「わらわら草紙 六の章」初日から一週間経ちました。皆様、ありがとうございました<(_ _)>
おかげさまで好評をいただき、来年もやってよいことになりました。やはり作品も3本あると、それぞれに好みのものがあるようで、いろいろご意見をいただきました。嬉しい限りです。
しかしながら、われわれもほぼシニア劇団を名乗れるくらい(劇団員の平均年齢が高い)になってきました。5年先の話はもうできません。でも来年もやりたいです。
☆いつも観ていただいて劇評を頂いている広瀬 氏の評を紹介いたします。
『 恒例になった『わらわら草紙』の最新作だ。今回は3話構成で、80分。毎回のことだが、個性豊かな作家たちが頑なに自分たちの世界をおなじみの役者たちを使って自由自在に見せていく短編連作。もちろん、各作品にはまるで共通項はない。神原さんの世界を踏襲する気なんてさらさらないのがいい。彼女もそんなことは望んではいないし。もちろん神原さんもいつも通り、好きなように自分の世界を見せる。それでいい。そんな潔さが心地よい。でも、見終えたら、なんだか全体は完全に神原ワールドに染まっている気がする。さすが。
務川智正、作、演出の『放課後パンドーラー』はあんな話なのに底抜けに明るい。二人で延々と殺し合いをしているのに、である。押鐘絹一郎、作、演出『宝珠を孕んだ女』はあんなドロドロでおどろおどろしい話なのに、死んでもほっとする。
そして、この2本の真ん中に挟まれた作品が神原くみ子、作、演出『ほろほろ草紙』である。神原さんと女たちが繰り広げる物語はあっけらかんとしている。相変わらずどんどん人は死ぬ。でも、それでいい。だって人はいつか死ぬものなのだから。
どの芝居でも、役者たちも生き生きとして死んでいく。それでこそ神原ワールドだ。』(「習慣HIROSE」より抜粋)