今は全くしないのですが、むかしはパチンコを良くしたものです。
私が始めたのは、ちょっとおかしいかも知れませんけど彼女に連れて行かれたのです。
大学に入っての最初の彼女でした。彼女はギャンブルが好きで、私のギャンブル人生は彼女から始まったと言っても良いと思います。大学時代ですからお金にはいつも困っていて、映画を見たらすることが無くて、一杯の珈琲で8時間近く珈琲店で粘って追い出されたこともあります。そんなときに「パチンコしようか」と彼女に誘われたのです。
したこと無いのですが、まぁ、玉を穴に入れればよい程度の認識で彼女と一緒に行きました。当時はチューリップが開く物で、チューリップに同時に二個はいると又開くのです。
分けも分からずに打ち始めたら、なんと止まらないのです。撃ち出す玉が吸い込まれるように穴の中に入って、チューリップにも続けさまに玉が入って何度も閉じては開いての繰り返し。これがビギナーズラックなのでしょうか。そう言えば、競馬の時も一番最初に大穴当てて、みんなから「これだから素人は怖い」と言われたことがあります。
最初は「凄いね」と言って喜んでいた彼女も、いつもいつも私だけが勝って彼女はベタ負けなのです。こんな事が続くと彼女とは、長続きしませんね。
「一緒に行くと私が負けるから、一緒に行かない」と言われるようになって、いつの間にか別々に行くようになりました。別にパチンコが好きなわけじゃなかったのに、いつのまにかバイトも止めてて、少なくとも遊び代はパチンコで稼ぐようになっていて、友達にもパチンコ攻略法みたいなことを話したりしていました。
今だとさしずめパチンコライターで稼いでいるでしょうね。
パチンコ生活は社会人になっても、続きましたが社会人になると勝つことが少なくなりました。
パチンコ生活で、一番印象深いのが昭和天皇崩御の日でした。朝行くとパチンコ屋さんは開いていたのですが、音楽が鳴っていないのです。ただただパチンコ玉がガラス面に当たるバチバチという音だけ。
あの音の中には長くいられませんね。昼頃、突然「本日は正午で閉店とさせていただきます」マイクが掛かって追い出されました。天皇崩御の報道を見ていなかったので何でだろうと思いながら帰った記憶があります。
それがある時から、突然、大学時代のように勝ち始めたのです。
当時の台は今の絵柄が揃うとフィバーと言ってチェッカーが大きく開く台で、一気に打ち止めまでいくフィバー台と呼ばれるものです。それが射倖性を煽ると言われて、出玉規制されていつの間にか、連続で絵柄が揃わないと勝てない台になりました。それでも、座れば出ると言う状態が三ヶ月続いたのでしょうか、突然パチンコが面白くなくなりました。
絵柄が揃うのが当たり前になって、五百円あればほぼ必ず打ち止めするのです。
こんな凄い状態になると、面白くて堪らないだろう思われるかも知れませんが、つまらないのですね。
ただ玉を打って出るだけで、ハンドルを持っているのが辛くて、打っていると肩が痛くなって、ただただ辛いだけ。
拷問を受けてその代償としてお金を頂いているような感じです。こんな辛い思いをしてお金を頂かなくても、仕事した方が楽だと思いましてパチンコ止めました。なにか理由があってこんな状態になるのならパチンコライターにでも成れたのでしょうが、理由が分からないのです。強いて言うとパチンコ台が呼んでいる感じがして、座るとほぼ5回前後で絵柄が揃うのです。勝だけのギャンブルって面白くないですよ。
嘘だろうって言う方は、三ヶ月勝ち続けてみて下さい。きっと私と同じ感想を持つと思います。
私が始めたのは、ちょっとおかしいかも知れませんけど彼女に連れて行かれたのです。
大学に入っての最初の彼女でした。彼女はギャンブルが好きで、私のギャンブル人生は彼女から始まったと言っても良いと思います。大学時代ですからお金にはいつも困っていて、映画を見たらすることが無くて、一杯の珈琲で8時間近く珈琲店で粘って追い出されたこともあります。そんなときに「パチンコしようか」と彼女に誘われたのです。
したこと無いのですが、まぁ、玉を穴に入れればよい程度の認識で彼女と一緒に行きました。当時はチューリップが開く物で、チューリップに同時に二個はいると又開くのです。
分けも分からずに打ち始めたら、なんと止まらないのです。撃ち出す玉が吸い込まれるように穴の中に入って、チューリップにも続けさまに玉が入って何度も閉じては開いての繰り返し。これがビギナーズラックなのでしょうか。そう言えば、競馬の時も一番最初に大穴当てて、みんなから「これだから素人は怖い」と言われたことがあります。
最初は「凄いね」と言って喜んでいた彼女も、いつもいつも私だけが勝って彼女はベタ負けなのです。こんな事が続くと彼女とは、長続きしませんね。
「一緒に行くと私が負けるから、一緒に行かない」と言われるようになって、いつの間にか別々に行くようになりました。別にパチンコが好きなわけじゃなかったのに、いつのまにかバイトも止めてて、少なくとも遊び代はパチンコで稼ぐようになっていて、友達にもパチンコ攻略法みたいなことを話したりしていました。
今だとさしずめパチンコライターで稼いでいるでしょうね。
パチンコ生活は社会人になっても、続きましたが社会人になると勝つことが少なくなりました。
パチンコ生活で、一番印象深いのが昭和天皇崩御の日でした。朝行くとパチンコ屋さんは開いていたのですが、音楽が鳴っていないのです。ただただパチンコ玉がガラス面に当たるバチバチという音だけ。
あの音の中には長くいられませんね。昼頃、突然「本日は正午で閉店とさせていただきます」マイクが掛かって追い出されました。天皇崩御の報道を見ていなかったので何でだろうと思いながら帰った記憶があります。
それがある時から、突然、大学時代のように勝ち始めたのです。
当時の台は今の絵柄が揃うとフィバーと言ってチェッカーが大きく開く台で、一気に打ち止めまでいくフィバー台と呼ばれるものです。それが射倖性を煽ると言われて、出玉規制されていつの間にか、連続で絵柄が揃わないと勝てない台になりました。それでも、座れば出ると言う状態が三ヶ月続いたのでしょうか、突然パチンコが面白くなくなりました。
絵柄が揃うのが当たり前になって、五百円あればほぼ必ず打ち止めするのです。
こんな凄い状態になると、面白くて堪らないだろう思われるかも知れませんが、つまらないのですね。
ただ玉を打って出るだけで、ハンドルを持っているのが辛くて、打っていると肩が痛くなって、ただただ辛いだけ。
拷問を受けてその代償としてお金を頂いているような感じです。こんな辛い思いをしてお金を頂かなくても、仕事した方が楽だと思いましてパチンコ止めました。なにか理由があってこんな状態になるのならパチンコライターにでも成れたのでしょうが、理由が分からないのです。強いて言うとパチンコ台が呼んでいる感じがして、座るとほぼ5回前後で絵柄が揃うのです。勝だけのギャンブルって面白くないですよ。
嘘だろうって言う方は、三ヶ月勝ち続けてみて下さい。きっと私と同じ感想を持つと思います。