9月5~7日に自治労大阪府本部中ブロック青年連絡会議の平和プログラムに八尾現業として、T2、にんじゃが参加してきました。
沖縄に到着してまず、旧海軍司令部壕を見学。
ここは読んで字のごとく、旧海軍が司令部を置いていた壕(穴)で中には司令室や暗号室、下士官の部屋や医療室などの施設があったところなのですが、非常に簡易的で医療室は地面が土で不衛生でしたし、軍施設と呼ぶにはあまりにお粗末な感じでした。こんなところを基地して戦わなければならなかったほど、戦況は敗戦にむけ逼迫していたのだろうと感じました。
その後、ひめゆりの塔に向かいました。
旧日本陸軍の勝手な解散命令により、たくさんの女学生や教員などが命を落とした壕があり、その上に亡くなった方の名前が刻まれた大きな慰霊碑とその横に小さな碑があり、それが有名なひめゆりの塔でした。そこで黙祷を捧げました。ひめゆりの塔の資料館の中にはそこで亡くなったほとんどの女学生、教員などの写真が展示されてその下にはどういった亡くなり方をしたかを詳細に書いてありました。まだ年端もいかない若い女の子達が壮絶な最期を迎えたことを知り、戦争の悲惨さや理不尽さで深い悲しみと同時に怒りもこみ上げてきました。また、この場所は財団法人が運営、管理をされていて、行政の支援を一切受けていないようです。その理由は時の権力者によって都合の良いように事実を曲げられないためだそうです。
最後に沖縄平和祈念公園と資料館を見ました。
ここは沖縄戦最大の激戦地であり、終焉地であった場所で、数多くの慰霊碑がある場所です。慰霊碑は平成7年に沖縄戦終結50周年を記念し建立され、平和の礎(いしじ)といい国籍、所属、人種を問わず、沖縄戦で亡くなった方すべての方の名前があります。また新たな戦死者の確認が取れ次第、追加もされている為、毎年名前が増えているようで、現在は24万人856人の方の名前が刻まれているようです。たくさんの慰霊碑が並び、その先には崖と海があり、息を飲むような絶景が広がっているのですが、沖縄戦ではそこから米軍の艦隊が地形が変形するぐらい激しい艦砲射撃を行い、逃げる沖縄の人達が崖から飛び降り、多くの人達の命が亡くなった場所だと説明され、言葉を失いました。
なお、1945年6月23日に司令官の牛島中将が自決したことにより、沖縄での日本軍の組織的抵抗が終了したこと(すなわち沖縄戦終了)を記念して、県では毎年この日を「慰霊の日」とし、この公園でセレモニー行っているようです。
その後、資料館の見学に行き、今でも沖縄の地中に数多く眠る不発弾や沖縄戦から日本復帰を果たすまでの歴史、米国領下時代から現在まで続いている米兵による犯罪や数々の軋轢などを知り、今、基地の必要性の有無を再確認するべき時なのではないかと思いましたし、個人的には必要性がないと感じました。
現在、沖縄県には米軍基地が数多く存在しています。その為、基地に関係する仕事に就いている方が多く、経済的に大きく依存しているようです。その為、米軍基地をなくすには、まず基地に対する経済的な依存を脱却するのが肝要で、それには観光事業を充実し、雇用の促進、そして国の経済的な支援が必要なのではないかと思いました。
最後に平和プログラムのフィールドワークでは自治労沖縄より平良氏がアンバサダーとして来て頂き、沖縄の歴史から現在抱えている問題を事細かに説明して頂きました。プロの添乗員のような非常に丁寧でわかり易い説明で、問題をより簡単に理解することができたと思います。
本当にありがとうございました。
沖縄に到着してまず、旧海軍司令部壕を見学。
ここは読んで字のごとく、旧海軍が司令部を置いていた壕(穴)で中には司令室や暗号室、下士官の部屋や医療室などの施設があったところなのですが、非常に簡易的で医療室は地面が土で不衛生でしたし、軍施設と呼ぶにはあまりにお粗末な感じでした。こんなところを基地して戦わなければならなかったほど、戦況は敗戦にむけ逼迫していたのだろうと感じました。
その後、ひめゆりの塔に向かいました。
旧日本陸軍の勝手な解散命令により、たくさんの女学生や教員などが命を落とした壕があり、その上に亡くなった方の名前が刻まれた大きな慰霊碑とその横に小さな碑があり、それが有名なひめゆりの塔でした。そこで黙祷を捧げました。ひめゆりの塔の資料館の中にはそこで亡くなったほとんどの女学生、教員などの写真が展示されてその下にはどういった亡くなり方をしたかを詳細に書いてありました。まだ年端もいかない若い女の子達が壮絶な最期を迎えたことを知り、戦争の悲惨さや理不尽さで深い悲しみと同時に怒りもこみ上げてきました。また、この場所は財団法人が運営、管理をされていて、行政の支援を一切受けていないようです。その理由は時の権力者によって都合の良いように事実を曲げられないためだそうです。
最後に沖縄平和祈念公園と資料館を見ました。
ここは沖縄戦最大の激戦地であり、終焉地であった場所で、数多くの慰霊碑がある場所です。慰霊碑は平成7年に沖縄戦終結50周年を記念し建立され、平和の礎(いしじ)といい国籍、所属、人種を問わず、沖縄戦で亡くなった方すべての方の名前があります。また新たな戦死者の確認が取れ次第、追加もされている為、毎年名前が増えているようで、現在は24万人856人の方の名前が刻まれているようです。たくさんの慰霊碑が並び、その先には崖と海があり、息を飲むような絶景が広がっているのですが、沖縄戦ではそこから米軍の艦隊が地形が変形するぐらい激しい艦砲射撃を行い、逃げる沖縄の人達が崖から飛び降り、多くの人達の命が亡くなった場所だと説明され、言葉を失いました。
なお、1945年6月23日に司令官の牛島中将が自決したことにより、沖縄での日本軍の組織的抵抗が終了したこと(すなわち沖縄戦終了)を記念して、県では毎年この日を「慰霊の日」とし、この公園でセレモニー行っているようです。
その後、資料館の見学に行き、今でも沖縄の地中に数多く眠る不発弾や沖縄戦から日本復帰を果たすまでの歴史、米国領下時代から現在まで続いている米兵による犯罪や数々の軋轢などを知り、今、基地の必要性の有無を再確認するべき時なのではないかと思いましたし、個人的には必要性がないと感じました。
現在、沖縄県には米軍基地が数多く存在しています。その為、基地に関係する仕事に就いている方が多く、経済的に大きく依存しているようです。その為、米軍基地をなくすには、まず基地に対する経済的な依存を脱却するのが肝要で、それには観光事業を充実し、雇用の促進、そして国の経済的な支援が必要なのではないかと思いました。
最後に平和プログラムのフィールドワークでは自治労沖縄より平良氏がアンバサダーとして来て頂き、沖縄の歴史から現在抱えている問題を事細かに説明して頂きました。プロの添乗員のような非常に丁寧でわかり易い説明で、問題をより簡単に理解することができたと思います。
本当にありがとうございました。
自分も高校の修学旅行で沖縄に行った時に戦争の話をいろいろ聞いたので、懐かしい気持ちになりました
またゆっくり話聞かせてねぇ
しかし、残念ながら100年に一度の不況の現代社会で自ら命を絶つ人が後をたたないと新聞などで、よく目にします。
戦争当時の亡くなられた方々は今の現代社会を見たなら、どう思われるでしょうか!?
今一度、身を引き締めて人生を歩んで行きたいと思いました!
今回の研修に僕も参加させていただいたんですが、何より戦争の残酷さに言葉を失います。
僕は戦争といえば広島と長崎の原爆のイメージが強くて、あまり沖縄戦のことを知りませんでした。
しかし今回の研修で多くのことを学べました。
とてもいい経験ができてよかったです。
これらの事実を忘れてはいけないなと感じました。
でも沖縄はいいとこだよ(^3^)/
とても有意義な研修だったそうですね。
とても有意義な自由行動だったそうですね…。
来期も青女の幹事として一緒に頑張ろうな!
T2、にんじゃ!!
僕は沖縄には一度も行ったことがないので、どんな所なのかはテレビなどでしか見たことがないんですが、とても綺麗なところのイメージでしかありません。
戦争の事を学べたのはすごくよかったんじゃないですか!この経験を何かに生かせればいいですね。
来期もみんなでがんばろうなー!
またよろしくです
こちらこそ沖縄ではT2とにんじゃがお世話になりありがとうございました。
ではでは、また7日に