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10時と3時のいっぷく

零細建築設計事務所の日常とその周辺を、コーヒータイムに綴ります。

機械からの祝福

2009年09月15日 | 未分類

本日は小生の誕生日。この歳になると嬉しさと寂しさが同居したような感想で、家族からもほとんど無視されています。そんな中で、朝パソコンを立ち上げると、画面に“Happy Birthday!”の文字が。そうなんです。このPC、1月1日(Happy New Year)と誕生日に祝ってくれるんです。廻りの人間が冷たいので、何度も起動させて、せめて機械からの祝福に満足しています。
追伸 夜になって、もうすぐ完成引き渡しのH邸のご家族から、おめでとうのメールを頂きました。やはり、人からの方が何倍も嬉しいものです。

3代目ディスプレイ

2009年07月31日 | 未分類
小生の現在のPCは2000年に購入したものです。ディスプレーはその前から使用していたものを継続して使っていたのですが、5年程前に壊れて、2代目を買いました。この2代目は当初新品の液晶を買ったのですが、どうした訳か正常に表示出来ず、購入した家電量販店の店員にわざわざ事務所まで来てもらい、いろいろとやったのですが(OSのバージョンUPとか)、やはり不良品と判明しました。同じ機種のものを取るには数日掛かるとのことで、それでは仕事に支障があるので、取り敢えず量販店にある中古のCRTディスプレイ(ブラウン管)を一時的に借りました。一日使ってみて、ふと気がついたのですが、この代役を売ってくれないものかと。店員に尋ねると、『いつ壊れるか保証できませんが、それでもよければ4500円で結構です』という返事。それが今日まで来た訳です。それでもここのところ御機嫌が悪く、いよいよ寿命と判断し、新しい(今度こそ、というか今はほとんど)液晶ディスプレイを発注しました。それを待っていたかのように、2代目は息を引き取りました。ご苦労さまでした。

3代目が本日届きました。19インチ(今までは17インチ)ですが、アイコンやフォルダーがやたらと小さく感じるのは気のせいでしょうか。PC周りがスッキリしましたが、小生の性格からしてすぐごちゃごちゃになるでしょう。

ちょっとおかしな?環境用語

2009年06月09日 | 未分類
ある団体の会報に以下のような文章を投稿しました。まず、読んでみて下さい。

前文略―
以前から気になっていた環境用語を改めて考えてみました。それはよく使われている「温室効果ガス」という言葉です。言う間でもなく、CO2などの気体を指しますが、この“効果”という言葉、通常は良い方向とかプラスになる現象の時に使われると思うのです。例えば、『この薬は肝機能の改善に効果がある』と言いますが、『肝機能を悪くする効果がある』とは滅多に使いません。
 「温室効果」という言葉が一般的に用いられる場合は別として、地球環境という視点で使われる場合、CO2などの発生によって地球が温室化することは良い傾向である、と解釈されてもおかしくありません。おそらく、英語から翻訳する際に、どなたかがこういう表現をしたのが最初だと思いますが、本来なら「温室化ガス」あるいは「温室化誘導ガス」とでも言った方が日本語としては適切ではないかと考えます。  
 参考までに広辞苑で調べると、「効果」とは─(1)よい結果。ききめ。(2)その場にふさわしい状況を人為的に作ること。─とありました。

―以上ですが、これを読んで、所属している団体のメンバーから反応があるかと期待していたのですが、全然ありませんでした。せっかくの問題提起も“効果なし”です。

CADソフトの憂鬱

2009年05月22日 | 未分類
現在使っているCAD(設計・製図用ソフト)の新しいバージョンの無料体験セミナーがあり、ちょっと顔を出しました。ちょっとというのは、体験セミナーでなくて、“よろず相談コーナー”を随時受付けているというので、そちらに行きたかったのです。

CADに限らず、あらゆるソフトというのは、必ずバージョンを更新して行きます。小生がCADを使い始めたのは今から15年前、最初の頃は“真面目に”バージョンUPをしていましたが、そのたびに数万円がかかり、4~5回もすれば、元々の製品代になってしまう位ですので、ここ8年程はバージョンはそのままにしてあります。

ところが、こういうことというのは“うまく”出来ていて、パソコンのOSのバージョンも随時更新されて行きますので、OSとソフトの相性が問題になって来ます。小生の現在のPCも2000年に購入したものですから、OSも最新のものとは随分開きがあります。ここで、CADを最新のバージョンにしようとすると、現在のPCでは動かないということになるのです。その辺の所を相談したかったのですが、結局は両方新しくしないと無理のようで、最新版のカタログだけ頂いて帰って来ました。
当分は現状維持でしょうが、万が一PCが故障してしまったらと考えると、憂鬱になります。

契約!

2009年05月10日 | 未分類
Hさんのお宅の請負契約を当事務所にて行ないました。Hさんご家族と工事を請負う建設会社から二人、そして私と計6人が狭い応接室で、皆さんには今年最高を記録した暑さの中、不自由をさせてしまったのではないかと思います。
契約が終わり、請負業者さんの二人が帰った後、Hさんと少し打ち合わせをしました。たいていの方はそうですが、Hさんご夫妻も結婚以来マイホーム建設の夢を持って来られました。その間紆余曲折があり、途中で途方にくれた事もあったようですが、それが、ふとしたことで私に結びついたという事です。それ以降はスムースに事が運び、今日の契約の時も印鑑を押すのに、何のわだかまりもなく、自然と出来たそうです。こういう事と言うのは、時々あるものです。この日のために今までのご苦労があったのだと思います。
契約はあくまでスタートです。これからHさんの永年の夢の実現に向けて、監理の業務に入ります「現場報告」のページで工事の進捗をリポートします。

土地を祝福する

2009年04月11日 | 未分類
現在設計が大詰めのHさんのお宅、まだ工事施工者が決定していないのですが地鎮祭を行ないました。通常地鎮祭で最も多いのは、神主さんにお願いする“神道式”ですが、Hさんはクリスチャンですので、牧師さんにお願いしました。先日完成した「吹抜けのある家」は、施主の父がお寺の檀家総代ということで“仏式”で行ないました。地鎮祭も色々あるものです。昨年完成した「十字架のある家」も施主さんがクリスチャンで“キリスト教式”でしたが、その時は小生は都合が悪く出席出来ませんでした。ですから、“キリスト教式”の地鎮祭(定礎式というようです)は初めての経験です。
神道のように竹を囲いしめ縄を張ったり、海や山の幸を供えるということはありませんが、盛り砂に鍬を3回入れるというのは共通していました。Hさんと学生である息子さんで一緒に入れました。

全体的に質素な形式で、こういうのもよいものだなと思いました。特に牧師さんが『地を祝福する』『建築の仕事に使う道具を祝福する』という言い方をしましたが、新鮮な気持ちになりました。また、『家を建築するのはHさんではなく、神様がなさる』というお話しには、なるほどと頷けました。
定礎式が終わり、出席した皆さんで昼食を戴きました。またお祝いにということで、紅白のワインまで頂戴しました。もうすぐ設計が終わります。一区切りついたら戴きたいと思います。

設計等の業務に関する報告書

2009年03月23日 | 未分類
一連の耐震偽装事件の余波で、建築関連の法律が改正されたり、新しい法律や制度が出来たりと、目まぐるしい昨今です。その中の一つに、建築士事務所の業務を当局へ毎年報告することになりました。これまでは、5年に一度の事務所登録の更新の時に行なっていたのですが、これからは毎年年度末に行なう事になり、本日その届けを提出してきました。

提出先の県の出先機関は、以前確認申請を提出していた部署で、最近は民間検査機関に提出していますので、こちらへは久し振りでした。確認を提出していた頃は、駐車場もいっぱいで、その部署にも必ず何人か訪問者がいて、順番を待つ事もしばしばだったのですが、今日は駐車場も空いていて、担当部署もお客さんは小生一人でした。これでは県の職員さんも集中して仕事がはかどる事と思います。

確認の審査が民間にも開放されてから、役所の窓口への申請は随分減った事は承知しています。それに関して前々から気になっていたのは、確認申請には、手数料を支払います。一般的な住宅(約40坪とした場合)では14,000円(4月からは値上がりするようですが)、また、確認申請だけでなく、中間検査や完了検査にも手数料が同じくらい発生しますので、バカにならない金額になります。
こんなに減ったのでは、役所の財政にも影響がないのかと余計な心配をしてしまいます。

確定申告

2009年03月10日 | 未分類
今年も確定申告の季節、本日夕方提出してきました。以前は申告書類をつくるのに結構時間がかかりました。家を建てたばかりの頃は住宅ローン控除とか、減価償却の対象になる機器類も結構あったのですが、最近は償却期間が過ぎて、家のほうも来年から対象になりません。従って差引かれる項目がだんだん減ってきているのですが、良くしたもので(?)収入もそれに応じて減少していて、短時間で書類を作成することができました。

ミニ見学会?

2009年02月15日 | 未分類
MM邸がほぼ完成しました。現在設計中のHさんご一家が見てみたいとのことで、案内しました。そのうち、施主やすぐ近くに住む施主の兄一家も来て、ちょっとした見学会の様相。何せ施主とその兄には、それぞれ3人の女の子がいて、まだ小学生なものですから、家の中でかくれんぼなどをして遊んでいました。Hさんご一家には落ち着いてみる事が出来なくて、申し訳なかったと思います。

画像は2階の廊下から吹抜けの玄関を見下ろした所です。靴が沢山並んでいるのが分ります。

大黒柱を失った日

2009年02月09日 | 未分類
このブログは、タイトルの副題にもあるように、「零細建築設計事務所の日常と周辺」を綴っていますが、あまりにもプライベートなことを書く事はなるべく避けて来ました。
しかし、今日は少し長くなりますが、私の個人的なことを書きます。それは、私の大切な人に対する感謝の気持ちをここに記しておきたかったからです。

私は「プロフィール」の略歴にもあるように、幼い時に両親を失いました。4人の兄弟姉妹だったのですが、その後私たちを育ててくれたのは祖母でした。もちろん、祖母一人の力では限りがあります。親戚や近所の方々には大変お世話になったことと思います。私の母は独身時代に教師をしていたせいか、『子どもたちを高校だけは出してくれ』と祖母に言い残して逝きました。姉と兄は祖母の弟の家に下宿して高校に行きましたが、私は自宅から通学することになりました。当時、家から通える高校は普通科のA高校と、建築科や土木科のあるB高校でした。その頃の私は漠然としてではありますが、雑誌の編集のような仕事をしたいと思っていたので、A高校に行って、さらに大学へ進むか、あるいはその方面に就職することを希望していました。

母の兄である伯父は、両親を亡くした私たちを親代わりになって面倒を見てくれました。
その伯父がある日、『これからは建築が良い。伯父さんが授業料を出してやるからB高校の建築科へ進学したら良い』と言ったのです。祖母にとっては大助かりだったと思います。進路を最終的に決めるという三者面談の朝、祖母に“最後のお願い”をしたのですが、祖母の涙を見たとたん、A高校への進学を諦めました。当時の私の同級生の高校進学率は6割程度でしたから、贅沢は言っていられない、高校へ行かせてもらえるだけでも有り難い、と思いました。その後は「プロフィール」にも書いてある通りです。当時の自分の志望とは異なりましたが、伯父が、私の性向を知った上でのことか、ただ単に世の中の経済情勢を判断してのことだったのか分りませんが、今の自分があるのは、伯父のおかげである事には変わりありません。伯父にはその後も、所帯を持ってからも、色々と世話になりました。

その伯父が、7ヶ月余りの入院生活も空しく、去る2月4日帰らぬ人となりました。87才でした。その日私は入院している義父の病院で主治医から義父の病気について説明を聞いていました。その最中に兄から伯父の容態が思わしくないとの連絡を受け、すぐそちらへ廻りました。心残りながら義父の病院に残っている家族を拾い帰宅して間もなく、伯父の死の連絡を受けました。1時間位の差で伯父の最期を看取ることができませんでした。住職の都合で、昨日が通夜、今日が告別式でした。いつか伯父夫婦を温泉にでも連れて行ってやりたいと思っていましたが、なかなか実行出来ず、悔やまれてなりません。

子どもの頃はよく伯父の家に遊びに行きました。伯父の家は山梨でも秘境中の秘境、当時は車では行けませんでした。吊り橋を渡り、山道を登り、沢を越えてやっと着きました。家も太い大黒柱がでんと座っている古い家でした。「エッセイ」のページの「大黒柱の段」や、「縁側の段」の写真は、伯父の家のものです。まさに、あの大黒柱のような伯父でした。

今はただ、伯父への感謝の気持ちでいっぱいです。その恩返しを直接伯父にすることは出来ませんでしたが、社会に自分のささやかな気持ちを表わす事が、伯父の恩に報いることにもなるものと思っています。世界中に繋がっているインターネットも天国には届かないでしょうか。せめて、今の私の気持ちを残しておくために、ここに記しました。
ありがとう伯父さん、安らかに。

HPからの問い合わせ

2009年02月07日 | 未分類
最近、当サイトを見ていただいて、問い合わせを下さるケースが少しずつですが増えています。ありがたいことです。現在、当事務所へのお問い合わせは、「相談室」というページの入力フォームに入力して頂く方式になっています。以前はメールソフトが自動的に立上がる方式にしていたのですが、いわゆる迷惑メールが増加したため、現在のような方法に切り替えました。

この方法では、メールアドレスを正確に入力して頂かないと、返信ができません。ほとんどのPCでは、ご自分のメールアドレスは最初の一文字打てば自動的に入力されると思いますが、先日、携帯のアドレスからと思われる方からの問い合わせがありました。さっそく返信をしたのですが、エラーになって届かなかったようです。この方はおそらく、PCでHPをご覧になったと思うのですが、メールアドレスを携帯のものを入力したのではと想像しています。その際、過って打ったか、あるいは携帯が着信拒否の設定をしてあるのか、とにかく連絡ができませんでした。一週間ほどトップページにその旨をお知らせしましたが、その後何の音沙汰もありません。残念なことをしました。そんな訳で、電話番号の入力フォーム(任意)も追加しました。

カーポートの解体

2009年01月14日 | 未分類
1993年に手掛けた「高畑の家」のカーポートの解体に立会いました。建築当時は老夫婦お二人でお住まいだったのですが、今は無住となり、東京に息子さんご一家がおられます。東京から荷物を運び込むのにカーポートの屋根が邪魔になるとのことで、解体することになったのです。数年前も一度同じケースがあり、その時は一時的に取外し、また組み立てました。今後も同じことが予想されるので、解体することになりました。施主さんが立ち会えないので、小生に依頼があったという訳です。このお宅を設計した時は、今のようにコンピューターではなく、製図板で手描きの時代でした。図面も工事も質の高い部類に入るものです。
屋根裏の換気口も凝りました。
夜は道祖神。自治会の組長をしているので、午後4時から準備に出ました。自治会の大きな行事もこれでほとんど終わりました。3月までもう少しです。

富士山と富士川

2008年12月28日 | 未分類
午後から今年最後のMM邸の現場監理へ。外部の色決めを施主と相談し、最終的な判断をしました。その後今年6月から入院をしている伯父を見舞いに峡南地方の病院へ。小生のことが分ったかどうか...その帰り、以前から気になっていた場所へ思いきって行きました。そこは鰍沢町と身延町(旧中富町)の境あたりにある日向山(標高477m)の頂上に、国道52号線からちょこっと頭が見える仏舎利塔です。富士川に掛かる鹿島橋を渡り、一路山頂を目指したのですが、路面は途中から未鋪装になり、しかも車1台がやっと通れるような狭さ、久し振りにスリリングなドライビングでした。

山頂に近づくと、西の山に沈もうとしてしている太陽を真正面に受け、一瞬前方が見えませんでした。山頂は打って変わって広々と整地されていて、純白の仏舎利塔が落日を受け輝いていました。鎮座する佛様に手を合せ、伯父の健康快復と少し早いですが、来年の家族の健康、そして世界平和を祈りました。振り返ると真正面に富士山の姿がありました。帰りの下りの途中、眼下に滔々と流れる富士川の姿を見る事が出来ました。

今日が今年最後のエントリーです。この1年間このブログを見て頂いた方、またコメントをいただいた方、ありがとうございました。来る年が平和で安全な年となるよう、祈りたいと思います。
なお、仏舎利塔の画像は「やまなし・まちかど図鑑」に新年最初のエントリーとしてUPします。