【あか寺】
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寺町の興福寺にやって来ました。
長崎で最も大きいとされる山門。
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5/24から6/12まで「紫陽花季」ということで、境内には紫陽花が飾られ、イベントが開催されます。
紫陽花を観賞するついでにといってはなんですが、興福寺の歴史を勉強しましょう。
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興福寺は、国内最初の黄檗禅宗(おうばくぜんしゅう)の唐寺。
中国·明の商人が長崎と行き来を始めた頃に渡来した中国人·眞圓が、1620年頃に航海安全を祈念し船神·媽祖(まそ)を祀る小堂をかまえたのが始まり。
眞円の後には、眼鏡橋を架けたと言われる第二代黙子如定(もくすにょじょう)、三代の逸然は1654年に、明の福建省黄檗山万福寺の隠元禅師を招きました。
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○山門
県指定有形文化財。
この山門は1690年に再建されたもので、総朱塗り。この門が赤いことから興福寺は「あか寺」と呼ばれるとか。
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入場には拝観料がかかります。大人300円、中高生200円、小学生100円。
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入場するとすぐに隠元禅師の像が。隠元さんはインゲン豆やごま豆腐、丸テーブルなどを伝え、日本人の生活に多大な影響を与えたと言われます。
興福寺の象徴なんですね。
【中国との繋がりが色濃く残る境内】
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境内にはさっそく紫陽花。
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○大雄宝殿(本堂)。
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○大雄宝殿(本堂)。
国指定重要文化財。1632年、第二代住職黙子如定が建立。1689年に一度再建。1883年に二度目の再建。
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大雄宝殿の「氷裂式組子の丸窓」。原爆の爆風で倒壊しましたが、時間をかけて修繕が施されたそうです。
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○媽祖堂。
県指定有形文化財。船神·媽祖を祀る御堂。航海する中国の船は、船上でも媽祖小像を祀り、長崎に停泊の際はこの御堂に安直したそうな。
県指定有形文化財。船神·媽祖を祀る御堂。航海する中国の船は、船上でも媽祖小像を祀り、長崎に停泊の際はこの御堂に安直したそうな。
現在の長崎ランタンフェスティバルでは「媽祖行列」として伝えられていますね。
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○鐘鼓楼。
県指定有形文化財。上は梵鐘と太鼓、下は禅堂。梵鐘は第二次大戦で鉄として供出され、長らく鐘はない状態でしたが、2021年に福建省から贈られたとのこと。
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鐘鼓楼の屋根の隅鬼瓦は、南側(内向き)に大黒天、北側(外向き)には文昌帝君が。「鬼は外、福は内」という意味があるそうです。
(「ヒロスケながさき100のひみつ」参照)
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○魚板(ケツギョ)。
僧侶たちの飯時を告げるために叩く板。何百年も叩かれてお腹の部分が凹んでいます。これは雄。
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こちらが雌だそうです。
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○三江会所門(さんこうかいしょもん)。
県指定有形文化財。
江南·浙江·江西三省出身者が明治初期に設立した集会所。原爆で大破し門だけ残る。豚よけの高い敷居が中国風。豚が放し飼いにされていたんですね。
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○中島聖堂遺構大学門。
県指定有形文化財。
儒学者向井元升が東上町に設立した学舎立山書院が、中島川沿いに再建され、中島聖堂と呼ばれました。1959年に保存のために興福寺境内に移築。
○旧唐人屋敷門
国指定重要文化財。唐人屋敷内に現存した門を1960年に保存のために移築。
写真撮り忘れました。
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紫陽花で心を穏やかにしつつ、興福寺の歴史に想いを馳せました。
【興福寺と眼鏡橋の関係】
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興福寺から中島川の眼鏡橋に足を伸ばします。眼鏡橋でも紫陽花が飾られています。
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興福寺から中島川の眼鏡橋に足を伸ばします。眼鏡橋でも紫陽花が飾られています。
国指定重要文化財。
我が国最初の石造りアーチ橋で、1634年に興福寺の第二代住職黙子如定によって架けられました。
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橋のそばには黙子如定の像があります。笠がかぶせられたのはおそらく最近です。
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現在の眼鏡橋は1634年のものではなく、度重なる水害による崩壊で、再建を重ねたもの。しかし、今では周辺も公園として整備され、水害に怯えることなく、紫陽花を楽しみ、歴史を感じることが出来ます。
そんな、梅雨の前のひとときでした。