どうか円満に別れさせて “離婚の神様”繁盛記
ひっそりと祈る姿哀れ 全員女性、宮司も戸惑い顔
いよいよ結婚シーズン。出雲神様は、日本全国駆けずり回ってカップルの縁結びに大忙し。だがその陰で、一度結んだ縁(えにし)の糸をほぐす神様が、このところちょっとした評判になっている。「離婚」は、社会の価値観や意識の変化を色濃く反映し、このところ増加の一途をたどっているが、世間の目をのがれ、「どうか別れさせて下さい」と神に祈る姿は、いかにも哀れ。この離婚の神様繁盛記は、当の神様も複雑な思いでいることだろう。
▼祭神は女の神様
話題の神様は、比企郡吉見町江綱一五〇一の元巣神社。創立は明らかではない。というのは今から二百四十余年前の寛保二年(1742)夏の大洪水で神社に伝わる古記録がすべて流失してしまったからだ。
したがって言い伝えによるしかないが、大和の畝傍山の社(橿原神宮)から遷霊奉斎したのに始まり、室町時代の天文元年(1532)に藤原重清がこの地に下向し、当時、同地域はしばしば水害に見舞われ、庶民が難儀していたのをあわれんで、もろもろの災厄防除を祈願したという話が残っている。
祭神は、啼沢女命(なきさわめのみこと)という女の神様。では、この神様が、今、なぜ離婚の神様として脚光を浴びているのだろうか。
同神社の宮司である馬場福治さんは、「元巣という神社の名前に大いに関係があるのだと思います。このあたりには古くから、“元巣”を元の巣に戻ると解釈し、心に悩むことすべてが、元のいい状態に戻りますようにと祈願する“元巣信仰”があったようです。離婚は正にお互いが元の巣に戻ることですから…」という。元巣神社は、現在、ここにあるほか、奈良、静岡にある。いずれも離婚祈願が増えているのだろうか-。
神社のわきで酒、プロパンガス、雑貨の販売をしている氏子総代の間下治男さんは「この地域の人たちは、結婚式に行く際は、元巣様の前を通りません。元に戻って夫婦別れしてしまうという言い伝えがある空です」という。昔は新婦が新郎の家へ行列を組んで嫁いで行った。どの行列も「元に戻っては大変」と神社の前をよけて、わざわざ遠回りをして行ったという。「いまも結婚式に行く際は、神社の前を通りませんよ」と間下さん。今なお地域の人たちの間には、“元巣信仰”が根強く生きている。
▼増える離婚件数
こうした言い伝え、習慣が、いつの間にか元巣神社を“離婚の神様”の座に祭り上げてしまったのだろうか。
馬場宮司は「どのくらいの祈願者があるか分かりません。一年に十人程度ですが、はっきりと離婚祈願にくる人がいます。世相の反映ですかね」という。それもここ数年のことという。
県の人口動態調査では、昨年一年間に七千八百九十三組の夫婦が離婚した。これは一日に二一・六組、一時間六分四十六秒に一組の割合で夫婦が別れたことになる。五年前に比べると二五%、二十年前に比べると実に四・四倍に急増している。
離婚件数が増えれば、トラブルも増える道理。昨年、浦和家庭裁判所に持ち込まれた離婚調停は千九百件、こちらも確実の増えている。いってみれば、話し合いがこじれ、ニッチもサッチもいかなくなり、やむを得ず裁判所へというケースだ。財産分与、慰謝料、離婚後の養育費問題など、そこにはさまざまな難問がある。
県教育委員、弁護士で家裁の調停委員として数多くの離婚事件を扱っている伊藤政子さんは「さまざまな離婚を扱いながら賢い離婚の選択の難しさを痛感します。離婚の現実は予想外に厳しい」という。俗ないい方をすれば、確たる見通しも設計もなく、ひっつくのも早ければ、別れるのも早い-そんな風潮を反映して、離婚は増える一方だが、一つ一つのケースに足を踏み込めば、ドロドロしたものがあるのが当然のことだ。そこで神様の袖(そで)にすがることになる。
▼再び幸せの道を
「この間も川越の人でしたが、円満に別れることができました、とお礼に来られた人がいました。離婚祈願といっても、お互いが再び幸せな道を歩むことができるようにというのが祈願の目的です。それにしても世相ですかね…」と馬場宮司は、元巣神社に祈願すれば、離婚できるという評判に戸惑い顔だ。
祈願に来る人は、今のところ全員女性。家裁の調停申し立ても七四%強が妻からのもの。この数字は何を意味するのだろうか-。
『埼玉新聞』1985年(昭和60)9月23日