奈良旅行記の続きです。
この日はこの後、正倉院へ。正倉院は東大寺大仏殿の裏にあり、もとは東大寺の正倉(倉庫)でしたが、現在はその重要性から宮内庁の管轄になっています。見学するのに予約はいりませんが、公開時間は月~金曜日の10~15時に限られています。のんびりしているうちに気がつくと午後2時半過ぎ! 慌てて走って、閉門5分前に滑り込みました。=3
正倉院は、校倉造の高床式倉庫。日本製品から唐やペルシャからの輸入品など、天平時代の貴重な美術工芸品が多数収蔵されました。優美な琵琶や螺鈿細工の鏡など、教科書で見たことを思い出します。現在これらの宝物は、新しく建てられたコンクリート造りの宝庫で保管されています。
宝物は通常非公開ですが、毎年秋に「正倉院展」として奈良国立博物館で一部が公開されています。今年の正倉院展は11月12日まで、ちょうど今開催中です。詳細はコチラ。
5分で正倉院の外観を見学した後は、歩いてすぐの東大寺大仏殿に向かいました。
翌々日に、東大寺世界遺産登録20周年を記念して中村勘九郎さん、中村七之助による東大寺歌舞伎が予定されていたので、舞台の設営の真っ最中でした。重厚な大仏殿を前にして演じられる歌舞伎、すばらしかったでしょうね。
奈良の大仏さん。いろんな角度から何度もシャッターを切った中の渾身の一枚です。^^ 聖武天皇によって奈良時代(745年)に制作開始、752年に完成しました。その後、大仏殿が2度にわたって焼失し、大仏も焼損したため大部分が補作されています。
大仏さんの左後方にあった広目天像。なんとなく気に入ったのでパチリ。唐の武将風の衣装がかっこいい。江戸時代の作です。
大仏殿は大仏鋳造後の758年に完成し、その後、鎌倉時代、江戸時代と2回焼失しました。今の建物は3代目です。写真は鎌倉時代に建てられた大仏殿の模型です。今の大仏殿と比べるとわかりますが、再建する場合、まったく同じにするわけではないのですね。形も違いますし、大きさも今の1.5倍もあったようです。
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東大寺の境内はとにかく広い。大仏殿からさらにゆるやかな丘を上って、二月堂まで歩いてみました。
旧暦2月に”お水取り”があることから、この名がついたそうです。現在の建物は1667年に焼失した後に、再建されたもので、国宝となっています。急な階段を上ると、舞台のような張り出しがあって、ここからの眺めがすばらしかったです。
左寄り奥のちらりと見える三角屋根が、大仏殿です。その向こうに奈良盆地の街並みが広がっています。
二月堂の隣りに建つ法華堂(三月堂)。東大寺の建物では最も古く、奈良時代の建築が残っています。
鐘楼。中の梵鐘は、大仏と同じく752年に作られたもので、”奈良次郎”という名前がついているそうです。^^
人の大きさと比べても実に圧倒的な大きさがあって、本当に見事ですよね。
中学生の時の修学旅行で来ていて、少なくとも東大寺は観ているはずなのに記憶がおぼろげです。
それでも奈良の大仏の印象は強かったですね。
しかしこれより1.5倍も大きかったなんて!!
この大きな建造物をきちんと水平に撮影なさるセレンさんって毎回言いますけど凄いです!水平に合わせると屋根部分が斜めったり、真正面じゃないと絶対水平にならないし…
さすが理系のセレンさんだからこそ、こうしてちゃんと撮れるのね~と感心しております。
奈良といえば東大寺の大仏さん、というくらいにトレードマークになっていますよね。
大仏殿の柱に空洞があって、修学旅行生がくぐっていましたが
私はまったく覚えがありませんでした。
くだらないことばかり覚えています。^^;
1.5倍というのは、大仏ではなく大仏殿(建物)です。
まったく同じに再建するわけではないんだなーとびっくりしました。
いえいえ、私も写真を撮る時にクセがあるようで、いつも微妙に斜めになっていますが
あとから画像の傾きを修正しているんですよ。^^