神社での絵馬の絵付けが軌道に乗って来た頃であった。ある日、勘兵衛の長屋に前田慶次郎利益が現れた。
「勘兵衛、元気か」
大きな図体を畳むようにして勘兵衛の長屋に現れた慶次郎は、愛馬松風から身を乗り出すようにして勘兵衛の長屋を覗き込んだ。
「無礼者が、馬から降りて挨拶するのが礼儀であろう」
「いやにむさ苦しいところに住んでおるではないか、勘兵衛らしいが」
「むさ苦しいところは余計であろうが」
勘兵衛が苦々しく答えるのを聞いて、とみが裏から出てきた。
「これは慶次郎様、こんな小さなあばら屋によくぞお越しくださいました」
「これは富殿、まさに芥溜めに白鳥の如く、相変わらずお綺麗でござる」
「お口の上手い、その手で何人の女を惑わせたか、勘兵衛が妻であることをお忘れなく」
「これは軽率なことを、勘兵衛の鑓に追い回されては叶わぬ」
「何を言うか、松風でさっさと逃げるのに決まっておる癖に、一度ゆっくり鑓合わせしたきものじゃが」
「それは困る、勘兵衛の掛け声は耳に残るのでな、眠れぬ日々は富殿を想うだけで一杯じゃ」
「ぬかせ、それより何用じゃ」
「実は、儂も又左衛門が嫌になって前田家より、抜けてきたのだが、儂が抜けるというと末森の衆がどうしても勘兵衛の所に持って行ってくれというので、厄介な荷物を持ってきた」
慶次郎が無造作に投げ出すとドスンという音と共に、畳の上で革袋が何度か踊って、革袋の口が開いて、キラキラ光る石が何個かこぼれ落ちた。
「重くて叶わぬが、何かと便利なものゆえ、置いて行くわ。多くあっても困る物でもなかろう」
「これは」
「金とか言う面倒なものじゃが、これで富殿に似合う着物の一枚でも揃えてやれ」
「こんなにあれば、着物どころか屋敷でも買えるわ」
「まぁ、好きに使えや、これで暫くは神社で絵馬を売るような真似をしなくても良いであろう、大きな体で絵筆を舐め舐め、ちっこい絵馬を書いているなど、おかしい限り」
「言うか、絵馬は儂の余技よ」
「ところで、今日は暇か」
「暇じゃよ、今日はお主のおかげで絵馬を売りに神社に行かずともよくなったおかげじゃが」
勘兵衛は傍らの革袋をポンポンと叩いた。
「実は、賤ケ岳に参加した者が集まって、宴を催そうと言っておるのじゃが、残念ながら儂はその戦には出ておらぬので、お主を連れていって一杯飲もうという魂胆じゃ、どうじゃつき合え」
当時仕官を志す者は、人伝えに自分の経歴等を吹聴するのであったが、それが一人の言であると、疑われるためそのいくさに参加したという者を何人も集めて自慢話をさせ、本当か否か確認するための宴席が催されたのである。
是によって本人の言が真実か否かを判断して、仕官させるか否か考えるのであった。それゆえこのような自慢話の宴席に参加していないと、その者の言葉だけでは信用されなかったのである。
そのため仕官する方便として、同じ戦場で鑓を合わせた者を集めて宴を開くことがあった。
宴席は、下京の呉服問屋の離れで行われていた。言うなればこの呉服屋がスポンサーで呉服屋の縁続きの者が仕官するために催される宴であった。
勘兵衛と慶次郎が宴席に着いた頃は、とっぷりと日も暮れて、蝋燭の明かりが明々と座敷を照らしていたのであった。しかし、座敷の中からは咳一ツせず、静まり返っていた。
大きな戦場では色々なところで合戦が行われていて、此処に集まった者はお互いを確認できないでいた。
「遅くなって相済まぬ、これが加賀の三鑓の一人由比勘兵衛でござる。いくさ場では甲高い声でリャリャと声を掛けるゆえ、どこにおっても声だけは聞こえるという便利な御仁じゃ」
慶次郎の挨拶で今までの静寂が嘘のように座が騒がしくなった。
「おお、あの甲高い掛け声か、身共は柴田殿の配下におったが、あの声を聞くと無性に勇気が涌いてきたものじゃったが、そうかあの声は貴殿の声か」
「おお、儂も聞いた。何とも甲高い声で、失礼ながらどなたかの絶叫かと思い、思わず手を合わせたものです」
「おいおい、酷い御仁もおるわ、儂の鑓合わせの声じゃぞ」
根が陽気な勘兵衛の声で、たちまち座敷が騒がしくなった。
みんなが聞いたことがあると言えるので、一気に各人のいくさ場での存在が確認でき、各人が自慢話を活発に話すようになった。
「賤ケ岳のいくさ場においては、大ヌル山の又左衛門のせいで敗走となった。佐久間玄蕃が尻払いをしながら退却しているときに引き上げるものだから、一気に柴田勢が敗走することになり申した」
勘兵衛も自分の鑓合わせの話を多少の脚色を交えて話し始めた。
言うは勘兵衛の噂どおりの話しぶりで宴席にいた者の口を軽くしていった。
「退陣はしんがりがむずかしゅうて、被害も大きいと聞くが」
「さよう前田も大勢の死傷者を出しながらの難しい退き陣であったが、味方の者と心を一つにして繰引き繰引き、そして時には打ち出して渡り合って退いたものじゃ」
「そのいくさで、目に付いた者はおりましょうや」
「儂の目についた者がお一人ござる」
「それは」
「どこの御家中かは分からぬが、胴は当世風の二枚胴で中央に八幡大菩薩が色鮮やかな朱色で書き込まれ、甲の前立てに金の蜻蛉をあしらった武将がおった。この者が一番記憶に残っておる」
「その方は強かったで、ござるか」
「強いのもそうであったが、いつまでも食い下がってきおって我等は、難渋した覚えがござる」
「さて、金の蜻蛉の前立てとは、杉浦殿、確か貴殿も金の蜻蛉の前立てを付けておったとか」
「いかにも、拙者賤ケ岳のみぎりには、先の大和大納言殿の配下として金の蜻蛉の前立てを付けておりもうした。先ほどからの話から拙者のことかと思い聞かせていただいた」
「是は奇遇」
「拙者の覚えでは、前田家のしんがりで一際甲高い声で鑓を振るわれる御仁がおられた。そのものは、二枚胴に勘の一文字を朱色で描き、栄螺の甲で我等と何度も鑓先を交えた覚えがござる」
「おお、まさに拙者でござる。栄螺の兜は由比家伝来のもので縁起良き兜として、伝わってござる」
勘兵衛は同好の士を見つけたかのように、盃を進めたがやんわりと断られた。
「しかし、拙者の覚えでは我等追撃に際しては、一歩たりとも引いたことはござらん。貴殿の話では、何度か切り込み我等を引かせたと言われるが、ちと儂の覚えているのと違うのではと感じておった」
杉浦彦兵衛の話しぶりは、勘兵衛と違い興奮した様子もなく、淡々と語るゆえ真実味が増し勘兵衛の話が面白いだけに脚色された部分が多いように思われ、酒宴の席に気まずい雰囲気が漂った。
「ハッハッハッハッハッ」
慶次郎の高笑いが部屋中に響いた。
「まるで稚児のような事を申して、繰り引き繰り引き時に押すのは兵法の常道、攻める場合においても同じ事、それを一歩も引いたことはないなどと兵法の知らぬ童ならいざ知らず、賤ケ岳でお互い相手を覚えるような戦をした者が言う言葉とは思えぬ。相手に合わせて咄嗟に動く体の動きならば、細部まで覚えておらぬも道理のこと。お互いの健闘を讃えれば良いことであろうが」
慶次郎が、笑いながら杉浦彦兵衛を抱きかかえるようにして、酒を勧めれば彦兵衛も打ち解け酒を煽るように飲み干すのであった。
「これは、儂としたことが知たり顔でつまらぬ事を言ってしまった。慶次郎殿の申すとおり戦場では兵法に従い身体が自然と動き、細部まで覚えておらぬこと、相済まぬ事を申してしまった」
同じ戦場で、命を懸けた者同士、すぐに打ち解け酒を酌み交わす間となった。
この日の話は、すぐに近隣の大名衆の耳に入り、この宴会に参加していた者、何人かが大名家に召し抱えられることになった。
勘兵衛は、逆の意味で参加者の話を裏付ける証人となっていた。
あの加賀の前田家から奉公構えの出ている勘兵衛が、拙者のことを知っていたと言うことが、本人の武勇の証明になっていた。
後日、この話を聞いた勘兵衛は、またも慶次郎にしてやられた。
「儂がまだ仕官できないのに、他人の世話をするとは」と悔しがった。
勘兵衛がチマチマと絵馬を書く日々が、もう少し続くのであった。
「勘兵衛、元気か」
大きな図体を畳むようにして勘兵衛の長屋に現れた慶次郎は、愛馬松風から身を乗り出すようにして勘兵衛の長屋を覗き込んだ。
「無礼者が、馬から降りて挨拶するのが礼儀であろう」
「いやにむさ苦しいところに住んでおるではないか、勘兵衛らしいが」
「むさ苦しいところは余計であろうが」
勘兵衛が苦々しく答えるのを聞いて、とみが裏から出てきた。
「これは慶次郎様、こんな小さなあばら屋によくぞお越しくださいました」
「これは富殿、まさに芥溜めに白鳥の如く、相変わらずお綺麗でござる」
「お口の上手い、その手で何人の女を惑わせたか、勘兵衛が妻であることをお忘れなく」
「これは軽率なことを、勘兵衛の鑓に追い回されては叶わぬ」
「何を言うか、松風でさっさと逃げるのに決まっておる癖に、一度ゆっくり鑓合わせしたきものじゃが」
「それは困る、勘兵衛の掛け声は耳に残るのでな、眠れぬ日々は富殿を想うだけで一杯じゃ」
「ぬかせ、それより何用じゃ」
「実は、儂も又左衛門が嫌になって前田家より、抜けてきたのだが、儂が抜けるというと末森の衆がどうしても勘兵衛の所に持って行ってくれというので、厄介な荷物を持ってきた」
慶次郎が無造作に投げ出すとドスンという音と共に、畳の上で革袋が何度か踊って、革袋の口が開いて、キラキラ光る石が何個かこぼれ落ちた。
「重くて叶わぬが、何かと便利なものゆえ、置いて行くわ。多くあっても困る物でもなかろう」
「これは」
「金とか言う面倒なものじゃが、これで富殿に似合う着物の一枚でも揃えてやれ」
「こんなにあれば、着物どころか屋敷でも買えるわ」
「まぁ、好きに使えや、これで暫くは神社で絵馬を売るような真似をしなくても良いであろう、大きな体で絵筆を舐め舐め、ちっこい絵馬を書いているなど、おかしい限り」
「言うか、絵馬は儂の余技よ」
「ところで、今日は暇か」
「暇じゃよ、今日はお主のおかげで絵馬を売りに神社に行かずともよくなったおかげじゃが」
勘兵衛は傍らの革袋をポンポンと叩いた。
「実は、賤ケ岳に参加した者が集まって、宴を催そうと言っておるのじゃが、残念ながら儂はその戦には出ておらぬので、お主を連れていって一杯飲もうという魂胆じゃ、どうじゃつき合え」
当時仕官を志す者は、人伝えに自分の経歴等を吹聴するのであったが、それが一人の言であると、疑われるためそのいくさに参加したという者を何人も集めて自慢話をさせ、本当か否か確認するための宴席が催されたのである。
是によって本人の言が真実か否かを判断して、仕官させるか否か考えるのであった。それゆえこのような自慢話の宴席に参加していないと、その者の言葉だけでは信用されなかったのである。
そのため仕官する方便として、同じ戦場で鑓を合わせた者を集めて宴を開くことがあった。
宴席は、下京の呉服問屋の離れで行われていた。言うなればこの呉服屋がスポンサーで呉服屋の縁続きの者が仕官するために催される宴であった。
勘兵衛と慶次郎が宴席に着いた頃は、とっぷりと日も暮れて、蝋燭の明かりが明々と座敷を照らしていたのであった。しかし、座敷の中からは咳一ツせず、静まり返っていた。
大きな戦場では色々なところで合戦が行われていて、此処に集まった者はお互いを確認できないでいた。
「遅くなって相済まぬ、これが加賀の三鑓の一人由比勘兵衛でござる。いくさ場では甲高い声でリャリャと声を掛けるゆえ、どこにおっても声だけは聞こえるという便利な御仁じゃ」
慶次郎の挨拶で今までの静寂が嘘のように座が騒がしくなった。
「おお、あの甲高い掛け声か、身共は柴田殿の配下におったが、あの声を聞くと無性に勇気が涌いてきたものじゃったが、そうかあの声は貴殿の声か」
「おお、儂も聞いた。何とも甲高い声で、失礼ながらどなたかの絶叫かと思い、思わず手を合わせたものです」
「おいおい、酷い御仁もおるわ、儂の鑓合わせの声じゃぞ」
根が陽気な勘兵衛の声で、たちまち座敷が騒がしくなった。
みんなが聞いたことがあると言えるので、一気に各人のいくさ場での存在が確認でき、各人が自慢話を活発に話すようになった。
「賤ケ岳のいくさ場においては、大ヌル山の又左衛門のせいで敗走となった。佐久間玄蕃が尻払いをしながら退却しているときに引き上げるものだから、一気に柴田勢が敗走することになり申した」
勘兵衛も自分の鑓合わせの話を多少の脚色を交えて話し始めた。
言うは勘兵衛の噂どおりの話しぶりで宴席にいた者の口を軽くしていった。
「退陣はしんがりがむずかしゅうて、被害も大きいと聞くが」
「さよう前田も大勢の死傷者を出しながらの難しい退き陣であったが、味方の者と心を一つにして繰引き繰引き、そして時には打ち出して渡り合って退いたものじゃ」
「そのいくさで、目に付いた者はおりましょうや」
「儂の目についた者がお一人ござる」
「それは」
「どこの御家中かは分からぬが、胴は当世風の二枚胴で中央に八幡大菩薩が色鮮やかな朱色で書き込まれ、甲の前立てに金の蜻蛉をあしらった武将がおった。この者が一番記憶に残っておる」
「その方は強かったで、ござるか」
「強いのもそうであったが、いつまでも食い下がってきおって我等は、難渋した覚えがござる」
「さて、金の蜻蛉の前立てとは、杉浦殿、確か貴殿も金の蜻蛉の前立てを付けておったとか」
「いかにも、拙者賤ケ岳のみぎりには、先の大和大納言殿の配下として金の蜻蛉の前立てを付けておりもうした。先ほどからの話から拙者のことかと思い聞かせていただいた」
「是は奇遇」
「拙者の覚えでは、前田家のしんがりで一際甲高い声で鑓を振るわれる御仁がおられた。そのものは、二枚胴に勘の一文字を朱色で描き、栄螺の甲で我等と何度も鑓先を交えた覚えがござる」
「おお、まさに拙者でござる。栄螺の兜は由比家伝来のもので縁起良き兜として、伝わってござる」
勘兵衛は同好の士を見つけたかのように、盃を進めたがやんわりと断られた。
「しかし、拙者の覚えでは我等追撃に際しては、一歩たりとも引いたことはござらん。貴殿の話では、何度か切り込み我等を引かせたと言われるが、ちと儂の覚えているのと違うのではと感じておった」
杉浦彦兵衛の話しぶりは、勘兵衛と違い興奮した様子もなく、淡々と語るゆえ真実味が増し勘兵衛の話が面白いだけに脚色された部分が多いように思われ、酒宴の席に気まずい雰囲気が漂った。
「ハッハッハッハッハッ」
慶次郎の高笑いが部屋中に響いた。
「まるで稚児のような事を申して、繰り引き繰り引き時に押すのは兵法の常道、攻める場合においても同じ事、それを一歩も引いたことはないなどと兵法の知らぬ童ならいざ知らず、賤ケ岳でお互い相手を覚えるような戦をした者が言う言葉とは思えぬ。相手に合わせて咄嗟に動く体の動きならば、細部まで覚えておらぬも道理のこと。お互いの健闘を讃えれば良いことであろうが」
慶次郎が、笑いながら杉浦彦兵衛を抱きかかえるようにして、酒を勧めれば彦兵衛も打ち解け酒を煽るように飲み干すのであった。
「これは、儂としたことが知たり顔でつまらぬ事を言ってしまった。慶次郎殿の申すとおり戦場では兵法に従い身体が自然と動き、細部まで覚えておらぬこと、相済まぬ事を申してしまった」
同じ戦場で、命を懸けた者同士、すぐに打ち解け酒を酌み交わす間となった。
この日の話は、すぐに近隣の大名衆の耳に入り、この宴会に参加していた者、何人かが大名家に召し抱えられることになった。
勘兵衛は、逆の意味で参加者の話を裏付ける証人となっていた。
あの加賀の前田家から奉公構えの出ている勘兵衛が、拙者のことを知っていたと言うことが、本人の武勇の証明になっていた。
後日、この話を聞いた勘兵衛は、またも慶次郎にしてやられた。
「儂がまだ仕官できないのに、他人の世話をするとは」と悔しがった。
勘兵衛がチマチマと絵馬を書く日々が、もう少し続くのであった。