5月第4週は梅雨に入ったらしい。梅雨もようのある日、私の息子の義母様が
八十歳で永い旅に出られた。比較的に療養の期間は短かった。
ご主人様の後を追うようにして静かに旅立たれた。永く肝臓が痛んでいたが
物言わぬ肝臓そのもののような物言いわぬ闘病態度の人だったらしい。
義母様は同居の孫たち近親者だけを呼んで、タイミングよく
別れを告げたということであった。
続けざまに祖父と祖母を失くした孫が、上着の袖で涙を拭う様をみて、こちらも
涙しそうになった。斎場で義母様の経歴紹介と愛唱曲の生演奏が用意されていたが
不覚にも涙をこぼしてしまった。式進行の女性コンダクタがまことに上手だった。
小さなシンセサイザの女性演奏者の演奏も大したものだった。
年取ったら涙もろい老人は「かなわないや」とハンケチを取り出していた。
野辺送りに棺を近親者6人で担いだのだが、皆老人ばかり。行きがかり上、私が
その一人になった。年齢からして重いものを持てない年頃である。
私は担がれる祖母様とちょぼちょぼの老人だ。
もたつく足元と重そうにかがむ私を見て家内ははらはらしていたらしい。
私はその時「これこそ老々会葬だ」と頑張っていた。
葬儀で私は心身共に疲れた。あとで半日以上床に入っていたが疲れはとれなかった。
息子がねぎらいの電話をくれた。
私は「義母さんによく尽くした」と息子に言葉を掛けた。駅まで見送りに
来てくれたかわいらしい仕草の孫二人の姿を急におもいだした。
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