加藤紘一議員の実家放火事件にようやくコメントしたかと思えば、
またしても話をすり替えて、「マスコミもよく考えた方がいい。よそ
の国から煽り立てられ、またよその国を煽り立てる報道は戒めた
方がいい」などとのたまった小泉首相。
「開き直りというか、総理として今日の言動が結果としてどういう
ことをもたらすのかをまったく無視して、『何が悪いんだ』という類
のいつもの彼の言い方だ」という小沢・民主代表の指摘ももっとも
ですが、「よその国」を連発し安直なナショナリズムに訴える手法
が、今回の事件にも影響している可能性も見落とせません。
これまでにも書きましたが、靖国問題は基本的に国内問題です。
他国からの批判を撥ね付けるための方便として言うのではなく、
よそから指摘されるまでもなく日本人が自ら向き合うべき問題で
ある、という意味においてです。「中国や韓国が問題視するから」
ではなく、厳然として問題は存在するのです。
しかし今日はそのことはひとまず措いて、「中国や韓国の指摘」
の「正当性」について述べたいと思います。
多くの人が指摘するように、中国・韓国が日本の首相の靖国参拝
に抗議するようになったのは、1985年の中曽根首相「公式参拝」
からです。私はこれは、それまでの「私的参拝」なら黙認してきた
けれども「公式」となると、日本政府として「A級戦犯」を崇拝した=
戦争責任を否定したことになり、黙ってはいられない、ということだ
ろうと理解しています。
問題はこの後です。
水面下でどういう交渉がなされたのか明らかではありませんし、
単に冷却期間をおこうとしただけかも知れませんが、これを最後に
中曽根首相は在任中、「私的」も含め一切の参拝を取りやめます。
竹下以降、後任の歴代首相も、'96年に橋本首相が参拝するまで
一度も参拝しておらず、橋本首相も内外の抗議を受けて一度切り
でやめています。
つまり、中国・韓国の抗議の結果、「公式参拝」は取りやめて「私
的参拝」のみとする、とはならずに、一切の参拝をやめてしまった
わけです。交渉の結果か、時間稼ぎだったのか、中曽根首相の
「風見鶏」ぶりの表われか分かりませんが、理由はどうあれ、参拝
をやめたという結果が残ったわけです。中国・韓国にしてみれば、
それが自分たちの抗議に対する日本の回答、と受け止めても何の
不思議もありません。
そうなると、たとえ「私的」にせよ首相の靖国参拝が復活すれば、
中国・韓国としては抗議せざるをえないわけです。黙認することは、
せっかく得た「成果」を手放すことになるわけですから。本音では
どうかということは抜きにして、外交上の常識として、中国・韓国が
靖国参拝に抗議するのは当然のことですし、筋も通ってます。
これは、「どちらが正論か」といったこととは次元の違う問題です。
ですから、仮に中国・韓国の主張が理不尽だと感じ反発を覚えた
としても、批判すべきは中曽根以下、森前首相までの歴代首相や
自民党であって、それを抜きに中国・韓国を批判するのは、責任
転嫁以外の何物でもありません。
勇ましいポーズでナショナリズムを煽るのが「リーダー」だと誤解
している人が、政界にもマスコミにも、市井にも多いようですが、
国民に対して「国益」を損なった責任を取らず、「敵」を作り上げて
国民の目を逸らす姑息なやり口が、真の「リーダー」に相応しいか
どうか、今一度考えてみてほしいものです。
またしても話をすり替えて、「マスコミもよく考えた方がいい。よそ
の国から煽り立てられ、またよその国を煽り立てる報道は戒めた
方がいい」などとのたまった小泉首相。
「開き直りというか、総理として今日の言動が結果としてどういう
ことをもたらすのかをまったく無視して、『何が悪いんだ』という類
のいつもの彼の言い方だ」という小沢・民主代表の指摘ももっとも
ですが、「よその国」を連発し安直なナショナリズムに訴える手法
が、今回の事件にも影響している可能性も見落とせません。
これまでにも書きましたが、靖国問題は基本的に国内問題です。
他国からの批判を撥ね付けるための方便として言うのではなく、
よそから指摘されるまでもなく日本人が自ら向き合うべき問題で
ある、という意味においてです。「中国や韓国が問題視するから」
ではなく、厳然として問題は存在するのです。
しかし今日はそのことはひとまず措いて、「中国や韓国の指摘」
の「正当性」について述べたいと思います。
多くの人が指摘するように、中国・韓国が日本の首相の靖国参拝
に抗議するようになったのは、1985年の中曽根首相「公式参拝」
からです。私はこれは、それまでの「私的参拝」なら黙認してきた
けれども「公式」となると、日本政府として「A級戦犯」を崇拝した=
戦争責任を否定したことになり、黙ってはいられない、ということだ
ろうと理解しています。
問題はこの後です。
水面下でどういう交渉がなされたのか明らかではありませんし、
単に冷却期間をおこうとしただけかも知れませんが、これを最後に
中曽根首相は在任中、「私的」も含め一切の参拝を取りやめます。
竹下以降、後任の歴代首相も、'96年に橋本首相が参拝するまで
一度も参拝しておらず、橋本首相も内外の抗議を受けて一度切り
でやめています。
つまり、中国・韓国の抗議の結果、「公式参拝」は取りやめて「私
的参拝」のみとする、とはならずに、一切の参拝をやめてしまった
わけです。交渉の結果か、時間稼ぎだったのか、中曽根首相の
「風見鶏」ぶりの表われか分かりませんが、理由はどうあれ、参拝
をやめたという結果が残ったわけです。中国・韓国にしてみれば、
それが自分たちの抗議に対する日本の回答、と受け止めても何の
不思議もありません。
そうなると、たとえ「私的」にせよ首相の靖国参拝が復活すれば、
中国・韓国としては抗議せざるをえないわけです。黙認することは、
せっかく得た「成果」を手放すことになるわけですから。本音では
どうかということは抜きにして、外交上の常識として、中国・韓国が
靖国参拝に抗議するのは当然のことですし、筋も通ってます。
これは、「どちらが正論か」といったこととは次元の違う問題です。
ですから、仮に中国・韓国の主張が理不尽だと感じ反発を覚えた
としても、批判すべきは中曽根以下、森前首相までの歴代首相や
自民党であって、それを抜きに中国・韓国を批判するのは、責任
転嫁以外の何物でもありません。
勇ましいポーズでナショナリズムを煽るのが「リーダー」だと誤解
している人が、政界にもマスコミにも、市井にも多いようですが、
国民に対して「国益」を損なった責任を取らず、「敵」を作り上げて
国民の目を逸らす姑息なやり口が、真の「リーダー」に相応しいか
どうか、今一度考えてみてほしいものです。