私はピッコロ演劇学校の5期生でした。「バイオレンスの5期」です。生徒もわりとバイオレンスでしたが、何よりお師匠さんがバイオレンスでした。こう書くと「何を失礼な」とお叱りを受けそうですが、私の中ではそうだったのです。
よく「演劇に学校なんかいるのか」「芝居なんて学校で教わるものじゃない」と言われます。芸事という点では一理あります。しかしながら、そう仰る方は、学校は教え教わる場だと考えておられるのでしょう。大体「学校」や「学習」って何なんでしょうね。
何かを身につけるためには「執着」が必要です。それが、学ばなければという意識でも、学びたいという意識でもいいと思います。学校は、知ったりわかったり感心したりするところでもあると思います。何も誰かに何かを教えてもらう必要はないのではないでしょうか。大概の学校は目に見えて内容がわかるようにカリキュラムやシラバスがありますが、それが全てではありません。「学ぶ」は「真似ぶ」という考え、私は好きです。真似て、やってみて気付いたり、わかったり発見したりする。学校ってそんな場所だと思います。権威は学ぶ側をその気にさせるには有用ですが、たいした意味はありません。元々その昔、「教師」などという者はいなかったのです。いたのは「知りたいと思う者」であって、その者が求めた先に「教えられる者」がいただけなのです。弟子が先に存在していて、師匠は後から生じるのです。その道のスペシャリストが自ずと「先生(師匠)」となるのです。学びたい者が集えば、そこは「学校」となり、学舎ができる。
しかし、伝えたいという欲求もありますね。もったいないじゃないですか。せっかく何十年もかかって身につけたものが、たかだか十年そこらで消えてしまう。なんか残念ですね。我らは遠からぬ未来、死んでしまいますから。我らの芸も一代限りなんかなぁ。誰か盗んでくださいな、我らの芸を。そうすれば、また新しいものを生み出さざるを得なくなって、面白くなるのに。もう少し楽しませてくれないかなぁ。
「誰ぞ、ある。」
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