今日は、親戚寺院の前住職の一周忌の法要です。
清運寺は日蓮宗ですが、その寺院は浄土宗です。「宗派が違うのに何で、親戚なの?」と思われることでしょう。
最近は少なくなってきたようですが、明治以降、寺の僧侶が妻帯するようになってからのことですが、お寺のお嫁さんを、お寺からもらうということがよくあったようです。
それも同じ宗派だけではなく、他宗へも嫁ぐということがありました。 お寺の社会は、一般社会とは違うしきたりも多いですから、お寺のしきたりや仕事がよくわかっているお寺の娘さんが望まれたのでしょう。
亡くなられた前住職のお母さんは清運寺からお嫁にいった方です。そんな歴史があって、宗派が違っても親戚なのです。
本堂で、 近隣の浄土宗の僧侶の方々の読経による法要。
歴代住職廟での墓参り。その後、お斎の会場へ。
本日ご回向頂きました浄土宗の僧侶の皆様方、本当にありがとうございます。亡くなられた前住職も喜んでいることと思います。
それにしても、塔婆の一番上に書いてある丸が気になります。
日蓮宗にはない書き方なので、どういう意味か尋ねますと、南無阿弥陀仏のかわりに使われることがあるとのこと。
詳しいことをお聞きする余裕がありませんでしたので、いつかゆっくり聞いてみたいと思います。(浄土宗より、禅宗で使われることが多いそうです。)