まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

若松孝二監督逝く

2012-10-20 00:45:42 | 雑記

去る10月17日、映画監督の若松孝二さんが急逝された。享年76歳。

 

ついこの間も、俳優・大滝秀治さんの訃報を伝えたばかり…。日本映画の貴重な人材が次々と世を去り、哀しい限りだ。若松さんのご冥福を、心よりお祈り致します。


 

若松孝二氏といえば、昭和のピンク映画から始まり「ピンク映画の黒澤明」の異名を持つ。その後、一般映画にも進出、80年代以降は「水のないプール」「キスより簡単」「エロティックな関係」「寝取られ宗介」「エンドレスワルツ」など、数々の話題作を世に出し続けた事で知られる。

先日、新宿の路上で交通事故に遭われ入院したニュースが流れたが、「命に別条なし」との報道もされていた。それだけに、この度の若松監督の急死に、悲しみと驚きで一杯である。

特に好きだったのは、1990年(平成2年)の「われに撃つ用意あり READY TO SHOOT」。平成初期の新宿・歌舞伎町が舞台のハードボイルド作品で、主演の故・原田芳雄や共演の桃井かおり、シャーリー・ルー※など、実力派俳優たちの名演が光った。

※シャーリー・ルー(SHIRLEY RU 呂秀齢=ルー・シュウリン)は、台湾の有名な琵琶奏者。かつては、台湾・香港で本格的に女優として活躍、本作では「呂菱」(=正しくは「女へんに秀」)名義で出演、ヒロインのアジア人女性「ヤン・メイラン」を好演した。

 

私にとって、1990年~93年の歌舞伎町は、学生時代に「パチンコ・パチスロ黄金期」を存分に過ごした思い出の地。それゆえ、この作品に対しては、一種特別の感情を抱いている。

「われに撃つ用意あり」については、以前の記事でも触れた。若松監督の訃報に接し、この名作と、当時の歌舞伎町に点在したパチンコ店との繋がりを、あらためて振り返りたい。

それにしても、映画撮影の地・新宿で若松監督が亡くなられた事に、何か「宿命」めいたものを感じずにはいられない…。

 

「われに撃つ用意あり」に見る、1990年(平成2年)当時の歌舞伎町のパチンコ店

 

★冒頭部分、「麻雀道場コスモス」というTV麻雀ゲーム店のネオンが映る。これは、西武新宿駅前通りで撮影されたもの。後方に見えるオレンジ色のネオンは、パチスロ店「日拓ビッグプレイ」(現・「スロットクラブエスパス新宿」)、さらに後方の大きな白いネオンが「日拓1号店」(現・「エスパス西武新宿駅前店」)

(C)松竹 若松プロ 1990

 

 

★白スーツ&グラサン姿のヤクザが、両手をポケットに入れてパチ屋の前を歩くシーン。背後の花輪が印象的だ。「ピンポーン、535番台スタートしました」という自動音声も聞こえる。このホールは、旧・コマ劇場前の大型店「オデヲン」(現・「オリエンタルパサージュ新宿」)。

(C)松竹 若松プロ 1990

 

また、コマ劇裏でヤクザ達がたむろするシーンでは、背後に当時公開中だった映画の看板が映っている。邦画「病院へ行こう」(真田広之、薬師丸ひろ子)や、洋画「ワーロック」(Warlock)、「ザ・トレイン」(Beyond the door III)の懐かしい看板だ。

 (C)松竹 若松プロ 1990

 

★夜の歌舞伎町を嗅ぎまわる、怪しいヤクザ達。3人のグラサン男が、自動ドアの前で情報交換している。これは「日拓1号店」の裏口、自動ドア付近(エビ通り)で撮影。店内の上方には、競馬中継用のTVモニターが見える。新宿日拓本店では、当時お馴染みのアイテムで、正面入口付近にも沢山のモニターが並んでいた。日曜ともなると、このモニターの前は競馬ファンでごった返したものだ。

 

(C)松竹 若松プロ 1990

 

 

★主人公の克彦(原田芳雄)が、不法就労のアジア女性・メイラン(シャーリー・ルー)の肩を抱き、夜の歌舞伎町を足早に進む。その姿を見つけたヤクザ達が、裏路地から後を追う。この一連のシーンで、画面左上にパチ屋のネオンがチラッと映る。「日拓2号店」(現・「エスパス西武新宿駅前店」)のネオンである。向かいには、「鮒忠」という割烹料理屋の看板も見える。鮒忠の路地には、現在「エスパスタワー」が建っており、当時の面影はほとんど残っていないが、右側「大感謝祭」のノボリは、当時オープンしたての「喜多方ラーメン・坂内」のものと思われる。

  

(C)松竹 若松プロ 1990

 

 

★中年のポン引き(草薙良一)が、「社長、いい娘いるよ~」と通行人に声をかけるシーン。当時の歌舞伎町では良く見られた光景で、私もパチ屋帰りにしょっちゅう呼び止められた。このロケ地は歌舞伎町公園(王城公園)前だ。克彦とメイランが通りかかると、「ヨッ、マスター。今日はいい娘連れてるね~」とひやかすポン引き。しかし、ベテラン刑事の軍司(蟹江敬三)の顔を見て、一転表情をこわばらせる。ポケットに手を入れ、煙草を吹かす軍司の右背後には、煌々と輝く白と赤のネオン。これは、さくら通りのパチンコ店「トップス」である(現・「ゲームプラザGAO歌舞伎町店」)。末期まで「フィーバークイーンII」を置いていた店、といえばピンとくるだろうか。1990年当時は「エキサイト麻雀」「ドリームX」「ファンキーセブン」「舞羅望極2」などが並んでいた。

(C)松竹 若松プロ 1990

 

 

★コマ劇前の喫茶店で、ブローカー(奥村公延)から偽造パスポートを受け取るメイラン。店を出て歩いていると、克彦がビルの陰から急に現れて、メイランの手を掴んで走り去る。克彦が身を潜めていた場所は、旧・コマ劇場前「新宿ジョイパックビル」(現・「ヒューマックスパビリオン」)1Fのパチンコ店「ラスベガス」(現・「ゲームカーニバル」)入口付近だ。当時、瑞穂製作所2-1号機「ファイアーバードEX」を打ちに通った店だが、あまり設定状況は芳しくなかった。夜の5時~8時に、女性DJの生放送が店内に流れる事でも知られた。

(C)松竹 若松プロ 1990

 

また、この一連のシーンでは、コマ劇裏の「アマンド」、裏路地のアダルトショップ、あずま通りの喫茶店「ルノアール」なども確認できる。ルノアール後方には、パチンコ「ニューメトロ」やキャバレー「ロンドン」の看板も小さく見える。

(アマンド)

(C)松竹 若松プロ 1990

 

(アダルトショップの看板)

(C)松竹 若松プロ 1990

 

(左に「ルノアール」、右後方にキャバレー「ロンドン」、「パチンコニューメトロ」の赤いネオン)

(C)松竹 若松プロ 1990

 

 

★パチンコ店とは無関係だが、克彦と李津子(桃井かおり)が、マフィアのボス(室田日出男)と壮絶な銃撃戦を繰り広げるシーン。舞台は主に松竹のセットだが、ビルに出入りするシーンでは、新宿区役所通りの「メトロプラザ」が使われている。また、克彦と軍司が銃を持って睨み合う場面は、メトロプラザ近くの「新宿バッティングセンター」付近が撮影場所。

(C)松竹 若松プロ 1990

 

 

★負傷した克彦とリーが、人気(ひとけ)のない広場の植え込みに座り込むラストシーン。原田芳雄の名曲「新宿心中」が流れてグッとくる場面だが、早朝のコマ劇前広場で撮影。二人の背後には、コマ劇の古い「Koma」のロゴが見える。隣の新宿東宝会館には、洋画「ローズ家の戦争」(The war of the Roses)(1990年5月、日本公開)の看板も見える。

(C)松竹 若松プロ 1990

 

 

あらためて、若松孝二監督のご冥福をお祈り申し上げます。