嵐山石造物調査会

嵐山町と近隣地域の石造物・道・文化財

嵐山町の石仏4 石造物の分類とその概要2 菩薩1

2009年03月04日 | 嵐山町の石仏造立の背景

○菩薩(ぼさつ)
 菩薩とは菩提薩埵(ぼだいさつた)の略語で、サンスクリット語の「ボーデイ・サットバ」がもとである。これは「悟りを目指して修行している人」という意味である。悟った人・ブッダ(仏陀)にはなっていないので、狭い意味だと菩薩像は仏像と言えないわけである。菩薩は如来(仏)の次の位にあって、将来は如来になる資格があるが、世の中の苦しむ人々を救済するまでは、人々のために尽くし如来(仏)にはならないことを信条としている。これが大乗仏教の菩薩であり、大乗仏教の経典をもとに多くの菩薩像が生まれた。菩薩像は修行僧の姿ではなく、インドの在家の貴族や商人の服装がもとになっている。在家の服装をした菩薩の表情は、如来と同様に女性的でおだやかな顔をしている。ただし怒りの顔の馬頭観世音菩薩だけは例外である。
 菩薩像は多面多手像が多く、一面二手の如来との違いを見せている。十一面観世音菩薩、千手千眼観世音菩薩、普賢菩薩は手が二十本もあり、文珠菩薩にも多手像がある。いろいろな人々に対するには顔がたくさんある方が良いし、救いのためにさしのべる手も数が多いほうが良いということである。
 また菩薩像は装身具で身を飾っており、ショールのような天衣(てんね)やタスキ状の条帛(じょうはく)、スカートのような裳(も)などを着けている。装飾品もイヤリング、ネックレス、ブレスレッドで飾り、地蔵菩薩以外は頭に宝冠をかぶっているのが特徴となっている。
 さらに、持物(じもつ)と呼ばれる持ち物を手にするのが菩薩である。例をあげれば、地蔵菩薩は杖や宝珠、観音菩薩の多くは蓮華(蓮の花)などであり、これらの持物はそれぞれ菩薩の能力を表わす意味がこめられている。

・弥勒菩薩(みろくぼさつ)
 弥勒菩薩はサンスクリット語で「マイトレーヤ」という。釈尊入滅の五十六億七千万年の後に、兜率天からこの世に降りてきて、釈尊と同じように悟りを開いて仏(如来)となり、衆生を救済するために法を説くと信じられている未来仏である。
 嵐山町の弥勒菩薩は文字塔のみ、二基がある。双方とも「大」をつけて「弥勒大菩薩」と刻されている。この「大」は菩薩の中の菩薩、偉大な菩薩という意味である。

・勢至菩薩(せいしぼさつ)
 勢至菩薩は古代インドのサンスクリット語で「マハースターマプラープタ」といい、これは「偉大な威力を獲得したもの」の意味で「大勢至」と訳されている。この仏は知恵の光明で人々を照らし、苦しみを除いてくれるといわれている。
 その像容は、阿弥陀三尊像では観音と同じように造られている。異なるところは、観音が宝冠中に弥陀の化仏があるのに対し、勢至菩薩の宝冠には水瓶(宝瓶)がついていることである。
 また勢至菩薩は十三仏の一尊としても造像されている。独尊としては、主に月待信仰・二十三夜待の主尊として造立されている。江戸時代以後のものは二十三夜待供養を目的としてはいるが、子孫安全を願う意味もあった。
 嵐山町の勢至菩薩に像容のものはない。十三仏としては菅谷の東昌寺に1基、二十三夜塔としては文字塔が志賀・吉田に各1基ずつある。

・聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)
 サンスクリット語では「アールヤアバロキテシュバラ」という。「アール」は「聖」、「アバロキテシュバラ」は「音を観る」の意味で、自在を表わす二つの言葉を合わせたものである。つまり「すべてのことを見知っており、自在に行動して衆生を救う」というのが聖観世音菩薩である。また観音の基本なので「正観世音菩薩」とも書く。
 聖観世音菩薩は現世利益をもたらしてくれる慈悲の仏である。観音の力や能力は法華経の「観世音菩薩普門品 第二十五章」に詳しく説明されている。これが有名な観音経である。終わりの部分には「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」という言葉が数多く出てくるが、これは「観音さまの偉大な力を念じれば、あらゆることから救われる」ということをあらわしている。それはすべての病気から天変地異に至るまで、およそ人間にふりかかるであろう災難の全てから救われることを意味している。聖観世音菩薩は現世利益の第一人者なのである。
 像容は右手が与願印、左手にはふつう蓮華(蓮の花)を持っている。蓮華は泥沼から清らかな花を咲かせるので、汚れのない仏の心を開かせようとする、清らかな理想をあらわしている。
 嵐山町の聖観世音菩薩は千手堂に1基、鎌形に2基、大蔵に3基、古里に3基、吉田に1基、広野に1基、杉山に1基の計12基が確認されている。

・十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
 庶民の信仰の対象には移り変わりがある。まず聖観世音菩薩が厚く信仰されていたが、その後に変化観音が現われた。そのはじめが十一面観世音菩薩で、聖観世音菩薩にとって代る経過をたどる。観音は変化して人々を救うため、救われる方の望みが優先されるようになり、功徳や力が様々に解釈されるようになったのである。
 仏教では東西南北の間に北東・南東・南西・北西を加え八方、さらに上下を加えて十方という空間のとらえ方をする。この観音経の教義によって作られたのが十一面観世音菩薩であり、すべての方向にいる人々を救うことを表わしている。
 像容は前を向く本面のほかに十一面があるものと、本面と合わせて十一面のものがある。嵐山町には上部に聖観世音菩薩をのせた文字塔1基が、勝田の廃寺跡にある。

・如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)
 古代インドのサンスクリット語で「チンタマニチャクラ」といい、「如意宝珠と輪宝を持つ」という意味である。人々の願いを思うままにかなえてくれるのが宝珠である。また「チャクラ」とは輪のことである。仏教の教えを説き広めることを「輪を転がすこと」に例えている。
 如意輪観世音菩薩の像容は、右手を立て膝にして座る、あるいは椅子に座ったような姿で右足だけを曲げて左膝に乗せるといったものである。楽な姿で、右手を軽く頬にあて、少し考えるように首をかしげている。この形は思惟相(しゆいそう)と言い、苦しんでいる人々のことを心配している姿をあらわしている。像容としては五手、六手像が最も多く、右側の手の一本は思惟相、他の二本が如意宝珠と数珠を持ち、左は一本が左膝のほうに下り、あとの二本で観世音菩薩に共通の持物である蓮華と輪宝を持っている。このうち如意宝珠と輪宝が如意輪の名の由来で、如意宝珠で思うままに財宝をもたらし願いをかなえ、輪宝で人々の煩悩を打ち砕くとされている。
 如意輪観世音菩薩は二十二夜待講の主尊とされ、石仏としての造立は二十二夜待の供養塔が多い。嵐山町では根岸・将軍沢地区以外はすべての大字で見られ、いずれも二十二夜待講の供養塔として造立されているものがほとんどである。
 月齢の二十二日の夜に人々が一ヵ所に集まり、月待の信仰行事を行なうのが二十二夜待で、その信仰集団が二十二夜待講である。その供養のしるしとして造立したのが二十二夜塔である。この塔の造立の多くは講集団によるものだが、少数個人の造立も見られる。
 講には女人講中とするものが多い。他に○○村中、同行○○人、○○村と刻するものもあるが、これらはすべて女人講中とみなしてよいだろう。中には念仏講と共同の造立も一基確認されている。造立の場所は寺院境内、門前や村境の辻などである。
 二十二夜の表向きの行事は、願い事にご利益をいただくため、まず如意輪観世音菩薩に礼拝誓願礼式を行なう。これが終わると慰安会となり、飲食を共にして親睦を深め、情報交換などの場として和やかな講を開いたと伝えられている。

  図 嵐山町内における如意輪観世音菩薩(二十二夜塔含む)の分布 準備中

※嵐山町博物誌調査報告第8集『嵐山町の石造物1』(嵐山町教育委員会発行、2003年3月)掲載の島﨑守男「嵐山町の石仏造立の背景」(同書8頁~10頁)より作成


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