今も新しい
冬の間は「腕時計」を持ち歩かなかった。特別理由はないけどすこし薄着になって来たのでまた左腕につける。SEIKO社製裏蓋にcasing in swezerlandの刻印。1979年10月韓国ソウル某ホテル在職記念に頂戴した時計。今も問題なく動きを続けている。
「秒単位」で仕事をするテレビ・ラジオの人もいるが、大方の人は「分単位」。今の私は「時単位」でのんびり生活。腕時計が無くてもケイタイもあり、今は何処へ行っても時間を知ることは出来、腕時計を必要としない、アクセサリー的存在。2千円の腕時計でも200万円の品でも1分60秒、1時間60分、高価な時計持っても1日25時間にはならない、安物でも時間が分かればそれで良い。
その「時間」を知る、、、
・「河出文庫・古代ローマ人の24時間」に「アウグストゥス帝の時代」エジプトから運ばれてきた「オベリスクの日時計」は世界最大で、今も遺跡としてローマにあるそうだ。ネットで調べたら画像があった。
時間を知るには、昔は、日時計 砂時計 水時計 香盤時計 ローソク時計などがあった。江戸市民は市内の数か所で鳴らす「時の鐘」で時間を知り、武士はお城の太鼓の音で登城時間を知った。子供の頃はお寺の鐘も正午と夕方に鳴らした。
童謡「夕焼け小焼け」
♬夕焼小焼で 日が暮(れて
山のお寺の 鐘がなる
お手々つないで 皆かえろ
烏と一緒に 帰りましょう
今は全国内各所のスピーカーからその土地の「音」が流れてきて、早く家へ帰れと無言の圧力?をかけてくる。
明治4年から正午を知らせる合図に「大砲」をどんと撃った、「どん」が鳴れば昼ごはんの時間だ。私の子供の頃は昼12時にサイレンが鳴った。サイレンと半鐘の鐘の断続音は「火災発生」。戦時中のサイレンは「敵機襲来・警戒警報・空襲警報」で嫌な音だった。
柱時計・掛け時計が家にあるのが当たり前になり、昼のサイレンも無くなり、遠くの工場の始業終業時間に鳴った。そういえば当時は「腕時計」を持っている人なんて少なく、腕時計・懐中時計は「大人」になった証拠だった。
時間を気にしながら生きていくのは時間に束縛されている気がする、人により時間を無駄にしているか有効に使うかは自由だが、過ぎ去った時間は永久に再び帰ってこない。そうは言うが、歳を取ったいま、時間を気にしないで生きて居るのは、何とも言えない自由で幸せ感がある。