嵐山石造物調査会

嵐山町と近隣地域の石造物・道・文化財

嵐山町の石仏9 石造物の分類とその概要7 供養塔1

2009年03月09日 | 嵐山町の石仏造立の背景

○供養塔(くようとう)
 「供養」とは読経したり念仏を唱えたりして、仏や仏の教え、あるいは死者の霊などにお供えものをして仏事を行なうことである。その際に建てられたのが「供養塔」であり、中でも多く造立されているのが経典供養塔である。経典供養塔のうち経典の名称や経文・真言などを石塔に刻んだものを「刻経塔」、経典読誦の回数などを刻んだものを「読誦塔」、写経した経典を寺社に奉納したことを刻んだものを「写経塔」・「納経塔」・「廻国塔」と称した。
 江戸時代の嵐山町域において、経典への信仰は盛んに行なわれていた。刻経塔のうち「名号塔」は1668年(寛文8)のものが、「題目塔」では1699年(元禄12)のものがいずれも町内における造立の初出である。その後の経典供養塔造立は1741年(寛保元)から1850年(嘉永3)までが最盛期であり、この間に各種供養塔50基が造立されている。また最も新しい造立は1897年(明治30)の普門品供養塔である。
 供養塔には経典供養塔以外にも、諸国の霊場などを巡拝した際の供養として造立された「巡拝塔」などがある。

・読誦塔(どくじゅとう)
 経典供養塔の中で中心となるものは読誦塔である。ある一つの経典を読誦した記念として建立した供養塔である。経典はもともと読誦することを目的としたものであるが、それが「何遍・何部を読誦したか」ということが碑面に記されている。
 嵐山町の読誦塔碑面には「法華一千部成就」「南無妙法蓮華経一千部」「大乗妙典一千部」「大乗妙典敬誦」「普門品五萬巻」「光明真言弐百萬遍」「千部供養塔」「百万遍供養塔」といった類の銘文が刻されている。このうち「法華」とは法華経、つまり妙法蓮華経のことである。妙法蓮華経は「大乗妙典」あるいは「大乗経」とも呼ばれ、「経王」という場合もある。これは「経典の中で妙法蓮華経が最高のものである」とするところからきている。また、妙法蓮華経の中に「観世音菩薩普門品・第二十五」という章があり、これを略して「普門品」、または「観音経」と呼ばれている。
 「光明真言」とは密教で称える呪文の一つであり、大日如来の真言で、また一切の仏菩薩の、総ての呪文でもある。光明真言を読誦すると一切の罪業が除かれるといい、この真言をもって祈祷した土砂を死者にかけると、生前の罪障が消滅するといわれている。
 嵐山町では光明真言の読誦塔は二基があり、さらに法華経と合わせた「法華経光明真言」が1基ある。
 「金光明最勝王経」の読誦塔は、嵐山町では杉山の薬師堂にただ一基のみが見られる。金光明最勝王経は703年(唐の則天武后の長安3)に義浄が訳した経典である。これを信じれば四天王をはじめ、天神・地神がその国土を守り、民衆に利益を与え、天変地異をなくし人々は豊かで安楽になると繰り返し述べているところから、鎮護国家の経典として尊重され広まった。聖武天皇がこの経典に基づき国分寺を建てさせて、「金光明四天王護国寺」と称してこの経典を読誦させた。

・名号塔(みょうごうとう)
 「名号」とは仏・菩薩の名をいうが、特に「阿弥陀仏」、または「南無阿弥陀仏」の文字を名号塔に刻み、ふつう名号塔というと六字名号塔のことを指す。「南無」とは絶対帰依する(仏・法・僧を信じ敬う)ことを現わしている。浄土教系の宗派では「名号を奉唱すれば必ず極楽浄土に往生する」と説いている。
 嵐山町の名号塔は計16基を確認している。町内に阿弥陀如来を本尊とする寺院は9ヵ寺あるが、名号塔の造立はこれら寺院のある集落に見られる。

・題目塔(だいもくとう)
 経典などの題号を、本来は「題目」という。日蓮は法華経のなかに釈尊の教説の根本精神が含まれていると説き、法華経の題号である「妙法蓮華経」の上に、絶対帰依を意味する「南無」をつけて「南無妙法蓮華経」の七字を唱えることをはじめた。そして日蓮宗ではこれを唱えることが唯一の実践修行となった。
 題目塔を造立したのは日蓮宗信徒だけである。町内には題目講中の造立が8基、個人の造立が13基確認されており、造立地は日蓮宗寺院のある千手堂・鎌形に集中している。


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