嵐山石造物調査会

嵐山町と近隣地域の石造物・道・文化財

嵐山町の石仏3 石造物の分類とその概要1 如来

2009年03月03日 | 嵐山町の石仏造立の背景

 今回の調査により嵐山町で確認された石造物は、主として仏教関係の石仏が中心である。ここでは調査で確認された石造物をそれぞれの分類に従い、その概要について解説する。

○如来(にょらい)
 如来はサンスクリット語で「タターガタ」という。「正しく目覚めた人」という意味を持つ「ブッダ」を漢字にあてはめると「仏陀」、それを略して「仏」となる。如来は音ではなく、意味の上で仏陀を表わす言葉の一つである。
 正しく悟りを開いた「人」という意味では、実在の人物で悟りを開いたのは釈迦如来だけなので、如来は正確に言うと釈迦如来だけになる。その他に、釈迦のように教えをこの世で体現した如来、釈迦以前からある真理を示す形の如来や、それを人々に伝えるために出現した如来もある。
 仏像の基本となったのは釈迦の像容である。釈迦像の特徴にはまず「肉髻相(にくけいそう)」がある。頭の肉が盛り上がって髻(もとどり・髪を頭の上に束ねたところ)のように見えることでこう呼ばれ、像では頭頂部が大きくふくらんでいるように見える。頭部にはもう一つの特徴として「螺髪(らほつ)」があり、粒状のうずまきをした髪がそれである。左右の目の間で眉間の位置にあって、ホクロのように見える特徴は「白毫相(びゃくごうそう)」である。じつはホクロではなく、クルクル巻いた白い毛である。その毛を伸ばすと二メートル位になるとされ、これは仏の知恵を表わしている。仏像では丸い水晶がはめこまれている。
 如来像の体型は肉付きがよく、ふくよかに作られている。立像では手が長く、手先が膝より下にくるほどにつくられている。着衣にも如来共通の型が見られる。その姿は僧侶と同じスタイルで、袈裟だけを
つけた質素な形に統一されている。ただし大日如来だけは例外で、菩薩型の宝冠や装身具をつけている。
 嵐山町には如来の石仏は合計14基がある。

・釈迦如来(しゃかにょらい)
 釈迦如来(お釈迦さま)は他の如来と違い、インドに実在した人物である。釈迦族の出身で、悟りの境地に達した聖者であることから「釈迦牟仁」とか「釈尊」とも称されている。誕生から入滅まで種々の像が見られるが、座禅の姿(禅定印)と説法の像が多く造られている。禅定印像は法界定印に手指を組む座像である。説法の釈迦如来像は、座像と立像があり、右手で施無畏印(衆生のおそれや心配を取り去り救済すること)、左手で与願印(衆生のさまざまの願いを聞き入れてくれること)の形をとっている。また左手を与願印にせず、施無畏印と与願印を組にして説法の印と呼ぶこともある。
左手の掌(たなごころ)を下に向けて軽く指先を地面にふれるようにし(右手の場合もある)、もう片方の手は腹の前で拳を握る格好をしている像もある。これは降魔成道の釈迦像である。
 嵐山町には丸彫座像が菅谷に1基、文字塔が広野に1基あるだけである。釈迦如来の種子は「バク」。
 
・阿弥陀如来(あみだにょらい)
 阿弥陀如来は、衆生を苦しみのない、美しい極楽浄土に迎えてくれる如来である。その像はおだやかでやさしい顔をしている。表情や衣にはっきりした特徴はないが、唯一の特徴は手の形(印相)にある。阿弥陀の九品印といい九つの違った型があるが、よく見ると両手とも親指と小指以外の一本の指で輪を作るような形である。如来像を見たとき、両手とも指で輪を作っていたら、阿弥陀如来と見て良いだろう。浄土宗では阿弥陀如来を本尊として、「南無阿弥陀仏(名号)」の念仏を唱えれば、西方極楽浄土に迎えられるという信仰が行なわれていた。中世から近代まで阿弥陀仏信仰は「念仏講」などを通して、最も民間に広まった信仰である。
 嵐山町では阿弥陀如来像は2基が大蔵向徳寺内、1基が古里にあり、文字塔は広野に1基ある。

・甘露王如来(かんろおうにょらい)
 甘露王如来は阿弥陀如来のまたの名である。施餓鬼でいう、五如来(宝勝・妙色身・甘露王・広博身・離怖畏)のうちの一如来で、阿弥陀仏と同体である。「如来の教えや智慧が甘露となって、身心の悩みを除き、長寿を保たせる徳を象徴して甘露王というのだ」と、経典は述べている。嵐山町に像塔はなく、文字塔が鎌形に1基確認されている。

・薬師如来(やくしにょらい)
 薬師如来は現世の渇きのすべてを満足させる、現世利益の如来である。東方にある浄瑠璃浄土の教主で「薬師瑠璃光如来」とも呼ばれる。
 また薬師如来は物を持つ唯一の如来で、多くの薬師像は薬壷(やっこ)という持物を手にしている。また薬師如来の「薬師」とは、今日の医師の意味で、病気を治す仏である。薬師如来が仏になられるとき、十二の大願をおこし、心身に障碍のある人、病に苦しむ人を快復させ、安楽な生活がおくれるよう願った。「諸根具足願、除病安楽願」がこれにあたる。このように薬師如来は医薬の仏として、古くから信仰され、人々から敬愛されてきた。
 像容は左手に薬壷か宝珠を持ち、右手は施無印を結ぶのが一般的で、座像と立像が見られる。嵐山町には大蔵に座像が1基ある。また広野に文字塔が1基ある。薬師如来の種子は「バイ」。

・大日如来(だいにちにょらい)
 大日如来は、真言宗系統の密教では特に、あらゆる仏の中で最高の位置にいるとされている。他の如来像が着衣も簡素なもので、質素ですっきりした姿をしているのに対し、大日如来だけはりっぱな宝冠をかぶり、瓔珞(ようらく・首飾りのようなもの)をかけ、腕に臂釧(ひせん)腕釧(わんせん)といったリングをつけ、菩薩のように豪華な像容となっている。
 大日如来のもとの言葉はサンスクリット語の「ヴァイローチャナ」で、「太陽の子」という意味である。また「摩訶毘盧遮那仏(まかびるしゃなぶつ)」とも呼ばれている。大日如来像は座像で、一面二手、豪華な装飾を身につけ、法界定印(ほつかいじょういん)か、あるいは智拳印を結んでいる。菩薩型の像で、このどちらかの印を結んでいれば、それは大日如来と思ってよいだろう。法界定印は最高の悟りを意味している。智拳印は左手の親指を中に入れて、人差し指を立てた拳を作り、その人差し指の第一関節から上を右手の拳で握りこむ形をしており、これは最高の判断力である「智」を表わしている。法界定印の大日如来と智拳印の大日如来は形の上で二体に分けられているわけではない。大日如来は仏教の二大要素である「理」と「智」を象徴するための二体が存在するのである。法界定印の大日如来が示す「理」の世界を「胎蔵界(たいぞうかい)」、智拳印の大日如来が示す世界を「金剛界」と呼ぶ。曼荼羅の本当の意味は、大日如来の世界を図で構成したものである。両如来の見分け方には他に種子がある。種子とはそれぞれの如来、菩薩、明王、天などの諸仏をシンボル化して、梵字の一字で表わすものである。胎蔵界大日如来は「ア」で、金剛界大日如来は「ヴァン」で表わしている。
 嵐山町には綜彫座像のもの1基が志賀に、文字塔3基が大蔵に、1基が越畑にある。
※嵐山町博物誌調査報告第8集『嵐山町の石造物1』(嵐山町教育委員会発行、2003年3月)掲載の島﨑守男「嵐山町の石仏造立の背景」(同書5頁~8頁)より作成


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