長崎ぺんぎん日和

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紫陽花を眺めながら興福寺と眼鏡橋の繋がりを感じる梅雨の前のひととき

2022-06-04 21:00:00 | 長崎ぶらぶら
【あか寺】

寺町の興福寺にやって来ました。

長崎で最も大きいとされる山門。



5/24から6/12まで「紫陽花季」ということで、境内には紫陽花が飾られ、イベントが開催されます。

紫陽花を観賞するついでにといってはなんですが、興福寺の歴史を勉強しましょう。



興福寺は、国内最初の黄檗禅宗(おうばくぜんしゅう)の唐寺。

中国·明の商人が長崎と行き来を始めた頃に渡来した中国人·眞圓が、1620年頃に航海安全を祈念し船神·媽祖(まそ)を祀る小堂をかまえたのが始まり。
眞円の後には、眼鏡橋を架けたと言われる第二代黙子如定(もくすにょじょう)、三代の逸然は1654年に、明の福建省黄檗山万福寺の隠元禅師を招きました。



○山門
県指定有形文化財。
この山門は1690年に再建されたもので、総朱塗り。この門が赤いことから興福寺は「あか寺」と呼ばれるとか。



入場には拝観料がかかります。大人300円、中高生200円、小学生100円。



入場するとすぐに隠元禅師の像が。隠元さんはインゲン豆やごま豆腐、丸テーブルなどを伝え、日本人の生活に多大な影響を与えたと言われます。
興福寺の象徴なんですね。



【中国との繋がりが色濃く残る境内】

境内にはさっそく紫陽花。



○大雄宝殿(本堂)。
国指定重要文化財。1632年、第二代住職黙子如定が建立。1689年に一度再建。1883年に二度目の再建。



大雄宝殿の「氷裂式組子の丸窓」。原爆の爆風で倒壊しましたが、時間をかけて修繕が施されたそうです。



○媽祖堂。
県指定有形文化財。船神·媽祖を祀る御堂。航海する中国の船は、船上でも媽祖小像を祀り、長崎に停泊の際はこの御堂に安直したそうな。
現在の長崎ランタンフェスティバルでは「媽祖行列」として伝えられていますね。


○鐘鼓楼。
県指定有形文化財。上は梵鐘と太鼓、下は禅堂。梵鐘は第二次大戦で鉄として供出され、長らく鐘はない状態でしたが、2021年に福建省から贈られたとのこと。



鐘鼓楼の屋根の隅鬼瓦は、南側(内向き)に大黒天、北側(外向き)には文昌帝君が。「鬼は外、福は内」という意味があるそうです。
(「ヒロスケながさき100のひみつ」参照)
















○魚板(ケツギョ)。
僧侶たちの飯時を告げるために叩く板。何百年も叩かれてお腹の部分が凹んでいます。これは雄。



こちらが雌だそうです。



○三江会所門(さんこうかいしょもん)。
県指定有形文化財。
江南·浙江·江西三省出身者が明治初期に設立した集会所。原爆で大破し門だけ残る。豚よけの高い敷居が中国風。豚が放し飼いにされていたんですね。



○中島聖堂遺構大学門。
県指定有形文化財。
儒学者向井元升が東上町に設立した学舎立山書院が、中島川沿いに再建され、中島聖堂と呼ばれました。1959年に保存のために興福寺境内に移築。


○旧唐人屋敷門
国指定重要文化財。唐人屋敷内に現存した門を1960年に保存のために移築。
写真撮り忘れました。



紫陽花で心を穏やかにしつつ、興福寺の歴史に想いを馳せました。



【興福寺と眼鏡橋の関係】

興福寺から中島川の眼鏡橋に足を伸ばします。眼鏡橋でも紫陽花が飾られています。

国指定重要文化財。
我が国最初の石造りアーチ橋で、1634年に興福寺の第二代住職黙子如定によって架けられました。



橋のそばには黙子如定の像があります。笠がかぶせられたのはおそらく最近です。



現在の眼鏡橋は1634年のものではなく、度重なる水害による崩壊で、再建を重ねたもの。しかし、今では周辺も公園として整備され、水害に怯えることなく、紫陽花を楽しみ、歴史を感じることが出来ます。


そんな、梅雨の前のひとときでした。