県民、親の本籍も(結婚するまでは当然私も)長崎県
で、身内に被爆者もいる私ですが、広島の平和記念式典は子どもの頃
からテレビで見てましたし、広島に住むようになって何度か足も運びまし
たが、長崎の式典は一度も見聞きした記憶がありません。
そういえば、私が小学生の時の福岡市の平和登校日は8月6日でした。
何となくそれで、原爆はもう済んだ気になっていたのかも知れません。

初めての長崎の平和祈念式典。高校野球か何かのようなアナウンスに
ファンファーレと、広島よりもイベント色が強い気がしました。もちろん中身
は、ちゃんとした慰霊祭です。良くも悪くも「マンネリ化の典型」と言えば
いいのでしょうか。
伊藤市長の平和宣言は、どこか諦念が漂っていた秋葉市長とは対照的
に、被爆地の怒りを前面に押し出したものでした。もっとも、「広島が駄目
なら長崎が」と、核廃絶への道筋を自ら指し示すまでには至っておらず、
最後は政府に「お願い」で終わったのは、少々物足りなさが残りましたが。
かつては「怒りの広島・祈りの長崎」と呼ばれたそうですが、今年の両市
長の宣言は「観念の広島・怒りの長崎」といった趣きでした。

思うに、ヒロシマ・ナガサキにおいては、保守も革新もありません。国会
議員だとろくでもない輩もいますが、地方では首長も議員も、被爆者を
無視できません。陳情のカードという側面もあるかも知れませんが、冷淡
な国に対する地元のセンセイたちの姿勢を見ていると、顔の見える政治
は主義主張の違いを超えた温かみを持っていることを実感します。地方
分権の必要性・可能性をこういうところからも感じます。

一方の小泉首相はというと、広島の時とほぼ同じ文面の原稿を棒読み。
毎年そうなんですかね。長崎は、おまけみたいなものなのかな。

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