姉とどういうコミュニケーションが必要なのか考えに考えた。担当の看護師さんに尋ねたこともあった。「普段通りのコミュニケーションですよ」「自然なコミュニケーションですよ。」姉が倒れて、脳出血だと思っていたらなんと脳腫瘍、オペの日も迫っている。「普段どおりの自然なコミュニケーション」そんな事できるわけがない。そんな心の余裕なんてない。正直そう思った。姉が旅立って今日で十ヵ月経った。今も考えている。でも最近なんか解ってきたような気がする。姉にとってみれば私は弟にすぎない。ましてやドクターでもない。もちろん脳神経外科のドクターでもない。そんな弟に「脳腫瘍は・・・・・」と説明されても、なんの説得力もない。不快な気分になるだけではないのだろうか?ましてや「絶対助かります」なんて言っても何の励ましにもならない。看護師でもないしカウンセラーでもない。姉の顔を見ながら姉が話すことに耳を傾けじっくり聴いてやるのが一番だろう。分からないことには分からないと答えればいいのではないか、特別に今までの自分と変わった話し方などできるものではないし、かえって姉にとっては気持が悪いのではないか?「応援できることはしますから、何か希望があれば言ってください」。そんなことぐらいしか言えないのではないのか。姉に私ができることを言ってあげた。「入院にかかる費用は任せてください。病気のことはドクターとじっくり相談しましょう。」「貴女を支えてあげるから治療に専念してください。」姉が安心して治療ができるという気持になってもらうことが一番大事なことなのだろうと思います。姉が旅立った後だから今は冷静に考えているし、こうやって書き込みもしている。でも当時は病床の姉を前にして、何を話したら一番いいのか必死で考えていた。姉は目の前にいる。何かを話さなければならない。無理に話しかけることもなかったのではないだろうか。姉の病床の前に座って姉を見守ってやる。姉が眠りから覚めたとき、傍にいてくれた。そういうことで結構安堵するのではないか。時には言葉を交わさなくてもいいのではないか、沈黙の時間も大切な時もある。特別なことをしようとするといつかは無理がでてくる。何か特別なコミュをしようとして右往左往していただけであったのではないか。
家族だからこそ、心地よい沈黙ってあると思います。
ムリに何か話さなくてもいいですよね!きっと相手も気を使って話してるなとわかると思います。
つまんない話をして、沈黙があって、何気ないコミュニケーションが大切だと私も思いました。
すごく理解できました。
母が辛い時にかける言葉は正直ありませんでした。
ただ、傍に居る私の存在を感じて、1人で居る時より安堵していてくれたらと思うばかりでした・・・
これから、もっともっとたくさんの試練にぶつかると思いますが、肩肘張らず自分の出来る事を、
精一杯頑張ろうと思いました
コメント有難うございます。
まひろさんへ
特別なこと、一生懸命どんなことを話せば励みに
なるか考えても、考えることは悪くはないのです
が、本人はきっと見抜いていると思います。それ
はそれで自分のために一生懸命なんだということ
は伝わりますが、本人は笑いを隠しているそんな
ときもありました。見舞いに来るのも正直大変な
んだよって言えるような関係が理想ですがね・・
・・
たけちゃんへ
たけちゃんのブログ拝読しているとゆったりと
ゆったりと空を流れるような雲を目に浮かべま
す。いいですね。自然なコミュニケーション。
chilimiさんへ
姉が旅立ってから気づいている私は正直情けな
いと思います。無理をしない、出来ることを確
実にやっていくことが大切ですよね。長期間に
看護・介護が続きますからマラソンランナーみ
たいな気持が大事になると思います。病気と上
手く付き合っていくそんな視点も必要かと思い
ます。chilimiさんもゆっくりゆっくりでいきま
しょうね。