夕焼け金魚 

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春日堤の戦い  

2012-11-16 | 創作
元亀元年(1570)九月十二日夜半。
 摂津海老名の砦を囲んでいた織田軍は、突然鳴り響いた早鐘の音に起こされた。
 真っ暗闇の森の中から、静かに低く念仏の声が響く。
「本願寺、一向宗が我等に刃向かってきた」
「夜戦の準備をしろ、攻めて来るぞ」
 織田軍は、突然の本願寺からの攻撃に混乱の極みに達した。篝火が倒れ、織田の陣から炎が上がった。それを合図のように、回りから一斉に鉄砲が撃ち込まれた。たちまち海老名砦を囲んでいた稲葉一徹と平手献物の陣は、総崩れとなった。おりしも昨日からの雨のため、増水していた淀川の堤防を、岩成の兵が切ったため、織田軍に増水した水が襲いかかってきて稲葉・平手の軍は甚大な被害を出して総退却した。
「下間殿、これはいかなる仕儀でござるか」
 本願寺参謀の本多正信が、海老名の急を聞いて早馬にて駆けつけてきた。
「これは、正信殿。織田が我等の使者、光如殿を無法にも斬り殺し、しかも海老名に逃げ込んでいる。我等が門徒の家族の退去を認めないので、やむをえず威嚇の攻撃をしたら、慌てふためいて同士討ちを始めただけでござるよ」
「そのようなことで鉄砲を撃ち込んだのでござるか」
 正信は腕組みしてその場に立ちつくした。
 翌日、織田信長より使者が来た。
「今度の戦いは、将軍義昭様と三好との戦でござる。本願寺殿とは弓矢を交えるつもりはござらぬ。戦場故の不祥事があれば、後日成敗いたすので、速やかに引き取っていただきたいとの申し状でござる。何卒、本願寺殿には兵を引き上げていただきたい」
 海老名で甚大な被害を出した稲葉一徹の使者であった。
「織田殿とは、弓矢をもってお相手申し上げる。早々にお引き取り下さい」
 下間仲孝は、高らかに言い放った。
 本願寺は、用意周到にこの日を準備していた。越前・朝倉に早々に使者を立て、在阪の門徒を公式に集めだしたのであった。
 翌14日、織田信長は淀川の春日井堤近くで、本願寺の勢力と遭遇した。
「これは、正信殿。いかが致します」
「戦うのみでござる」
 真一文字に結んだ唇が僅かに震えていた。織田軍の先陣は、正面に佐々成政、右翼に中野又兵衛、左翼に野村貞常の布陣であった。正信は、まず農民兵を前面に出して攻撃を始めた。近隣の農民兵は良く戦ったが、所詮農民であるため、暫くすると隊列も崩され、一斉に退却を始めた。
「正信、農民共では、やはり無理でござる。このまま総崩れとなれば、そこもとの責任でござるぞ」
「心配ござらぬ、織田と戦うと成れば、最初の一撃で、信長の首をとるつもりで仕掛けねば成りませぬ」
 正信は、いまや総崩れとなって次々と打たれる門徒衆を黙ってみていた。
 佐々の軍が門徒を、追撃して河原の中程まで攻め込んできたとき、横合いから突然鉄砲のつるべうちが始まった。雑賀の鉄砲集団であった。各人が二つ名で呼ばれる鉄砲名人である。佐々の侍大将が、次々と鉄砲に討ち取られていった。すこし遅れて進行していた左翼の野村越中守が、この陣に果敢に弓を撃ち込んで、反撃を試みた。
 野村越中守が横手の陣に気を取られているとき、佐々の軍を攻撃していた雑賀嶌四与郎が、無防備になった野村に襲いかかった。
 野村越中守は本願寺軍が農民中心の兵だと思い、まさか本願寺から切り込まれるとは、思いもよらなかった。
「これは、農民兵ではない」と気づいた野村越中守は、その時には数十の槍先に囲まれていた。馬が棹立ちになって、野村越中守が振り落とされて、泥水が顔にかかった。
 次の瞬間野村越中守は、数本の槍先に突き刺されて、空中に持ち上げられていた。
「野村越中守、撃ち死に」悲壮な声が信長の耳に届いた。
「む、これまでじゃ、引き上げるぞ」
 信長の戦略の中には、本願寺の参戦は織り込んでいなかった。自分の想像以上の自体に陥ったとき、信長はためらわず引き上げる事にしている。無理に攻撃を継続して傷口を広げるようなことは生涯一度もなかった。
「おお、正信殿、織田が引き上げますぞ」
「さよう、危ういと思えば直ちに引き上げます。退却することになんの恐れも抱かない武将、それが信長でござる。ゆえに、強いのでござるが」
「なんの、これしきで、逃げるようではとても我等の敵ではないと考えるが」
 下間中孝は、織田と戦闘を始めたことに自信を深めていた。
「この戦、1年程でケリがつきそうでござるな」
「なんの、そのような考えでは10年経っても終わりませぬ」
 正信は、総崩れとなった織田軍を追って、進む一向宗の軍を見ながら、この勢いが何時まで続くであろうかと考えていた。

 河原での戦闘で、先陣の佐々成政軍が本願寺軍に取り囲まれるようにして、苦戦をしているのを堤の上から見ている武将がいた。
第二陣の前田利家であった。
「又兵衛、成政がたいそう苦戦しておるの」
 利家の馬の轡を取っている村井又兵衛に、話しかけた。
「はっ、佐々殿もしてやられておるようで、どうやらただの農民兵ではないようです」
「なかなかの切れ者がおるようじゃなあ」
「で、殿様。どうなさいますか、織田の殿からは総引きの命令が出ております。逃げるのでしたら、そろそろかと思いますが」
「どうしたものかな」
「決断はお早めが肝要かと」
「それでは止めた。儂は佐々に背中を見られるのが嫌いじゃ。見せつけるのは好きなのだが。先陣争いをして、あやつより先に行くことは好きじゃが、あやつより先に逃げるのは死ぬより嫌じゃ」
「それは困りましたな。死ぬより嫌いな事は、できませんな。では、ここで死にますか。」
「うむ、その方がいいな。ここは見晴らしがよい。万余の軍の前で我が名を挙げられるのは、武士の誉れよ。それに、ここだと織田の殿様の逃げっぷりも見物できるのでな」
利家が馬の首を叩きながら、にやりと笑った。
「では、私も少し準備しておきましょうか」村井が、太刀を抜くと二度ばかり軽く振ってみた。胴の太い先陣刀である。短くしてスピードが出るよう工夫してある。
利家が堤の上で輪乗りをしている横を、佐々軍が退却してきた。
「又左衛門、何をしておる。総引けの命令が出ておるのに、こんな所で何をしておる。さっさと逃げぬか」
「これは、佐々殿。我が殿は織田に総引けの合図など無いと申されます。先陣が早々に戦場を明け渡すなら、我等が一揆軍をお引き受け申します。早くお逃げになるがよろしいかと」
 村井は、利家が言えば家と家との争いになることを、自ら言うことで利家の意を成政に伝えていたのであった。
「そのような戯れ言を、お主が考えておるより本願寺は強いぞ。時期を逃しては退却もできないぞ」
「では、早くお逃げなされ」
 村井が佐々の馬尻を、思い切り刀の鞘で叩いたので、佐々の馬は一目散に駆け出していった。佐々成政が、馬から落ちまいと必死にしがみついている姿を、利家と又兵衛が声を上げて笑った。
 佐々成政が、見えなくなって急に回りが静かになった。左右に陣を構えている前田の将兵から笑い声も、話し声もなくなっていた。風の音のみが、耳に聞こえてきていた。
次の瞬間、河原の雑草から湧き出てくるように、念仏の声が響き、黒い集団が堤に向かって動いてきた。本願寺軍である。
「この数は凄いな。我等の軍勢よりも多いのではないか」
「御意、織田の殿様も今度はしくじりましたかな。これは少々やっかいな戦が続きそうですな」
 利家と村井は、眼下に広がる河原を埋め尽くす軍勢を何の気概も持たずに眺めていた。
河原から盛り上がっている堤防のところで、本願寺の軍が止まった。
「どうした、何をしておる。早く進まぬか」
 下間仲孝は、突然立ち止まった先陣に、声を荒げた。
「織田にも、豪の者がおるようで、あの堤の上で馬に乗って槍を振るっておる者の為、全軍の歩みが止まったのでござる」
「我こそは織田の家臣、前田又左衛門利家。我はと思う者は、我が槍と勝負してみよ」
 堤防の上で、輪乗りを続ける長身の武将に威圧され、本願寺全軍が堤のところで止まってしまった。金色の鯰尾の兜が、キラキラと沈む夕日を背にして輝いていた。
 本願寺軍の中からも、豪の者が堤防に駆け上がって、一斉に利家に襲いかかった。
ビューっと槍が彼等の目の前を一閃した。思わず立ち止まる彼等に、馬の陰から一人の男が飛び出してきて、本願寺方の侍に手傷を負わして馬の陰に隠れる。利家の股肱の臣であった村井又兵衛であった。村井は後年村井流小太刀の開祖となる兵法者であった。
「利家、槍が波打ってござるぞ、もはや息切れでござるか」
「なんの、又兵衛こそ、足が動かぬではないか。修練が足らぬようじゃな」
 命のやりとりを行っている場で、二人は相変わらぬ戯れ言を言い合っていた。しかし、槍の動きは益々早くなり、村井の小太刀は確実に手傷を負わせていた。村井は相手をしとめるのではなく、利家に近づけないように太刀を振るっていたのであった。
 ぴったり息のあった二人の連携に、次々と本願寺の武士が討ち取られていった。この二人の活躍によって、かろうじて堤防の所で織田軍は踏みとどまっていた。
「何をしておる。あのような者、鉄砲で撃ち取れば良いではないか」
「いや、身を晒して槍のみで戦う者を撃つ鉄砲打ちは、雑賀におらぬ」
「では、もっと大勢の者で一斉に襲ってしまえば良いではないか。何を見ておるのか」
「それが、本願寺軍の弱さでござる。皆、防衛戦では果敢に戦うが、追撃戦になると急に臆病になるのです。人の前に出て晴れがましく人を殺すなんてできないのですよ」
 正信は本願寺軍の弱さも強さも熟知していた。もし、本願寺軍に織田軍なみの追撃能力があったならばと、何度思ったことか。しかしもしその能力があれば、これほどの防衛能力は発揮できないとも考えていた。
 前田利家の活躍により、一息ついた織田軍は、一度退却した織田軍の中からも、引き返してくる者が現れた。毛利河内守以下の兵が駆けつけてきて、織田軍は何とか春日堤の戦いで面目を失わずに京へと引き上げた。
元亀元年四月三十日の金崎撤退以来の総退却であった。
『三州志』には、「槍の又左の名に恥じぬお犬働き、天晴れであった」と信長が天下一の槍と激賞して、利家に1万石を与えたとある。


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