花は沼をめぐって咲いている。釣糸を垂れている人にも花びらが散る。沼の水は花びらを浮かべて時折輪を描く。子供たちが通る。鍬をかついだ農夫が通る。自転車に乗った人も通る。みんな桜を見上げて通って行く。近くの梨畑の花も真盛りである。
『菅谷村報道』167号 1966年(昭和41)4月30日
〝国破れて山河あり、城春にして草木深し〟そういう廃墟の寂しさのただよう桜である。鎌倉武士たちは都幾川の流れを望みながら〝春高楼の花の宴〟に盃を廻したことであろう。星霜移り人変り花はただ散るのみであった。
『菅谷村報道』167号 1966年(昭和41)4月30日
どうだんの並木の道に桜が蔽(おお)ひかぶさるように咲いている。羽織袴に朴歯(ほおば)の下駄を履いた青年達が寮歌を歌いながらこの木陰を逍遙した。
腰に手拭をぶらさげた野良着姿の青年が道を究め、身を修めるために日本農士学校に学んだ。今その面影はこの道にしかない。
『菅谷村報道』167号 1966年(昭和41)4月30日
ロッジは見晴らしのよい高台にある。重忠館跡の一角であるが、ここには昔、〝会館〟と云はれた建物があった。子供の頃その建物で勉強した覚えがある。その時の桜が、今も残って咲いていた。遠く連なる秩父の山波は今も変らぬ姿である。
『菅谷村報道』167号 1966年(昭和41)4月30日
春は花の季節である。花は桜である。桜が咲いて人々は初めて春らしい気分になれる。今年の桜は三月の終り頃から咲き始めたが、寒い日が続いたために四月の中旬まで咲き続けていた。昨年は七郷地区の桜を見て廻ったので今年は菅谷地区の桜を訪ねて見ることにした。桜を見るには肌寒いような日であった。花見気分はやはりかげろうのもえる霞のたなびくうららかな日がよい。そういう日がなかった今年の春であった。今年の春は寒い春だった。
『菅谷村報道』167号 1966年(昭和41)4月30日
越畑には桜の木が少い。八宮神社には一本の桜の木が老杉の巨木に映じて見る人もなく咲いていた。ここに伝はる獅子舞をこの桜の木は何年見続けてきたことであろう。
『菅谷村報道』159号 1965年(昭和40)5月10日
『菅谷村報道』159号 1965年(昭和40)5月10日
兵執神社(へとりじんじゃ)(嵐山町古里766)の一隅に三つの地蔵様が立っていた。そして白と紅の桃の花がきれいに咲いていた。そのすぐ下野の農家の庭のぼけの花がこれも見事に咲き誇っていた。春は美しい花の季節である。
『菅谷村報道』159号 1965年(昭和40)5月10日