Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

61年目の平和祈念式典

2006年08月07日 23時43分57秒 | ヒロシマ
6日の平和祈念式典は、実家でテレビで見ました。
地元では民放各局も中継しますが、全国中継はNHKのみ。この辺りが
「公共放送」たるところです。
今年、広島市教育委員会は、記憶の継承のために、市内の小中学校
に8月6日を登校日とするよう要請し、約半数の学校が実施しました。
今年はたまたま日曜日だったので4日にずらした学校も多かったのです
が、来年は6日に実施する学校がもっと増えることでしょう。
NHKも、この日に市内の大林小学校で児童たちに証言を語る被爆者の
姿を報じていました。時間枠の都合があるとはいえ、8時12分~14分
頃を中継に充て、15分の黙祷の瞬間に画面が式典に切り替わる構成
は、式典の雰囲気を感じ取りたかった私には多少不満も残りましたが、
形骸化した式典よりも新たな取り組みにスポットを当てようとする報道
姿勢も理解できなくはありません。
ただそれなら、相も変わらぬ黙祷の中継スタイルも見直してほしいもの
ですが。
続いて、広島市の秋葉市長の平和宣言。全文が広島市のHPで公開
されています。内容も、語る秋葉市長の姿にも、昨年までの熱意が
やや欠けている気がしました。61年経っても核廃絶も世界平和も実現
への道筋が見えない、むしろ日本国内と周辺の状況はますます悪く
なっていく現実に、虚しさと失望を覚え落胆を隠せなかったという印象
を受けました。
続いて子ども代表による平和の誓い。被爆50年の年に始められたこの
誓いも、定着した反面、マンネリ化の弊害も出つつある気がします。
今年は初めて、米国籍を持つ少女が子ども代表に選ばれました。しかし
残念ながら、米国人としての発言は一切無い、抽象化された「代表」の
誓いでした。木下あいりちゃん殺害事件に触れ、身近な一人の命も、
原爆で奪われた大勢の命も同じ、という内容も、そのまま別の文脈で
利用されかねない危うさを感じました。小学生にそこまで要求するのは
酷かも知れませんが。
そこまでで8時30分を迎えたので、プリキュアを見る娘にテレビを譲り
ました。まあ、小泉首相は大したことは言わないだろうと読めてました
し。今朝の新聞で読む限り、期待に違わぬ内容だったようです。
就任以来6年連続で式典に出席していたことを誇っていたようですが、
式典での挨拶は相も変わらず、官僚の作文を棒読みするだけの誠意
のかけらも無いものでした。納得いく説明無きままの自衛隊の「戦地
派遣」の継続・拡大、党内外の改憲議論や北朝鮮ミサイル問題を巡る
暴論の黙認、そして改憲・核武装論者である安倍官房長官の事実上
の後継指名までした彼が「今後とも憲法の平和条項を順守し、非核
三原則を堅持する」と口先だけで言っても虚しいばかりです。
そして今年も「被爆者代表から要望を聞く会」を欠席し、駆け足で広島
を去りました。「具体的施策は厚生労働大臣の仕事」という理屈にせよ、
原爆症認定訴訟の判決が出た直後だけに、首相として被爆者に誠意
を見せるべきではなかったのか。式典直後の報道各社のインタビュー
で唯一の被爆国の首相として核兵器廃絶への決意を問われ「兵器が
先鋭化しているので、原爆の被害を訴えていくことに意義があるのでは
ないかと思う」と答えたそうですが、被爆者の生の言葉を聞こうとしない
人物が言っても何の説得力もありません。

昨日の「世に倦む日々」の記事が、私の感じた通りのことを先取りして
書いていました。同じ思いを持つ人がいること、大勢の人が読んでいる
かのブログでそれが語られていることに些か安堵しましたが、将来の
見通しはますます暗くなるばかりです。
今、何ができるのか、何をなすべきか、模索の日々が続きます。