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10時と3時のいっぷく

零細建築設計事務所の日常とその周辺を、コーヒータイムに綴ります。

福利厚生

2006年08月06日 | 未分類
4日・5日と、当事務所の年に1度の福利厚生事業である小旅行に行って来ました。昨年はカミさんの体調がすぐれず、どこへも行けなかったので、2年振りです。何せ所長1人で何から何までやっている事務所なので、先の予定などつきません。今回もこの日しかないと3日前に急に、インターネットで宿を申込んだ始末です。家族もどこへ行きたいといった希望も言えないまま、3日間待つといった有り様です。出発の日も朝1番で現場を見に行った後、講習会の申込みをして来て、11時過ぎに出発しました。地図を用意してあったのですが、慌てて出たので忘れてしまいました。
昼食は北杜市高根町のそばやさんで食べました。ここは明治時代に建てられた医院の建物を利用しています。看板もそのまま残っています。

ホテルへはチェックインぴったりの3時に到着。夕食までたっぷり時間があるので、ひと風呂浴びて、ゆっくりしました。ここは8月15日に湖上祭があって賑わうのですが、それまでも毎晩15分位花火が打ち上げられます。言わばミニ湖上祭です。ホテルの10階の部屋から手にとるように花火が見られました。

翌日は湖畔にある「原田泰治美術館」で原田さんの絵を久し振りに鑑賞しました。
この二日間は甲府は37℃を超える猛暑だったのですが、暑い甲府を逃げて多少鋭気を養う事が出来ました。

「やっと光が…」

2006年07月18日 | 未分類
遅まきながら「光ブロードバンド」に変更しました。友人からは、申込んでから工事に1ヶ月くらい掛かると聞いていたので、8月半ば頃にやってもらえば良いかなと思って、先週申込みました。すると、18日(今日)に伺います、との返事で少々驚きました。
生憎の雨でしたが、電話会社の人が合計5人で工事に来ました。5人の内訳は、営業担当者、工事担当3人(外1人内2人)、道路交通整理の女性というものです。午前9時30分頃から丁度お昼まで掛かりました。我が家兼事務所は家を建てた時に電話の配管が予め敷設してあるのですが、電柱がたまたま敷地内にあり、そこから食堂→居間→2階→事務所という経路で配管してあります。パソコンが置いてある事務所が一番遠くて、光ケーブルを配線する作業に結構時間が掛かりました。

やっと工事が終わり、PCの設定をしてインターネットに接続してみました。今まではウェブ上のデータをダウンロードしたり、大きいサイズの添付ファイルのメールを受信したりするのに時間が掛かってイライラすることがありましたが、さてどうでしょう。全然違います。“手応え”がないというか、本当に繋がっているのか、という感覚です。これでストレスも少しは解消されるでしょう。一方カミさんは、安価な料金で千葉の姉と長いおしゃべりが出来るというので、そちらの方を喜んでいました。

職業の適性について考える。

2006年07月15日 | 未分類
 先日仕事で出たついでに、その近くに住む同業の先輩の事務所を訪ねました。時折お互いが行き来して情報交換をしています。その時に出た話題が、一級建築士の能力を調べるため、“再試験”を課すことを国で考えている、というものです。一連の耐震偽造事件からの流れですが、25年も前に“一級”の資格を取った者に、再試験をして、合格しなかったら“二級”に降格するのか、別の新しい資格になるのか、その辺はまだはっきりしないようですが、そんなことを高級官僚の方々が考えているようです。

 その時先輩は、それをするのなら他の全ての国家資格にも同様なことをしないと納得出来ない、と言っていました。つまり、医師や弁護士や、薬剤師、会計士、etc…。なるほど確かにそうかも知れません。建築基準法や建築士法ができたのが昭和25年。爾来55年を経過していますが、今回の姉歯氏のような例はおそらくはじめてのことだと思います。彼のおかげで、この業界が全て同じように見られたらたまったものではありません。再試験の目的が“能力”を審査するのか、それ以前の“適性”を判断するのか、どこか問題がずれているような気がします。
 
 その後二人で一致したことは、まず最初に公務員の適性再試験を実施してほしい、ということでした。(これを読んでいる方の中に公務員がいるかも知れませんが、一般論として受け止めて下さい) 飲酒運転が後をたたない県職員、教え子にわいせつ行為をする教師、公金の着服、官製談合、収賄etc… これらのニュースが日常茶飯事のように流れて来ます。おそらくこれらの公務員の方々は、当初は国民・市民のために奉仕するという高い志しをもってその職に就いた事と思います。万が一にも、「不況にも関係なく安定しているから」とか「年金も沢山もらえるから」等と言った下世話な理由ではないと思います。(私も昔、公務員を志した時があったのですが、自分の性格がすぐ賄賂を要求するような人間なので、公務員には向いていないと諦めたことがあります)

 とにかく、最初に自分達が自ら再試験をして範を示して欲しい、というのが二人の一致した意見でした。しかし、最後に“おち”がありました。その試験問題を作るのも、判定をするのも公務員だから、どこまで信憑性があるのか…。その後は二人で顔を見合わせて黙ってしまいました。

はじめての民間検査機関

2006年07月07日 | 未分類
 耐震偽装事件で名前が知られるようになった、“民間検査機関”。今回急な確認申請業務が入り、はじめて民間検査機関を利用しました。これまで私は特別な理由はないのですが、ずっと役所(市、県)へ確認申請を提出してきました。
 当地に民間検査機関が登場した頃は、同業の友人が言うには、確認が下りるのが早いしコーヒーも出してくれてサービスが良い、との評判でした。確認申請は最初に町の建設課に提出して、これまでですと自分で役所へ持って行かなければならないのですが、民間の場合は、町で郵送してくれるとのことです。従って私が直接民間検査機関に出向くのは、確認が下りてそれを受取りに行く時だけて済みます。今日、下りたという電話があり、はじめて行ってみました。4-5人の若い男性職員と女性の事務員がいましたが、こちらの先入観のせいか、役所の人と違い対応が柔らかい印象を受けました。奥の湯沸し室でコーヒーメーカーが鳴っていましたが、どうも最近はコーヒーのサービスはしていないようです。それでも私が帰ろうとすると、そこにいた職員皆で『ありがとうございました!』と声を掛けてくれました。役所ではあり得ない光景です。
 さて、今後も民間を利用しようか、と考え中です。

人生は小説より奇なり

2006年06月18日 | 未分類
昭和34年、南アルプスの麓の小さな村に、大学を出て数年という若い土木技術者がダム建設の地質調査のために派遣されてきた。何カ月もかかる調査のため、数名の作業員もいることから、青年はこの村で一番大きな家を選んで下宿を請うたという。この家は今で言えばコンビニ、食料品や日用雑貨を商っていた。夫婦にまだ幼い子供4人、それに祖母という家族構成だった。青年は子供たちを可愛がった。寝袋の中に入って遊んだ事も憶えている。
やがて調査を終え青年は東京へ戻る。その翌年、この家の主である子供達の父親が不慮の事故に会い死亡。そして2年後今度は母親が病死。

昭和37年の暮れ、東京銀座で婚約者と待ち合わせしていた青年は、“小学○年生”という雑誌を傍らに置き、クリスマスカードにメッセージを書いていた。
『お父さん、お母さんが天国で見守っています。おばあちゃんを助けて、きょうだい仲良く過ごして下さい』
それから毎年クリスマスになるとカードが子供達に届くようになった。子供達は都会の匂いのする美しいカードを毎年楽しみにし、その後も宝物のように大事にしていた。やがて青年も家庭を持ち、忙しい日々を送るようになる。子供達も中学、高校へと進む。カードは来なくなったが、毎年年賀状で近況を報せていた。

あれから47年の歳月が流れた。かつて青年だったYさんと奥様、そして今や中高年になった4人のきょうだいが、昨日再会した。皆健康でいられたからこそこの喜びを味わえることができた。

その4人の子供のうちのひとりが私です。Yさんご夫妻には、昨日は田舎に眠る両親と祖母の墓参をして頂き、かつて関わったダムを訪れました。

老後について考える

2006年05月09日 | 未分類
15年前に設計した「緑ヶ丘の家」を久し振りに訪ねました。その当時もすでにお子さんも独立され、夫妻の老後のための住まいということで、特にバリアフリーに力点を置いて設計しました。ここ2年程お会いしていなかったので、その後もお元気かと思ったら、ご主人はバイクで事故を起こし4ヶ月間入院し、今もリハビリに通っている身、奥様もここ2年の間に3回手術をして、歩行に障害が出ていました。老夫婦二人のあまりの変わり様に驚きました。
いつも私がお邪魔すると、奥様が私のコーヒー好きを知っていておいしいコーヒーを煎れてくれるのですが、今日は私が煎れる有り様でした。
しかしお二人ともこういう状況になるかも知れないということを想定して設計した家ですから、階段の巾は少し広めにとってあったので、後から電動昇降機も設置できたし、いわゆる障害軽減のためのリフォームをしなくて済んでいます。

『sendohdaさんには感謝しています』と言われましたが、お二人の姿を見ていて自分の老後と照らし合わせ、複雑な気持ちになりました。

2300年の霊気

2006年04月10日 | 未分類
実は一週間程前から風邪気味で、咳と痰の症状が続いていたのですが、通常の生活には支障がなかったので病院にも行かず、薬も飲まずしていました。ところが昨日、この春最初で最後の家族サービスにと、桜を見に行ったのですが、家に帰るなり具合が悪くなり、発熱と下痢が続きました。昨夜は食事を済ますとすぐに布団に入りました。今朝は熱も下がりだいぶ快復しましたが、約束の現場はキャンセルし、一日おとなしくしていました。
ところで昨日は、樹齢2000年と云われる北杜市武川の「神代桜」と、

こちらは300年と云われる韮崎市の「王仁塚(わにづか)」

の桜ツアーをしたのです。
合計2300年の霊気を受けて身体がおかしくなったのでしょうか(笑)

不精者の整理術

2006年03月31日 | 未分類
“3月は去る”と言われるように、たちまち1ヶ月が過ぎました。根が不精なので、手の届く範囲に良く使う資料や書類を置いておかないと気が済まない質です。従って机廻りはいつも雑然としています。友人や先輩の事務所へ行くといつも整然としているのに感心しますが、どうして私にはああ出来ないのかと不思議でなりません。諸々の細かい仕事がやっと片付いて一区切り出来たので、今日は机の周辺を片付けました。

(これでも片付いた方です)
ずらりと並んでいる書類は長さが1.5mにもなります。今手掛けている仕事に関するもの、ボランティア団体に関するもの(所属するクラブの書記のお手伝いをしているのと、クラブで構成する“部”の広報の役員をしているのと、東日本地区の記念史の編集委員をしているので、これらが相当を占めています)、それに写真展に関するもの等です。この画像の反対側にも机があって、その上は山のように書類や雑誌類が積まれています。こちらはいつ片付くやら。
不精な割には、気分を新たにしないと新しい仕事に取りかかれない質なのです。

“新合併症”

2006年03月24日 | 未分類
市町村の“平成の大合併”も一段落して、我が県でも新しい市が続々と誕生しました。それまで各町村が使用していた役場庁舎は新市の支所として一部の機能を担っています。建築確認申請は県や民間検査機関に申請する前に、建設地の市町村を経由します。建築だからいって「建設課」だけで済まず、例えば埋蔵文化財の発掘に関係すれば「教育委員会」、し尿浄化槽の設置が絡めば「環境衛生課」というように、様々な部署の同意が必要になります。今までは1つの役場庁舎内で済んでいたものが、今回の合併ではあちこちへと行かなければならないことがあります。しかも、市によってまちまちです。これを全部憶えてはいられません。何度か無駄足を踏んだことがありました。この現象を“新合併症”と命名しました。

ところで確認申請ですが、私は今まで民間検査機関は一度も利用したことはありません。全て行政です。同業の仲間から、民間の方が早いし、融通もきくことは薄々聞いていますが、別段特別な理由がある訳ではありません。今日もある物件の申請で、F市の支所に書類を受取りに行き、その足で県の出先機関へ提出しました。以前も同じパターンで申請したら、翌日下りましたので驚きました。おそらく民間へ出すのが増えるとともに県のほうは少なくなっているのでしょう。ところがこの出先機関、4月から別の部署と合併することになり、引っ越しの段ボールが沢山ありました。新しい出先は当事務所からは遠くなりますので、今後はこの地域の確認は民間へ出すことになりそうです。これも一種の“新合併症”でしょうか。

肝心な忘れ物

2006年03月12日 | 未分類
この間から、何か大切な“仕事”があるのを忘れていて、その期限が迫っていることも薄々気が付いていたのですが、今日になってやっと思い出しました。それは「確定申告」。3/15が提出期限です。毎年この時期は鬱陶しいものです。ここ数年世の中の経済状況をまともに反映して、わが事務所も減収減益なので、申告書類を作成するのは、そんなに時間は掛からないと思います。ただ、明日(13日)は役所の検査書類を提出しなければならないし、明後日は耐震改修のお宅の打合せが入っていて、結局最終日に提出となりそうです。かつては受付が始まったら、早々に提出していたのですが、年々遅くなって来ました。申告の内容も文字通り深刻なのですが。

まるごとまとめて一週間

2006年02月17日 | 未分類
今週は慌ただしかった。
12日(日)上京。午前10時から午後3時までボランティア団体のフォーラムに出席。その後、「まちかどの近代建築写真展」の打ち合わせ。
13日(月)夜、昨日の東京での打合せを受けて写真展の実行委員会。
14日(火)午前9時半から午後4時半まで、「建築士のための指定講習」に出席。5年に1度受講。事務所登録の更新時に、この受講証の写しが必要となる。午後6時45分からワイズメンズクラブの2月例会、例会後東京からのゲストを交えて懇親会。
15日(水)午後OA機器販売店の“スプリングフェア”に顔を出す。出展していた光学機器メーカーC社に写真展の協賛をお願いする。
16日(木)午前、Oさんの家の現場。電気配線の打ち合わせ。夕方、親戚の通夜。
17日(金)親戚の告別式。