Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

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マルクスとキリスト教

2006年03月06日 10時24分12秒 | キリスト教
大学生の頃、同じ教会のある方からこんな話を聞いたことがありました。
かのカール=マルクスが青年時代、キリスト教会を訪ねたことがあった。
しかしその教会のクリスチャンの姿に失望し、キリスト教信仰を持つこと
は無かった・・・。
調べてみましたが、それらしいソースは見つかりませんでした。この手
の話には創作も多いですしね。マルクスがユダヤ人であることはよく
知られていますが、彼の父はプロテスタントに改宗した人で、彼自身も
幼少時は教会に通い、洗礼まで受けていたようです。もっとも、無神論
に転じる過程でかその後に、一縷の望みを抱いて教会を訪ねた時の
エピソードだとすれば、ありえない話ではありません。
この話をされた方は、その教会の人達が愛を持ってマルクスを迎えて
いれば、共産主義は生まれなかったかも知れない、と結んでいました。

この方に限らず、キリスト教会には昔から、反共主義の方が大変多い
ように思います。(今では教会に限らず、共産主義は「過去の遺物」の
ような扱いですけど。)この方は社会的にも信仰の面でもとても立派な
方で、私も尊敬しているのですが、それでも「共産国の脅威から国を
守るために軍隊は必要だ。ロシアも中国も核を持っているし、北朝鮮
も持っているかも知れないから、日本も核武装しないといけない」と
発言する一面も持っています。そこまで極端でないにしても、キリスト
教は西側社会の「自由」体制と歴史的に密接に関わっていますから、
共産主義は問答無用で否定する向きが大勢を占めています。
確かに「共産主義国」の抱える諸問題は、キリスト者としても看過でき
ないものだと思います。しかし、組織や社会制度の問題を、思想の
問題に転化するのはどうかと思います。それは、キリスト教会の罪を
あげつらってキリスト教そのものを否定する非キリスト者の行為と何ら
変わりありません。クリスチャンが「人ではなく神を見てほしい。聖書
を読んでほしい」と言うなら、クリスチャンもまずマルクスを読んでから
共産主義を批判すべきだというのが、私の意見です。
残念ながら、共産主義を深く理解した上で本質の部分を批判している
福音的クリスチャンの方には、ほとんどお目にかかれていません。

クリスチャンによる最も単純なマルクス批判は、『ヘーゲル法哲学批判
序説』の有名な一節「宗教は民衆のアヘンである」を引いて、マルクス
は神を否定しているから誤りである、とするものです。
しかし、同書の別の箇所にもありますが、当時のアヘンは痛み止めと
して使用される医薬品であり、「麻薬」の意で用いられた言葉ではあり
ません。マルクスは、「宗教は対症療法であって根本治療ではない」
と言っているのです。この一節に関する限りでは、マルクスは「神の
存在」は否定していません。宗教の意義も完全に否定しているわけ
ではありません。ただ、社会の矛盾、諸問題の根本的解決に必要な
のは宗教ではない、と言っているのです。
それに対して反論するならば、「神の実在」だけでは不十分です。
「今も生きて働かれる神」「人を動かし世界を変える神」を証しする
ことが求められるのです。
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