まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

10月3日…今日は何の日

2012-10-03 06:38:51 | 思い出のパチンコ店

(「今日は何の日」シリーズ)

66年前(昭和21年)の10月3日は、故・田山幸憲プロがこの世に生を受けた日である。

田山プロが、2001年7月4日(ナナシーの日)に亡くなられた事は、あまりにも有名だ。

一方で、氏の誕生日に関する情報は意外に乏しい。

先日のコメント欄で、「田山さんと誕生日が同じ」という投稿があったが、ちょっと羨ましい気もする。

 

さて、田山プロといえば、東大からパチプロの道に入り、池袋S店(「山楽」…閉店)⇒溝の口B店(「P.S.ビッグトップ」…閉店)⇒桜新町H店(「パチーノヒノ」…閉店)⇒青葉台B店(「ビッグスペース」…閉店)⇒用賀C店(「クローバー」※)⇒用賀H店(「パチーノヒノ」※)と渡り歩き、生涯現役を貫いた伝説のプロである。「パチプロ日記」を始めとする氏の著作は、当時のパチンカーの心を捉えて離さなかった。

※「用賀クローバー」は、その後「スロットクローバー」(スロ専)となる。

※「パチーノヒノ用賀」は、その後「日の丸用賀店」に改称。

 

本日は、田山さんが生前活躍された数々の舞台の中から、「青葉台」(田園都市線、横浜市青葉区)を取り上げてみたい。自分が大学生の頃までは、まだ「緑区青葉台」だったな…。

ただ残念な事に、私は田山さんが青葉台に通っていた頃(1997年~1998年)の状況を、直接は知らない。パチプロ日記を通じて、B店での立ち回りを文面から想像していたクチである。

田山プロがB店で好んで打ったのが、マルホンの「雀士ウーロン牌」や京楽の「華観月2」といった現金機だ。私自身も、当時の日記で興味を持ち、その後打ちこむ事となった。

 

~因みに、池袋S店と桜新町H店は、田山さんが通っていた時期に、思い切って訪問した事がある。しかし、幸か不幸か本人と遭遇する事はなかった。溝の口(武蔵溝ノ口)B店は、店の前は良く通ったものの、店内に足を踏み入れる機会は遂になかった(一度は入店しておけば良かったと、今も悔いが残る)。東急溝の口側の「ツバメ」は良く利用したのだが…~

★池袋西口訪問(1991年)の回想

http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/6a0ed5d365a0eea464c8615192af2c2b

★溝の口駅前パチンコ店マップ(1994年)

 http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/f01010f9ed1d76549ddddd65193e0ccd

 

 

さて、私が青葉台を実際に訪れたのは、今から11年前の2001年9月。田山さんが病で亡くなられた直後の時期に当たる。

もちろん「追悼」という意味もあったが、実は、当時追っていたパイオニアの沖スロ「シオサイ30」を打つ為でもあった。

 

90年代後半、沖スロの魅力に取り込まれた私は、登戸(ニューハトヤ)、向ヶ丘遊園(バンバン)、溝の口(エスパス)、自由ヶ丘(ニューミツボシ)、西武新宿駅前(ビッグポット)などで、シオサイのハイビスカスをチカらせる事に精を出していた。設定判別も効いたので、立ち回りのしやすい機種でもあった。

しかし、21世紀に入ると、どの店も設定が渋くなったり、台自体が入れ替えられたりして、一気に状況が厳しくなってきた。「コチラがダメなら…」と、名古屋に遠征をかけたりもした。そんな時、「青葉台駅の近くには、シオサイを良く出す店がある」との情報を得た。田山プロゆかりの地に、私の好きなシオサイの設置店があるのも、何かの縁だと感じた。

 

それでは、2001年の青葉台訪問時に、駅周辺で営業していたホールをマップで振り返る。

 

(C)Google、Zenrin

(時間の都合上、既存の地図を使用。)

 

A…ビッグスペース  B…青葉台会館  C…フラミンゴ  D…ラッキー  E…ダイエー

 

※D(ラッキー)の場所が誤って表示されていた為、修正した。コメントでのご指摘に感謝したい。 

 

Aの「ビッグスペース」(閉店)は、駅を出てバス通りを南に歩いていると、交差点の奥のパチ屋が真っ先に目に飛び込んできた。中に入ると客はほとんどおらず、機種もありきたりのCR機しかない。パチスロの狭いシマを歩くと、どういう訳か電源の入っていない台も多い。時代は若干違うとはいえ、「田山さんは、こんな店で勝負していたのか…」と、正直驚かされたのを覚えている。

Bの「青葉台会館」(現存)は、ビッグスペースとは打って変わって活気のある店だった。権利物ではラッキーボウル2(奥村)、スーパーカブキ3(奥村)、ギンパラ(三洋)、ミルキーバー(ニューギン)、一般電役のマジカルランプ(奥村)、オークス2(三星)、ナナシー(豊丸)、デジパチのFパワフルIII(三共)と、ラインナップも香ばしかった。

Cの「フラミンゴ」(現存)は、地下にあるスロ専(現在は規模を拡大した併設店)で、暗いフロアの奥に、お目当てのシオサイ30が設置されていた。出ている台はドル箱を重ねているが、それほど数は多くない。常連っぽい若者が、高設定台を抑えている感じもする。「ビッグ〇回で設定6チケットが貰える!」「ポイントを貯めて高設定台をゲット!」みたいな貼り紙が出ていたので、ノコノコ遠征して勝てる店ではないと直感した。一応、空き台でペシペシやってみたが、結局呑まれてヤメ。

Dの「ラッキー」(閉店)には、「神龍2」(竹屋)というレア&マイナーな連チャン機が設置されていた。回りも普通だったが、結局一度も当らずじまい(「アタッカー12個入れ」をやりたかったが…)。スロのシマには「ドンちゃん2」があって、早いビッグを3回掛けた。当然、ビッグ中は変則押しで複合14枚を取りまくる。1000枚近くのコインを流して換金所に行ったら、7枚交換でちょっとガッカリした。

Eの「ダイエー」(現存)は、ホール密集地帯から一軒だけ離れたところに、ポツンとあった。スロの新台と思われるパイオニア「オアシス」が入っていたので、チョコッと打ってみる。すぐにハイビスカスが光ったが、バケ。その後もバケを数回引いただけでヤメる。パチンコのシマを覗くと、三星のショウロンポウがある。新百合ヶ丘の「Z」にもあって好きな台なのだが、あまり回らない。懐かしの三共「CRFワールドI」にも少し「お布施」をして、そそくさと店を出る。

 

結局、フラミンゴでの実戦を最後に、大好きだったシオサイ30は卒業した。その後、登戸「スロットハトヤ」のハナハナ30やハイシオ30などを経た後、町田「さくら屋」のシオラー30でスロ人生随一の爆勝街道を歩む事となるが…只でさえ冗長な話がまとまらなくなるので、また別の機会にでも。