神原ワールド稽古場日誌

神原ワールドが繰りひろげる劇の世界・公演のお知らせ・稽古場の模様を皆様にお届けします♡

クリード

2015-12-29 00:36:11 | 日記
 劇団唯一のオフシーズンに入りました。

 19日の日本橋の1st、27日のWFと、久々に面白い舞台を観れました。途中、眠らず最後まで観られる舞台が最近少なくて閉口しておりました。しかし、これらのお芝居はとても面白く観させて頂きました。

 今はいろいろ観て楽しみたいですね。楽しめば楽しむほど広くなるのですよ。何か自分の内側が。…上手く言えませんが。

 今夜(月曜の晩)はレイトショーで「クリード」を観てきました。あのアポロ・クリードの「クリード」です(わからない人は「ロッキー」を観てください)。シルベスタースタローンがちゃんと脇に徹してるんですよ。できるんや、って感心しちゃいました(失礼) 「ロッキー」へのオマージュをこれだけ含みながら、「ロッキー」シリーズとは全く違う現代の若者の物語にしているのには驚かされました。素直で真っ直ぐな1本です。よかった~(^₋^)あまり期待していなかったんですが、ピュアな気持ちになれて満足しました。

 良いものを見聞きして、来る時に備えましょう。
 その日はもう目の前です。

                
                
 
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鍋クリパ

2015-12-25 22:09:33 | 日記
 メリークリスマスクリスマスおめでとうございます

 劇団でもクリスマスパーティーを毎年やっております。もちろん今年もやりました…といっても20日(日)にですが。毎年、アトリエでクリスマスプレゼントの交換をしたり、ご飯たべながら公演DVDを観たりして楽しく過ごします。鍋物が多いので、よく「鍋クリパ」と言います。今年はきりたんぽ鍋、鶏の丸焼き、トマトパスタを頂きました。写真のケーキは安宅姉妹の手作りです(毎年焼いてくれます)

 基本、我々の公演は炊き出しをして全員同じ釜の飯を食います。今までできる限りそうしてきました。そうすることで皆同じ仲間という感覚を共有してきたように思います。どの公演(浮狼舎・ハレキャラ・神原組)もそうしてきました。思えば旅一座のようですね。楽しく食べ、楽しく演る。基本です。

 うちは必ず、お誕生日を祝います。誰であれ誕生日が来たら祝います。浮狼舎の「舎」はおうちです。家にいるものは身内(家族)です。祝いもすれば心配もします。不満があって家出をする者もいますが、家があるうちは帰って来れます。衣装・道具を置いている場所がアトリエで、劇団員がいるところがお家(「舎」)です。

 自分のテリトリーを守り過ぎて世間を狭くしちゃわないように、この時期、交友(交遊)を広めましょう。
そして、ざっくばらんに楽しくやりまひょ
                
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朋遠方より来る

2015-12-23 09:50:37 | 日記
 …はずだったんですけどねえ。今夏ハレキャラに出てくれた福井の俳優の安川さん、先週16日に列車の切符まで買って来る気満々やったんですけど、急な仕事が入ってアウトとなりました。残念!奇しくも臨時の忘年会となりました。次回上演、座・九条での「一ツ目の森」決起集会でした。
 安川さん、また来てくださいね。今度は飲みましょう(^₋^)

 私は年末にかけて不義理をしていた方々に逢いに行きます。今日は叔母のところへ。叔父の一周忌に駆けつけられませなんだ

 明日は稽古納め。各々方、ご油断召されるな。
 
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答えは自分の中にある

2015-12-15 23:25:08 | 日記
 最近、巷の若い人たち、隙が多いように思うのですが、何ででしょう?隙だらけです。何にとらわれているのか知らないけれど、やたらと「テンション」に拘り、自分の気分を軽快にしようと躍起になってる。足もとをまるで見ていない。はずみで上げたテンション(本来テンションは強めるものですが)はすぐに落ちる。また躍起になって上げようとする。ご苦労さん、大変やなぁと感心します。

 隙のない人はまるで鏡のようです。その人といると、自分が見えてくるように思えます。その人は何もしていないのにこっちが勝手にうろたえてしまう。きっと自分を見透かされているように感じるのでしょう。でもそれは相手に映った自分だということに気づいていないだけなのです。自分を知りたくば、人と相対さねばなりません(瞑想という手もありますが)。一人部屋でロウソクの灯を見つめていても見えてはきません(誰もそんなんせんか)。

 外に高揚する何かを求めながらも他者との摩擦は避け、自分に何も問いかけようとしないその姿は、目隠しをして全速力で走っているかのように、私には見えるのです。

 毎日、子供のようにはしゃいでいる彼らを見ていて、不思議な気分になるのです。別に嘆いているわけでもなく、呆れているわけでもありません。ただ不思議なだけです。
 
 せめて足もとを、周りを見れば動きが変わるぞというのはおっさんの世迷言なのでしょうか? 
 
  でも、…あんなに隙だらけでええんかな?

                       

 
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雲のジュウザ

2015-12-10 17:17:58 | 日記

 防具をつけていたら隙が生じると自ら防具を壊し最強のラオウと対峙する五車星の一人雲のジュウザ。おなじみ「北斗の拳」の1シーンです。
 
 人は自分がどう見られているかを気にします。どう見せるかにも腐心します。見てくれ、ファッション、立場、地位など。
 演劇は権威の対極にあると思います。表現の自由は権威とは相容れない関係だと。だから俳優である自分がどうあるかは、あるがままというのが自然ではないかと思います。舞台の上では変幻自在ですが、一俳優としてはそのままの「私」でよいと。

 私は、自分をあまり飾りません。ですから人格が出ます。どっちかと言うとむき出しです。それはとても怖いことです。不安もあります。しかし、どう見られようとそれ以上でもなければそれ以下でもない在り方というのは理想なのです。そんな私が舞台で何にでも成れるという可能性が面白いのです。どんなに怖くても裸の自分を常に意識できるから、余計な不安もなく思いっきり自分が出せるのです。自分を守る唯一の防具を壊し、最強最大の相手に挑むジュウザのように。

 かの蜷川幸雄でさえ私たちには権威ではないのです。敬意の対象ではありますが、決してつき従うものではなく競い合う相手なのです。全ての先輩俳優は自分とは地続きの存在だと考えております。いつか追い越す日を胸に、その背中を追っております。死ぬまで競っているのです。例え相手が私を知らなくても、いつか対峙する日が来るやも知れません。その時、少しも物怖じせず挑める自分で在りたいものです。

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