Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

face to face

2006年08月27日 23時53分23秒 | キリスト教
娘の熱は今日も下がらず、教会をお休みしました。今日はCS幼稚科の
「夏のお楽しみ会」だったのですが。
看病は伴侶に任せて、私一人で教会へ。青年科リーダーのSさんが今、
ヨーロッパ旅行中なので、私が留守を任されているのです。
でも、ほんのちょっと遅刻してしまいました・・・。

広島で開催中の「国際アニメーションフェスティバル」にボランティアで
参加されている、留学生のCさん(北海道の大学に通ってるそうです)
が、教会に来てくれました。私が遅れたので、最初は中高生科に案内
されてて、結局私もそちらに合流することにしました。
ところがそこで、「じゃあ今日はお任せします」と振られてしまって、さあ
大変。中高生向きの話なんて準備してなかったから、どう進めればいい
のやら、困り果てて何度も立ち往生してしまいました。聞いてるほうも
つまらなかっただろうなぁ。
その時は中高科のリーダーのEさんをちょっぴり恨みましたが、考えて
みればこれもいい訓練。Eさんは私が神学校に行きたいのを知ってるし。
(そこまで配慮したのかどうかは知りませんが。) 中高科がどんな感じ
で、中高生がどういう反応をするのかなど、楽しい発見もあったし。
正直、私も最初は「一緒にやれば楽できるかな」という気持ちもあった
ので、人のことは言えないし。
何はともあれ、無事に終わってよかったです。
Cさんは、今日も務めがあるので、礼拝には出ずに会場に向かいました。
水曜日には北海道に戻るそうなので、たぶんもう会うことはないでしょう。

8月の最後の日曜日は例年、中国地方のバプテストの近隣の教会同士
で「交換講壇」(牧師が違う教会で説教を語る)というのをやっています。
今日の私の教会の説教奉仕は、東広島の「緑の牧場教会」の酒井牧師
でした。学生時代に何度かお邪魔して、いろいろお世話にもなりました
が、最近はすっかりご無沙汰してて、久々に顔を合わせました。
その酒井牧師の説教で、「偶像」についての話が出てきました。
「偶像礼拝」は、聖書の神が最も忌み嫌う罪の一つです。有名な「十戒」
でも、初めの2つの戒めは、
 「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」
 「あなたはいかなる像も作ってはならない」
となっています。
この「偶像」とは、いわゆる神仏の像に限ったものではなく、「イメージ」
のことです。私たちの心を占めるもの、と言うこともできます。
ところで、「十戒」の第一戒は、原語(ヘブライ語)ではこう書かれている
そうです。
 「あなたは、わたしの顔の前にほかの神があってはならない」
なぜ、神の「顔の前」に「偶像」があってはならないのでしょうか。
それは、神の顔の前にあるべきものは、「あなた」自身であるからです。
私たちの目をふさいで神を見えなくする「偶像」は、神が私たちを見る目
をも妨げるのです。(もちろん全能の神ですから、全く見えなくなることは
無いのでしょうが。)
神は、私たちと「顔と顔を合わせて」親しく交わることを望んでいます。
神は目には見えませんが、私たちが心を神に向け、聖書の御言葉に
基づいた正しい神のイメージを持つならば、神との豊かな関係が生ま
れるのです。

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