■事務所

自宅兼事務所(1987年築)
名 称 一級建築士事務所・仙洞田建築工房
開 設 1982年9月15日(登録認可10月5日)
所 在 地 山梨県甲府市大里町4089-5
Eメール sendohdaアットマークmaple.ocn.ne.jp
資 格 等 一級建築士
ハウスジーメンインスペクター
所 属 日本建築学会・ 山梨県建築士会
経営信条 自由・独立
■私の事

氏 名 仙洞田安宏(せんどうだ やすひろ)
趣 味 読書・建物探訪・畑仕事
蒐 集 栞・木のもの
活 動 近代建築探訪MLメンバー/まちかどの近代建築写真展実行委員
甲府市藤村記念館運営協議会委員
社会福祉法人監事
ワイズメンズクラブ国際協会東日本区ヒストリアン
生活信条 Let it be
■自己紹介
6才の時に父を、8才の時に母を亡くす。小学6年生の時、学校の創立90周年ポスターが特選になって教師に誉められたことから 、単純な性格の私は商業デザイナー(今流に言えばグラフィックデザイナー)を志す。企業のロゴマークや包装紙のサンプルなどを蒐集する。
中学1年と3年の時、学習研究社主催の作文コンクールに応募し、優秀10作品に選ばれ賞金を獲得、志望をもの書きとの二股をかける。 しかし性格上小説のような「虚構」は書けないとして、雑誌編集者を希望するようになる。
ところが、本人の意志に反し、高校は伯父が経済的援助をしてくれるという条件で建築科に進学。非力な自分は材木など担げないと将来を悲観する(当時は建築科へ行くと言うのは大工職人になることと思っていた)が、設計という分野がある事を知り、ここでも単純な性格で天職と思いこむ。卒業設計が最優秀作に選ばれると、ますますその意を強くする。卒業後上京し設計・積算・現場監理の実務を学ぶ。数年後某大学の建築学科(夜間)に入学するが、体をこわし2年あまりで退学、失意のまま帰郷する。東京時代に撮影しまくった近代建築の写真は今となれば貴重な財産となっている。
1982年、雇ってくれる所がなかったので、仕方なく独立。事務所名を「工房」としたのは、建築の設計という行為は「事務」ではないと思ったから。 好きな建築家は、フランク・ロイド・ライト と村野藤吾。
2000年、ウェブサイトを立ち上げた時、雑誌感覚で発信しようと思い、「仙洞田建築工房通信」としました。この歳になって少年時代の夢が叶ったわけで、インターネットのありがたさを痛感しています。(数年前にプロバイダーのホームページサービスが終了したため、現在のブログ形式に移行しました)

自宅兼事務所(1987年築)
名 称 一級建築士事務所・仙洞田建築工房
開 設 1982年9月15日(登録認可10月5日)
所 在 地 山梨県甲府市大里町4089-5
Eメール sendohdaアットマークmaple.ocn.ne.jp
資 格 等 一級建築士
ハウスジーメンインスペクター
所 属 日本建築学会・ 山梨県建築士会
経営信条 自由・独立
■私の事

氏 名 仙洞田安宏(せんどうだ やすひろ)
趣 味 読書・建物探訪・畑仕事
蒐 集 栞・木のもの
活 動 近代建築探訪MLメンバー/まちかどの近代建築写真展実行委員
甲府市藤村記念館運営協議会委員
社会福祉法人監事
ワイズメンズクラブ国際協会東日本区ヒストリアン
生活信条 Let it be
■自己紹介
6才の時に父を、8才の時に母を亡くす。小学6年生の時、学校の創立90周年ポスターが特選になって教師に誉められたことから 、単純な性格の私は商業デザイナー(今流に言えばグラフィックデザイナー)を志す。企業のロゴマークや包装紙のサンプルなどを蒐集する。
中学1年と3年の時、学習研究社主催の作文コンクールに応募し、優秀10作品に選ばれ賞金を獲得、志望をもの書きとの二股をかける。 しかし性格上小説のような「虚構」は書けないとして、雑誌編集者を希望するようになる。
ところが、本人の意志に反し、高校は伯父が経済的援助をしてくれるという条件で建築科に進学。非力な自分は材木など担げないと将来を悲観する(当時は建築科へ行くと言うのは大工職人になることと思っていた)が、設計という分野がある事を知り、ここでも単純な性格で天職と思いこむ。卒業設計が最優秀作に選ばれると、ますますその意を強くする。卒業後上京し設計・積算・現場監理の実務を学ぶ。数年後某大学の建築学科(夜間)に入学するが、体をこわし2年あまりで退学、失意のまま帰郷する。東京時代に撮影しまくった近代建築の写真は今となれば貴重な財産となっている。
1982年、雇ってくれる所がなかったので、仕方なく独立。事務所名を「工房」としたのは、建築の設計という行為は「事務」ではないと思ったから。 好きな建築家は、フランク・ロイド・ライト と村野藤吾。
2000年、ウェブサイトを立ち上げた時、雑誌感覚で発信しようと思い、「仙洞田建築工房通信」としました。この歳になって少年時代の夢が叶ったわけで、インターネットのありがたさを痛感しています。(数年前にプロバイダーのホームページサービスが終了したため、現在のブログ形式に移行しました)