「地方から、国を変えよう会」

中央集権を打破し、地域主権を確立しよう!!

「増税の前に、やるべきことがある!!」

2011年02月26日 | 日記
25日、みんなの党は新年度予算の修正案を発表した。消費税を全額地方自治体に移すことが柱である。みんなの党がアジェンダー(公約)の第一に掲げた、「地方のことは地方が決める」すなわち地域主権の確立が「地方から国を変える」ことになる。その内容を公表した。まず、国会議員と公務員の人件費や、ひも付きの地方への補助金の削減などで計30兆円の歳出を減らす。国債発行額は政府案より20兆円以上抑えるとした具体案である。子ども手当を廃止し、政府案の一般会計92兆4千億円を59兆8千億円の緊縮予算にし、現行40%の法人税を20%にまで引き下げて経済成長を図る。「増税の前にやるべきことがあるだろう」「国民に負担を求めるまえに、まずは国会議員、官僚が身を切るべきだ」と結党以来言い続けてきたことである。民主党政権も自民党も政治主導を唱えながら、自ら身を削ることもなく官僚に支配されてきたその結果が増税である。今回の統一地方選挙でも地方議員は月給の3割、ボーナスの5割を受け取らないことをアジェンダー(公約)に掲げている。増税なき財政再建は官僚も議員も自ら身を切ることから始まるとみんなの党は断言している。

○民主党の松木農水政務官の辞任は菅首相や岡田幹事長が、統治能力を失った現実を改めてあぶり出した。首相は辞表を受け取りたくないのか松木氏から逃げ回り代議士会では言いたい放題・・・もはや政権は制御不能と言える。(産経新聞記事)

「民主政権下、なんにも変わらぬ、役人天国」

2011年02月23日 | 日記
民主党が野党時代自民党政権に対し、攻撃したひとつに、各省庁からの再就職者が5代以上続く「天下り指定席」をなくす事であった。野党時代の民主党は総務省に依頼し天下りが5代以上続く政府関連法人を調べてもらった。同党は、党内に調査チームをつくり「天下り指定席」を徹底的に批判してきた、ところが政権交代後も「天下り指定席」は減らすどころか増えているのが現状だ。官僚OBと現役出向者の天下りは4240ポストにものぼる、政権交代マニフエストに掲げた「天下りの根絶」とはほど遠い結果である。嘘つきマニフエストで国民を騙す民主党政権は、早くやめてもらいたいとの声が内閣支持率20%、「早期退陣を」が49%に達しているのだ。一方受け皿となるべき自民党の支持率も低迷を続けている。国民は、今 もって行き場所の無い政治不信で一杯だ。地方政治もまた混迷を続けている。名古屋選挙で議員定数削減、報酬半減を訴えた河村市長は市民の圧倒的支持を得た。各地でもその波はうねりとなって現れている。兵庫県三田市も議員定数削減問題で紛糾している、2減を結論とした議会に対し4減を主張する市民団体は市長に直接請求を出す構えだ。市長は直接請求を受けた場合は議会に結論を出してもらうのが普通だ、市民団体と議会の対立は誰が考えても好ましくない、議論を重ね妥協点を見出す事を願わずにいられない。


「北方領土返還の裏」

2011年02月22日 | 日記
北方領土4島は日本の領土である このことは誰もが信じて疑わない。ところが最近ロシアの動きは返還に応じる構えは全く無しで、むしろ返還運動や日本政府の出方を痛烈に批判している。北海道根室半島のノサップ岬から、国後島までは僅か3,7kmの距離である。雄大な大自然のこの地を訪れる日本人は年間2000人、北海道には100万人が訪れている。理由は政府の怠慢かアメリカへの気遣いかの二つである。日本在住の外国人記者は、北方領土返還の日本政府の失策は、日本の政治家として唯一ロシアに食い込んでいった「鈴木宗男」を失脚させた事、また外務省きってのロシア通の「佐藤優」という有能な外交官も失脚、逮捕したことだと書いている。サハリン沖の4島に眠る油田は1000億ドルの埋蔵量がある。「鈴木宗男」と「佐藤優」はこの事を熟知していた。その二人を失脚させた裏にはアメリカの思惑陰謀がある。冷戦時代2島返還で日ロが接近する事を警戒したアメリカは、当時のダレス国務長官によって日ロが永遠に講和条約結べ無い罠を仕掛けている。4島一括返還だ、こうして領土問題がこじれる間にビジネスチャンスはことごとく欧米に奪われる構図ができあがった。「鈴木宗男」と「佐藤優」のが国益に反したとしてわずかな贈収賄で立件した検察と日本のメデイアは本当の国益がなんたるものかも知らない。日中国交正常化を成功させた「田中角栄」はいち早く中国をビジネスチャンスととらえていた。先を越されたアメリカは「黒いピーナッツ証言」贈収賄罪を立証させ失脚させたとの情報もある。「鈴木宗男」と「佐藤優」の潔白を願わずにおられない。

「名古屋選挙のその後」

2011年02月18日 | 日記

河村市長対議会の争いは河村市長に軍配が上がり、出直し名古屋市議会選挙は3月4日告示、3月13日投票日と決った。すでに熾烈な闘いが展開されている。争点のひとつであった議員報酬年間1600円を800万円にすべきと主張した市長に対し議会側は反対を表明意見の合意が得られず、住民投票により出直し選挙となった。ところが今度は立候補予定者の多くは態度を一転し報酬は年間800万円を公約に掲げている、なんでもありの選挙に市民はあきれているとのことだ。4月統一地方選挙は議員報酬削減に注目が集まる事は必定である。過日「みんなの党」公認候補予定者全員一致で「月給3割、ボーナス5割、報酬以外の費用弁償(日当)」は受け取らないとブログで書いたところ、今まで最高のアクセスがあった。それだけ関心が高いのである。議員自ら身を削ることにより、 行政にムダを省けと言えるのだ。 92人の県会議員全員が同じ考えならば県民・市民のために使えるお金が大幅に増えることになる。今求められているのは「議会改革」である。「みんなの党」は全員当選を目指し受け取らない報酬は全額供託する。また、全議員にも呼びかける方針だと聞く、「県政に新風」を送り込むと意気盛んだ。若い彼らには県民・市民のために何ができるかの夢がある。夢があれば目標が見える 目標が定まれば何をすればいいのかが判る。情熱一直線で頑張れ!!

「地方議会は要らない?」

2011年02月17日 | 日記
2月17日朝日新聞の社説は、なくそう「3ない議会」と題して全国自治体議会アンケートの内容が記されている。それには、私たちのみじかな地方議員たちの目も当てられない実情が見えた、議案に対し「修正しない」「提案しない」「公開しない」まるでダメ議会・3冠王のような「3ない議会」が1797議会のうち4割近い、このことが各地で広がっている議員報酬の削減や議員定数削減の誘引になっていると書いている。名古屋選挙は市長対議会のケンカになり市民は市長に軍配を上げた。市民のひとりは年間1600万円もの報酬をもらい市民に何をしてくれたのか解らないと話している。今、議会不要論のささやきが聞こえてくる。議員になるには特別の資格はいらない、あるのは選挙に当選するか、しないかだけである。議員の責務も、議会の役割も全く解らない候補が当選すれば翌日から先生だ。このことが「3ない議会」の大きな原因だと思う。議員になるための資格試験制度を導入し、合格者のみが立候補できる仕組みをつくれば、議員削減などは簡単に解決できるはずである。議員の中で 予算、決算を読め無い議員が大半だ、それが予算、決算審議をしているのが現実だ。さて、さて、国会議員資格試験に合格できる現国会議員は果たして何人いるのであろうか・・・

「勉強しなくなった、子供たち」

2011年02月15日 | 日記
 
○写真は通常国会開催中の国会議事堂

10年前の「日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日」ベンジャミン・フルフオード著 を読み返しながら今の教育について改めて思う。ベンジャミン氏は1961年カナダ生まれで、米紙の東京特派員を経て現在フリーのジャーナリストである。日本が近いうちカナダと同様に財政破綻すると予言していた。その一章に「ゆとり教育が日本を滅ぼす」と記している。「ゆとり教育」とは まさに国家による愚民政策である。国民から知識と向上心を奪い、国家の政策を判断することすら、できなくさせようとしているのだ。これまで有能な労働力で支えられてきた日本企業はたちまち人材不足となり、競争力を失ってしまうだろうと断言している。「ゆとり教育」は小・中学は1980年から2010年度まで、高校は1982年から2014年度まで施行される教育である。ことのおこりは日教組が提案し、第二次中曽根内閣主導のもとでできたのである。
提案者はミスター日教組と言われた槙枝元文氏である。彼は北朝鮮の金日成を敬愛し最も尊敬すると発言し、北朝鮮からは国際親善賞第1級の勲章を授与されている。 その槙枝氏がこともあろうに臨時教育審議会の  一員として「ゆとり教育」の推進をリードしてきたのである。「ゆとり教育」による学力低下が社会問題となり、2008年、ようやく安倍内閣よって「ゆとり教育」の見直しが行われた。なぜ、あの中曽根さんが日教組と手を組んだのか定かではないが、自民党と日教組との八百長であると想像がつく、一方 日教組は民主党を支える最大組織のひとつだ。この2大政党によって「日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日」がくるとは誰が想像しただろうか?地下資源の乏しい日本が現在あるのは明治以来教育振興に力を傾注してきた結果だ。それを忘れた民主党や自民党に、日本の国の教育を任せてはおけないと思うのだが・・・・

これでいいのか!兵庫県議会、行政監視、政策立案、情報公開、すべてが不十分。

2011年02月12日 | 日記
                                       ○ 私は気楽に議員生活
全国の地方議会のうち、首長が提出した議案をこの4年間で1本も修正や否決していない「丸のみ」議会40%、議員提案の政策条例が一つもない「無提案」議会91%、議員個人の賛否を明らかにしない「非公開」議会が84% こんな、ていたらくな議会がはっきりした。「3無い議会」は全体の3分の1に及ぶ、また議員の条例提案は1本以下の議会が98%にのぼることが朝日新聞のアンケート調査ではっつきりした。筆者が想像していた通りの結果である。地方議員の多くは議員以前は職業をもち、また主婦であったりで議員の専門的知識の持ち合わせのない人達である。ところが、ある日突然選挙で当選し翌日からは専門的知識が要求されるのである。議員はどこまで知識を習得するかは本人次第で、誰もそれをとがめることはない。4年間のうち1度も質問に立たない議員もいる。それでも議員稼業は務まるから不思議だ。また行政も議員条例提案は成立すれば執行すのは行政であることから、好ましいとは思っていない その裏には首長のメンツも見え隠れする。議会内部でも議員提案した議員に対し、ひとり いい格好はさせないと潰してしまうのが現状だ。その数字が「3無い議会」に現れているのだ。議員の責任である「行政監視」「政策立案」「情報公開」のすべてが不十分な4県議会の中に兵庫県議会も入っている。情けないことだ!!議員の責任が果たせない議会に対し、市民は議会は いらないと言い始めている。「みんな党」県議会公認候補は、全員一致団結し「議会を変える、私たちが変える」と明言した。次の広報でその内容を詳細に発表するとの事である。
若さと行動力、一途に燃える情熱。若い志士たちに期待する!!

「今日は、なんの日?」

2011年02月11日 | 日記
孫(女児6才)が突然、おじいちゃん、今日はなんの日か教えてあげる。今日はね、「日本の国を大事に思う日なんだって!!」

建国記念の日などと、むずかしい説明は要らない、「日本の国を大事に思う日」それで充分だ。国民の祝日に関する法律(祝日法)第2条は建国記念の日の趣旨について1966年(昭和41年)「建国をしのび、国を愛する心を養う」と規定している。「建国記念の日」と定められた2月11日は、かって祝祭日のひとつであった紀元節である。紀元節は「日本書記」が伝える初代天皇である神武天皇即位の日として1872年(明治5年)に制定された。このことについて異論を唱える声もあり、今だに反対集会を開く団体もある。その理由は天皇崇拝は軍国主義につながると宣伝している。日の丸、君が代も同様だ、この事の是非を自らが判断できる年代ならまだしも、小中学の生徒にまで教え込む教師がいることが誠に残念だ。
マークス・寿子氏(ひ弱な男と、ふわふわした女の国日本の作者)は、ますますひ弱になる日本人の一文に
「子どもの時に自分の国の悪いこと嫌なことマイナスになることばかりを教えていたら、自分の国を誇りに思うことはむずかしくなるだろう、自国の素晴らしさを強調するのは、どこの国でも当然のことである。」と述べている。 すべての日本人よ、誇りと自信を持とう・・今、それを失いかけているのではないだろうか・・・

「今日は日本の国を大事に思う日だ!!」

「予算はつけたが、執行はしない。菅さんそんなのあり・・・?」

2011年02月10日 | 日記


菅政権は2011年の予算案に盛り込まれた米軍普天間飛行場の県内移設関連費用について、執行を凍結する検討を始めた。その理由は社民党の協力で、参議院の野党多数のねじれ国会を乗り切るつもりだ。しかし社民党内部も一枚岩ではない社民党は、もともと沖縄県には基地は要らない。沖縄県どころか日本国内から米軍は撤退すべきと主張してきた、当時の鳩山政権は本気で沖縄県外への移転を表明、それが無理だと今度は海外移転を模索した。鳩山政権が退陣した大きな要因は普天間基地の失策であった。
菅さん、あなたはそのことを良く知っているはずだ!予算関連法案の通過に腐心するあまり普天間関連費用の凍結は日米関係が冷え込むことは明白だ。防衛省幹部は「アメリカにとって受け入れ難い選択で、対米関係は悪化する」と懸念している。
菅首相の判断と民意のズレは最近どんどん大きくなっている。与謝野氏の入閣、小沢氏支持派の造反を恐れての処分の甘さ、選挙第一で掲げた民主党の嘘つきマニフエスト。など場当たり的でそこには政治哲学は全く見当たらない。宮沢元首相は就任直後の感想を聞かれ「総理大臣はなるためでは無く、なってから何をしたかだ」と言われたそうだ。また ベスト・セラーになった「国家の品格」藤原正彦著に「武士道精神の復活を」の一文に日本人の道徳基準は武士道精神であり「名誉」を尊び「恥」を知ることにあると述べている。菅首相、あなたの国家の品格とは一体何ですか?・・・・・・

「みんなの党」県議予定候補者全員が、月給の3割、ボーナスの半額を受けとらない事を決めた!!

2011年02月08日 | 日記
                               
名古屋選挙が終わった、予想通り河村市長、大村知事が誕生した。この選挙は既成政党にNOを突きつけ民意を引きつける作戦が圧倒的な勝利をもたらしたことだ。民主党支持者の77%、自民党支持者の62%を取り込み、さらに無党派層の76%の支持を得た。今回の選挙は、行政対議会の対立を市民の前ににさらけ出したことだ。今までは見えないところで行政と議会は妥協し手を組んできた今も多くの自治体はそうであるが、名古屋選挙は文句があるなら選挙で来いとケンカ民主主義を取り入れた。その作戦が見事に当たった。市民の側からは「議会を守れ」という運動はほとんど広がらなかった、むしろ特権にあぐらをかいていた議員が攻撃され右往左往する姿が格好の見せものになった。議員は高い報酬を得ながら地域の暮らしにどう役立ってきたのか多くの市民に実感させられなかった。政令都市の議員報酬は年間約平均1600万円だ。市民感覚からすれば余りにも高額だ、そのことが議会が悪者された原因でもある。河村市長は自らの月給を半額とした。議会も市長同様に身を削る覚悟がなければ市民は納得しないであろう・・・さて、本年4月に行われる兵庫県議会選挙に出馬予定の全候補が定例政策会議を行い、全会一致で月給の3割、ボーナスの5割、議員報酬以外に支給されている日当(費用弁償)は受け取らないことを決めた。その他「議員定数の削減、情報公開の徹底、4年任期ごとに支払われる知事など特別職の退職金の廃止」など、「県政に新風を」と情熱を燃やしている。

「役人天国・議会極楽」の打破!議会と行政とのなれ合いからの決別、それがみんなの党の約束ですと、彼らは熱い想いを語ったてくれた・・・・









「春の嵐、吹き荒れる国会」

2011年02月06日 | 日記



民主党岡田幹事長は5日、公明党山口代表が2011年度予算案の大幅修正がなければ関連法案に反対する考えを表明したことについて「決定的な事とは受け止めていないよく話し合うようにしたい、マニフエストと方向が違ったとしても野党の考えを受け入れ、子ども手当法案についても変わることも有り得る」と述べた。今、民主党政権は、恥も、面子もかなぐり捨て政権維持に奔走している。公明党と民主党の過去の経緯から考えても関係修復は容易ではないと考えるのだがそこは政治我々の思いも寄らない解決の方法があるのかも知れない。2007年10月民主党石井一議員は予算審議委員会で「P献金」池田名誉会長への献金について質した「公明党とは、創価学会なんです。票を通じて今の政府を支配している。公明党から創価学会をひいたら議席はゼロなんですよ」と両者が政教分離に反する政教一致の状態であると主張した。その上で党への公認料と「P献金」の不透明な関係を指摘、冬柴鐵三国土交通大臣(当時)に質問した。冬柴大臣は「P献金」は何者か知らないが議員報酬の2ヶ月分は公認料として党に出したと答えた。石井議員は公認料は普通は党から受取とるもので払うものではないと食い下がった、冬柴大臣は石井議員に、もし自分がP献金をしなかった事が判明したら「石井さんあなたは議員辞職をする考えがあるか」と切替した。(当時の動画が公開されているのでご一覧あれ)また、2008年の報道番組では司会者から今後公明党との連携を問われた際「公明党はバイ菌」と言い切った。「連携の可能性は一切無い公明党はバイ菌みたいなもんで、公明党から4票貰ったら、浮動票が6票逃げていく」と発言している。このような今までの険悪な関係があったにも関わらず菅内閣が熱いラブコールを送り続けている。一般庶民では理解しがたい、与謝野さんが「民主党では日本の経済は破綻する」と言った舌の乾かないうちに閣僚に起用する菅内閣なんでもありか?・・・

「議員定数削減で、紛糾している 三田市議会。」

2011年02月04日 | 日記
 

●写真は名古屋市会議員の月給は、半分の800万円にすると公約する減税日本の河村たけし名古屋市長候補。

去る1月29日 神戸新聞によると「2減で議員提案を」三田市議会議員定数削減について、会派代表者会を開き意見を交わした。それによると関口正人議長は「これ以上意見をまとめることは困難」と判断。定数24から2減の具体案を示した。市議からは4減を求める請願もあがっている。2減の理由を示すべきだなどの声も上がったが、関口議長は「3月議会で決着させたい」と押し切った。議論がかみ合わずに紛糾し、傍聴席の市民から失笑が漏れる場面もあった。傍聴していた「三田を愛する女性の会」田守栄子会長は「あくまで4減を求め、直接請求したい」と話したとある。議員定数削減の本旨は何処ににあるのか2減か4減かその理由づけが釈然としないことが紛糾する原因だ。厳しい財政状況のなか市は職員の本給まで削減の対象とし行革を進めてきた。議会は市に対し行革推進を求めながら自らは一切身を削ることはなかった。そのことに市民は納得できなかったと推測される。議員定数を決める前に議会費を現在の額からなん%削減するかを決めるべきだ。その後に4減ならば削減目標の金額を20で割り、2減ならば22で割り議員の月給とすれば答えは明白である。少なくとも市民が直接請求を起こすことのない高度な政治判断をすべきである。また各議員のブログを見るに1部にはまるで政治評論家のような無責任な発言もある。議会事務局への批判はおかど違いで、議会事務局はあくまで事務手続きが選任事項だ、議会運営は議長を始めひとり一人の議員の責任だ。三田市議会議席番号24番のベテランで議長経験者はそのことを充分に承知しているはずなのだが・・・・・

また、4月に行われる県議会選挙への所見は、現職の議員で自民党会派の代表者とは思えない記事だ。敢えて紹介する「来年三田も政変か?いよいよ「みんなの党」が県会議員に手をあげるらしい、三田市選挙区は自民・民主でわけ合ってきたが対抗馬が就職浪人とは舐められたもんだ」と書いてある。人格を無視した批判は決して許されない。少なくとも多くの人に選ばれた現職議員が言うべきことではない。また国会では激しい論戦を繰り返している自対民だが三田では同じ仲間か?なんと政治哲学のない論評なのか。 また、今回の議員定数削減の ブログ評論にも県会議員選挙の事についてふれている。「今まで無風と言われてきた県会(定数2)の選挙も現職以外に「みんなの党」から出馬されると言う・・この候補については親御さん共々批判させて頂きますので覚悟されますよう、ここに通達しておきます。」と述べている。この発言は自らの愚をさらけ出し、自民党の品格を傷つける以外何ものでも無い。そして三田市議会に対しても・・・・・

「みんなの党、江田幹事長が吼えた!!」

2011年02月03日 | 日記
2月2日衆議院予算委員会で、渡辺代表に引き続き「みんなの党江田幹事長」が吼えた!!消費税の増税は「逆立ちしても鼻血が出ないほど完全に無駄」をなくしてからと勢いのよかった管直人首相が今度は「100%純粋に無駄ゼロと言う状況には理解できない」と言い始めた。自民党政権でできなかった無駄使いを徹底的に検証するとして始めた「事業仕分け」は国民を欺くための芝居であったのか・・江田幹事長は「あらゆる政策を始める段階で、だんだんルーズになり無駄が生じる。永遠に無駄をなくす活動が必要だ」初めから完全に無駄を無くすことは無理なことは解っているはずだと民主党のマニフエストの矛盾点を指摘した。政権交代の原動力は民主党が掲げた「無駄使い根絶」に有権者が賛同した結果でもある。無駄使いゼロはただの空手形だったのか、政権交代を訴え掲げたマニフエストに国民はだまされた。政権を取ったあと書き換えるマニフエストがどこにある。マニフエストとは政党が国民と交わした約束ではないのか!!一日も早く解散総選挙し国民に信を問うことが民主党と菅首相のせめてもの償いないだ!!国民不在・党内抗争に明け暮れる党にこの国を任せてはおけない。




「役人天国、議員極楽について。」

2011年02月01日 | 日記
今だから本当の事を話そう・・私は昭和62年ニュータウンに入居した。当時バブルの最盛期、あっと言う間に500世帯が住みつく地域となり必然的に自治会結成の機運が高まった。殆どがサラリーマンで自治会役員のなりてがなく自営業の私にお鉢が廻ってきた。生来人の世話をするのが好きな方で自分なりに一生懸命務めた事が評価され、平成4年引越し組として始めて市議会議員選挙に出馬、自治会の後押しのおかげで見事に当選をさせて頂いた。当選証書をもらったその日から市役所では先生と呼ばれ丁重な扱いを受けた正直まんざらでは無い気分であった。当時議会には先輩後輩の序列がはっきりしていた当選回数の多い議員が年齢差に関係なくどんな場合でも上座に座るしきたりで1期4年間は意見など言えない程封建的であった。仮に発言しようものなら10年速いと言われ無礼者扱いであった。海外視察も3期まではアジアで3期以上はヨーロッパと決められていた。本会議や予算、決算委員会では行政の提案は殆どすべてが 可決、または承認である。何かおかしいと思いつつもそれを言えない雰囲気だ。本会議終了後は市長を初め助役など管理職と議会との懇親会である。馴れ合いそのものだ、また年に数回先進都市への視察があるが視察時間は長くて2時間あとは名所旧跡めぐり、夏は北海道、冬は沖縄が定番だ、宿泊は視察先近くの温泉旅館で夜はコンパニオン付きの宴会を委員長が議会事務局に命じることになっている。かかった費用はすべて税金だ。これでいいのかと思いつつも流されていた。1991年尼崎市議会のカラ出張事件に端を発した波紋は全国の市議会に広がり議員極楽のデタラメさが明白となった、事件以来私は率先して議会改革を提案、海外視察の禁止を初め、政務調査費や視察報告書の全面公開など市民の目線で情報公開する条例の制定なども実施することになった。不思議なことに真剣に議論を重ねるうちに今までの封建的な議会運営が次第に薄れ、誰でもが意見の言える議会へと変化していった。やがて2期3期4期と経験を重ね、議長も2度経験するうち、次第に議員の責任とは何か議会の役割とは何かを真剣に考え始めた時、前三重県知事の北川先生の講話を聞く機会があった。その時の感銘は今でも忘れる事ができない、以来ローカル・マニフエスト地方議員連盟に所属、みんなの党神戸の井坂さんと運営委員を務めた。平成20年井坂さんと企画運営した1泊2日の研修会、ローカル・マニフエスト関西スクールは全国から50名を超える市議会議員の参加を得 北川先生始めとし、三重県議会より議会基本条例の制定についてなどの講話、翌日はテーマを決めグループに別れてのワークショップなど実の有る研修会を開催できた。私ももうすぐ70歳になるがこれからも地方議会進展のため微力ながら活動していきたいと思う。今、地方議会とは?と問われている。「地方から国を変える」地域主権の確立を目指す「みんなの党」の若武者に期待して止まない。