
昔、千里山は天六を始発駅とした鉄道線の終着駅でした。そのように深い縁がある大阪を代表する商店街の明るい話題であり、今後の発展を心から願うものです。実現に尽力された商店街会長の土居年樹さんと、千里山の人達との交流も最近多くなっています。「ドイツ国際平和村」を支援するペイフォワード倶楽部が天三おかげ館でチャリティーコンサートを開いたり、カフェ・ド・ゴーシュ主催の水上バス花見ツアーに土居さんを招き一緒に楽しんだことも忘れられません。ゴーシュとペイフォワード倶楽部は共同で天井を照らす提灯に名前を記しています。場所は「フ-32」という事ですので繁昌亭に行かれた時は探してみて下さい。
ところで、戦後は大阪にも東京と同じくらいの寄席があり、活気があったということをTVキャスターが言っていました。その後東京一極集中の時代の波に巻かれ、大阪が地盤沈下していったのと同時に上方の寄席芸能も勢いを失いました。もちろん時代の笑いの質が変化していったことも大きかったと思われますが、東京にはしっかり定席が残っていることを思うと、経済の進退と芸能の栄衰は無縁ではいられないということを示しています。
繁昌亭は商店街や一般の協力で立ち上がりましたが、いかに芸能関係者が逆に商店街や大阪の産業発展に意識的に関わっていけるかによって、今後の繁昌亭の未来が占えるように思います。
【追記】関連ブログをご紹介します(人力車の“御練り”で笛を吹かれていた若手の方のリポート)。