まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

昭和のスーパーカーブームを振り返る

2015-02-26 02:59:45 | 昔話あれこれ

今回は、パチ・スロとほぼ無関係な話(最近、この流れが増えてきたな…汗)



今から36~40年前(1970年代)、「スーパーカーブーム」というのがあったのを、覚えているだろうか。

フェラーリ、カウンタック、ミウラ、ポルシェ、デトマソ・パンテーラといった高級・外国製スポーツカーががぜん注目を浴び、従来のモーターファンはもとより、それまで車と無縁だった小・中学生、幼児まで巻き込んだ、まさに「社会現象」となった一大ブームである。

この火付け役となったのが、当時、漫画家の池沢さとし氏が少年ジャンプで連載した、「サーキットの狼」という、破天荒なカーレースの漫画だった。これが、購読層の少年の心をガッツリ捉えて、「スーパーカー=かっこいい、憧れ」の図式が確立。いったん火が付いてしまえば、後は友人・兄弟などを通じて、輪は一気に広がり、いつしか「スーパーカー」でピンと来ない男子小学生などは、ほぼ皆無となった。

かくいう私も、周りの勢いにすっかり乗せられ、あのセンセーショナルな時代を体感した一人。学校では、友達と机上でスーパーカー消しゴムを「BOXY」のボールペン(パッチンペン)で弾き合った。筆箱や下敷きなどの文房具は、赤いカウンタックの写真入り。家に戻れば、近所の悪友とスーパーカーのメンコ遊びで興じる…という生活を送っていた。

他にも、12チャンネル(テレビ東京)でスーパーカーのクイズ番組(山田隆夫が司会の「対決!スーパーカークイズ」)が放映されたり、コカ・コーラの王冠の裏にスーパーカーの絵が描いてあったり、駄菓子屋でスーパーカーの袋入りカードが売られていたり、ポルシェのミニカー、プラモデル、ラジコンがオモチャ屋に並んでいたり…と、実に様々な形で、我々子供に「誘い」をかけて来た。

その後、いつの間にかブームは消え去ってしまったが、あの「夢のようなひと時」は、いまだ脳裏に焼き付いたまま離れない。

そこで、幼稚園~小学低学年だった当時の私が、「思い出のスーパーカー」達といかに付き合ったかを、いまさらながら一寸振り返りたい。





(スーパーカー消しゴム)

これは、まさに「定番」のアイテムであろう。いうまでも無く、カウンタック、ミウラ、ポルシェ、フェラーリ、マセラティ・メラクといった数々のスーパーカーを象った、小さなゴム状のおもちゃ(塩化ビニル)である。
但し、「消しゴム」とはいっても、「文字を消す」という本来の機能でみればダメダメで、擦った部分が却って黒く汚れてしまう類のものだった。

駄菓子屋などで、1回20円のガチャガチャ(コスモス)を回して、出てきた小さなカプセルを開けると入っていた。ガチャガチャ以外では、やはり駄菓子屋とか街のおもちゃ屋などで、透明なビニール袋に数個まとめて入っている奴を、小遣いをはたいて買いこんだりもした(バラでも売ってたかな…)。

こうして手に入れた「カー消し」(スーパーカー消しゴムの略称)は、そのまま眺めているだけでは、大して面白くもなかった。「車」である以上、やはり動かしたくなるのが人情である。

そこで、家にある「BOXY」のボールペン(通称「パッチンペン」)を引っ張り出し、裏側のノッカーでパチンパチンと弾きながら、板張りの廊下で一人「レースごっこ」を楽しんだ。ワックスの効いた床なら、カー消しのスベリもよく、爽快だった。

やがて、一人で遊ぶだけでは飽き足らず、廊下の直線コースや本を並べた簡易なコースで、友達と競争するようになった(公平を期す為、1回づつ交互にペンを弾くのがルール)。勝ったら相手の車を貰えるとか、「ギャンブル色」が強くなることもあった。

当然、自分のカー消しを速くしたいので(弾いた時、なるべく距離を出したい)、諸々の小技を仕込んだ。定番だったのが、タイヤ部分にボンド、セメダイン、ロウなどを塗り、摩擦を減らしてスベリを良くすること。また、車体の裏にホッチキスをかませて、スピードアップを図ったりもした。タイヤをカッターで削る、なんて事もしたな。

また、結構な「ウラ技」だったのが、ワンカップの空きビンに灯油を入れて、そこにカー消しをポチャンと投げ込む、というものだ。こうして「灯油漬け」にした車は、時間が経つとカチカチになって、サイズも極端に縮む。これをパッチンペンで弾くと、面白いくらいに距離が伸びたのだ。まさに「無敵」のスピードカーが誕生したが、これは流石に「ズルい」という事で、仲間内では禁止になった。

また、「パッチンペン」そのものに、仕掛けを講じたりもした。カー消しを強く弾くには、ペンの中の「バネ」を強力にする必要がある。そこで、バネを2個まとめて入れたり、いったんバネを伸ばして再セットしたりと、バネの強化を図った。

このように、カー消し対決を巡っては、子供ながらの「打算や駆け引き」が、確実に存在した。


それから、レース以外でも、学校の机の上で、お互いのカー消しをパッチンペンで弾いてぶつけ合い、先に机から落ちた方が負け…という、通称「落としっこ」をよくやった。

落としっこの場合、パッチンペンの威力を強める他にも、相手のどの部分に体当たりさせるかとか、いかに重くて安定した車を使うかといった、戦略も重要だった。当時は「磁力入りのカー消し」も出回っていて、これは重めで安定感があったので、カンペンケースに張り付けて、よく学校に持っていった。暫くすると、「勉強の邪魔になる」という理由で、カー消しの持ち込みは禁止されてしまった(発見しだい没収)。




(スーパーカーショー(展示会))

当時の子供達にとって、スーパーカーの「実物」に遭遇する事は、非常にラッキーな事だった。私など、フェラーリやポルシェなどが街中で駐車しているのを偶然見つけると、すぐに駆け寄って、運転席の中をガラス越しに覗こうとして、明らかに不審な態度を取っていた(笑)。

また、格好の遊び相手だった近所の「兄貴分」と連れだって、家から自転車で25分ほどの所にある、某・大学病院の駐車場に通うのも、何気に好きだった。この病院の付属大は、いわゆる「金持ちボンボン」が多く通う事で知られていて、病院近くのだだっ広い駐車場には、高給取りの医師やボンボン学生が所有すると思しき、ポルシェ、フェラーリ、ベンツ、BMWといった高級外車が、常にゴロゴロしていた。兄貴分は安物カメラでパシャパシャやっていたが、自分は実物を眺めるだけで満足だった。

それから、当時馴染みのショッピングセンター「ダイエー」で、「スーパーカー撮影会」というのを催した事もある。子供らに絶大な人気を誇った「ランボルギーニ・ミウラS」(赤)が、入口前の特設スペースに一台だけ止めてあり、緑の森が映った大きな背景パネルもあった。そして、幾ばくかの撮影料を払うと、運転席に乗せて貰い、写真を撮ってくれる…というものだった。わが人生で、名車・ミウラに腰を下ろしたのは、この時だけだ(寂しい話だが…)。

さらに、小学1年生時分、今はなき後楽園球場で行われた「ザ・スーパーカー・ジャンボフェスティバル」(1977年8月)という展示イベントに、祖母や親戚と一緒に出向いた事も、今となっては思い出深い。

このイベントは、来場者が直接グラウンド内に入る事が可能で、展示車の撮影もOKだった。幸い、この様子を収めた画像が手元に幾つか残っており、この場を借りて一部紹介したい。



(当日はあいにくの小雨模様だったが、ズラッと並んだカラフルな名車の数々を、間近で存分に堪能。)



(BMW320(i)レーシング)



(ランボルギーニ・ミウラSV)



(ランボルギーニ・ミウラSと電光掲示板…ピンクレディ「渚のシンドバッド」も懐かしい…)



(イタリアの名車「デトマソ・マングスタ」をバックに。隣は親戚の子(個人情報保護の為、顔は修正)。
後楽園のグラウンドに居並ぶ希少なスーパーカーを前にして、もっともおバカなポーズをとった罰当たり者は、多分この私だろう…。「NTV・紅白歌のベストテン」(歌番組)の看板にも、時代を感じる。)





(メンコ)

これまた、定番アイテム。70年代半ば~後半、メンコのデザインといえば「スーパーカー」「ウルトラマン」「ブルートレイン」の3つが、ダントツで主流だった。

スーパーカーファンの子供にとって、安価で手に入るメンコ(角メン、丸メン)は、有難い存在だった。
今回は、手元に残っている現物の一部を紹介したい。


★フェラーリ編



フェラーリ512BB(赤)



フェラーリ512BB(シルバー)



フェラーリ512BB(シルバー)



フェラーリ308GTB(緑)



フェラーリ308GTB(青)



フェラーリ400GT(黄)



フェラーリ・ディノ308GT(黄)



(ポルシェ編)


ポルシェ930ターボ(黄)



ポルシェ930ターボ(シルバー)



ポルシェ928(赤)



ポルシェ911ターボ(青)



ポルシェカレラRSRターボ(赤、レース仕様)



(ランボルギーニ編)


ランボルギーニ・ミウラP400S(黄)



ランボルギーニ・イオタ(赤)



ランボルギーニ・ウラッコ(シルバー)



ランボルギーニ・エスパーダ(白)




ランボルギーニ・カウンタックLP400(黄)



ランボルギーニ・カウンタックLP400(オレンジ)



ランボルギーニ・カウンタックLP400(赤)



ランボルギーニ・カウンタックLP500(赤)


ランボルギーニ・カウンタックLP500(青)



ランボルギーニ・カウンタックLP500R(黒)



(マセラティ編)


マセラティ・ボーラ(青)



マセラティ・ボーラ(白)



マセラティ・キャラミ(青)




(その他)


ロータス・ヨーロッパ(青)



BMW320iA



ランチア・ストラトス(画像状態は劣悪…)





ここまで画像をアップして気付いたが、多分、メンコの「裏面」に興味ある人もいるだろう。こちらも追加。


「標識、トランプ、宇宙絡みのアイテム、ジャンケン、番号」の組合せが、当時のメンコ裏面の定番だった。
あと、クイズやなぞなぞ、とんちの類が載る事もあった。中日ドラゴンズの選手(谷沢とか高木とか)のメンコだと、裏は大抵「クイズ」だったな…。自分はカープファンだったが。



スーパーカーメンコでは、このように車種や基本仕様を裏面に記すことも多い。左端(フェラーリ400GT)は、表が車の外観で、裏が仕様解説+運転席の画像となっている。また、真ん中(「ポルシェ928)の「西ドイツ」表記に、時の移ろいを感じる。


★追記(ysakさん)
コメント有難うございます。
スーパーカー、イチゴ味のアイスバーといえば、1977年(昭和53年)に赤城乳業から出た、「スーパーカーバー」ですね。定価50円。味はイチゴとメロンの二種類(内側がシャーベット状、外側は硬い氷でコーティング)。棒に当りが書いてあれば、カウンタックやミウラのポスターが当るというものでした(当てた事はありませんが)。アイスもポスターもデッカイのがウリでしたね。
また、スーパーカー絡みのアイスだと、名糖から「スーパーカーラクトアイス」というカップアイス(定価50円)も出ており、コチラはカップの底に当りくじがついていました。
(追記、ここまで)