竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

8月6日は広島市への原子爆弾投下

2013年08月06日 | 日本の歴史
 広島市への原子爆弾投下(ひろしましへのげんしばくだんとうか)では、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分[2][注 1]に、アメリカ軍が日本の広島市に対して投下した原子爆弾(以下『原爆』と記す)に関する記述を行う。
 これは実戦で使われた世界最初の核兵器である。この一発の兵器により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万~16万6千人が被爆から2~4カ月以内に死亡したとされる。

現在の原爆ドーム

<8月6日の朝>
 8月6日は月曜。当時は週末の休みは無く、朝は8時が勤務開始であった。大半の労働者・徴用工・女子挺身隊、および勤労動員された中学上級生(1万数千人)たちは、三菱重工や東洋工業を始めとする数十の軍需工場での作業となった。
 また建物疎開には、中学下級生(数千人)および一般市民の勤労奉仕隊(母親たち)や病気等の理由により徴兵されなかった男子等が参加した。動員は市内の他、近隣の農村からも行われた。建物疎開とは、空襲による類焼を食い止めるために建物の間引きを行う作業である。建物の破壊は軍が行い、瓦礫の処理を奉仕隊が行った。当然、青空の下での作業である。彼等は原爆の熱線を直接、大量に浴びることになる(後述)。
 尋常小学校の上級生児童は昭和20年4月に行われた集団疎開で市を離れていた者が多かったが、下級生児童は市内に留まっていた。児童は各地区の寺子屋学校での修学となっていた。就学以前の幼児は自宅に留まっていた。
8月3日、4日と雨が降ったが、5日以降は高気圧に覆われて天候は回復した。
8月5日は深夜に2回空襲警報が発令され、その度に市民は防空壕に避難したため、寝不足の市民も多かった。この日、市街中心部では米の配給が行なわれ、市民は久しぶりの米飯の食卓を囲んだ。
8月6日の朝の気温は26.7度、湿度80%、気圧1,018ヘクトパスカルであった。北北東の風約1メートル/秒が吹き、雲量8 - 9であったが、薄雲であり視界は良好だった。7時9分の空襲警報で市民は一旦は防空壕に隠れたものの、7時31分には警報解除されたため、外へ出て一日の活動を開始していた。





<原爆投下直後の爆心地>
 広島原爆の爆心地である島病院[現在の広島市中区大手町一丁目5番25号]は、産業奨励館の東側にあり、島病院の上空約600メートルで原子爆弾が爆発した。爆心地500m圏内では閃光と衝撃波が殆ど同時に襲った。巨大な爆風圧が建築物の大半を一瞬にして破壊した。木造建築は全数が全壊した。鉄筋コンクリート建築である産業奨励館は垂直方向の衝撃波を受けて天蓋部は鉄骨を残して消失、一部の外壁を残して大破した。相生橋や元安橋の石の欄干も爆風で飛ばされた。
また強力な熱線により屋外にいた人は、内臓組織に至るまで全身の水分が蒸発・炭化し、遺体が道路などに大量に残された。
 この時、付近を飛行していた日本機があった。兵庫から長崎へ移動中だった第三四三海軍航空隊の紫電改である。搭乗員の本田稔は広島市の上空に着いた直後に爆風をまともに受けて機体が500mも落下、何とか態勢を立て直せたが、広島市が一瞬で消滅していたと証言している。
 爆心地を通過していた路面電車は炎上したまま遺骸を乗せて、慣性力で暫く走り続けた。吊革を手で持った形のままの人や、運転台でマスター・コントローラーを握ったまま死んだ女性運転士もいた。
 爆心地での生存者は極僅かであるため、詳細な実態報告は少ないが、投下直後は一寸先も見えない闇の世界であったという。原子雲と爆風で舞い上げられた大量の粉塵が太陽の光を完全に遮断したためである。その闇の中で、高温に熱せられた木造建築物等の発火が始まった。 この爆心地の生存者で広く知られているのが、広島県燃料配給統制組合の野村英三(当時47歳)である。野村は核爆発の瞬間に燃料会館(燃料会館は爆心直下の島病院や産業奨励館の直近170mに位置している)の地下室に書類を捜しに入っていて難を逃れた。野村の証言によるとこの燃料会館からの脱出に成功したのは8名いたが、その後の消息は現在も不明であるという[17]。野村はその後猛烈な火と煙の中、中島町を北進し相生橋を経て西方面の己斐方面へ脱出、その後、高熱・下痢・歯茎からの出血などの放射線の急性症状で生死をさまようが奇跡的に一命を取り留め、爆心地の状況を知るほぼ唯一の生存者として1982年6月に亡くなるまで、貴重な証言を残している。


<大本営発表>
 6日8時30分頃、呉鎮守府が大本営海軍部に広島が空襲を受けて壊滅した旨を報告した。続いて10時頃には第2総軍が船舶司令部を通じて大本営陸軍部に報告した。加えて、昼過ぎには同盟通信からも特殊爆弾により広島が全滅したとの報を受けた大本営は、政府首脳にも情報を伝え、午後早くには「広島に原子爆弾が投下された可能性がある」との結論が出された。夕刻には蓮沼蕃侍従武官長が昭和天皇に「広島市が全滅」と上奏した。大本営は翌7日15時30分に報道発表を出した。

<日本政府の抗議声明>
 日本政府は8月10日、スイス政府を通じて下記のような抗議文を米国政府に提出した。
本月六日米国航空機は広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し瞬時にして多数の市民を殺傷し同市の大半を潰滅せしめたり広島市は何ら特殊の軍事的防備乃至施設を施し居らざる普通の一地方都市にして同市全体として一つの軍事目標たるの性質を有するものに非らず、
 本件爆撃に関する声明において米国大統領「トルーマン」はわれらは船渠工場および交通施設を破壊すべしと言ひをるも、本件爆弾は落下傘を付して投下せられ空中において炸裂し極めて広き範囲に破壊的効力を及ぼすものなるを以つてこれによる攻撃の効果を右の如き特定目標に限定することは技術的に全然不可能なこと明瞭にして右の如き本件爆弾の性能については米国側においてもすでに承知してをるところなり、
 また実際の被害状況に徴するも被害地域は広範囲にわたり右地域内にあるものは交戦者、非交戦者の別なく、また男女老幼を問はず、すべて爆風および輻射熱により無差別に殺傷せられその被害範囲の一般的にして、かつ甚大なるのみならず、個々の傷害状況より見るも未だ見ざる惨虐なるものと言ふべきなり、
 抑々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与ふべき兵器、投射物其他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約附属書、陸戦の法規慣例に関する規則第二十二条、及び第二十三條(ホ)号に明定せらるるところなり、
 米国政府は今次世界の戦乱勃発以来再三にわたり毒ガス乃至その他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の与論により不法とせられをれりとし、相手国側において、まづこれを使用せざる限り、これを使用することなかるべき旨声明したるが、米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において従来かかる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器を遙かに凌駕しをれり、
 米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民家などを倒壊または焼失せしめたり、
 而していまや新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり帝国政府はここに自からの名において、かつまた全人類および文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す


原爆投下前


原爆投下後

 改めて戦争の悲惨さを痛感させられました。二度と同じ過ちをおかしてはいけないことを心に固く誓って・・・戦争でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。(黙祷)



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松阪市民病院 視察

2013年08月06日 | 行政視察&要望活動・研修勉強会
8月5日(日)
 今日は、20年間連続赤字に悩んでいた、松阪市民病院が21年目(平成21年度)にして黒字となり平成24年度見込額で4年連続黒字に転換した、”病院経営改革と意識改革”<経営効率化の取組についてを視察させて頂きました。
 松阪市民病院では、平成22年4月に総合企画室を設置。
<総合企画室の業務>
・全ての改革・改善に関与
・経営改善(陰陽直轄でスピード重視)将来構想の策定 *ホームページで公表→公表することにより実施を担保
・収入目標値の設定、実施管理(70.4億円24年度)*24年度実績 71.9億円
・節減目標値の設定、実施、管理(1.5億円23年度)
・医事業務等の直営化(改革の1丁目1番地)
・事務組織の見直し
以上の業務をこなしつつ、会議は隔週1回=幹部会と連動、幹部会 毎周金曜日(午前8時~9時)さらに会議は1時間を越えて行わない。

<まとめ>
・医事課には人事権、予算権はないが病院収入の面から病院経営に大きく貢献(プライド)
・高いモチベーションとプライドが持てる処遇
・医事課は毎日が戦争、戦場に優秀な人員を投入することが必要
・診療情報管理士の資格を各部門で取得

医事課とは、医療に関する請求事務を扱う部署で、病院に来院した方が最初に対応するのが医事課の職員です。
 業務内容は受付や電話対応、診療費(入院・外来)の計算、診療報酬明細書(レセプト)を社会保険や国民健康保険保険等に請求を行うことが主な部署です。



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