Sealionsバレーボールクラブ

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祖父の所属部隊

2009-10-11 08:15:44 | その他
昨日、ウォーキングで「ぼうさいの丘公園」に行ったが、そこで「ホウダイヤマ」という名前と出会った。
先の大戦で、首都防衛を任務とした防空部隊が展開し、高射砲を構えたために「砲台山」と通称されるようになった。時間が経ち、戦時の記憶が薄れるにつれ「ホウダイヤマ」に変化したのだろう。

戦争遺構を目撃したためか、帰宅するまでの間、歩きながら母方の祖父のことを考えていた。
祖父は明治生まれで昭和12年(1937年)に召集され、主に中国の河北省から山西省で従軍して14年(1939年)に復員。さらに昭和16年(1941年)に再召集され、旧満州で従軍して18年(1943年)に復員したことは本人証言から明らかになっているのだが、どこの部隊に所属しているかまでは判らないまま、1991年に他界してしまった。

当時の私はまだガキであり、祖父が時折口にする戦争の話をそれほど深く考えずに単なる経験談として聞いていた。今となって「あの時なんでもっと詳しく聴かなかったのだっ!」と悔やんでも、まさに後悔先に立たずである。

ただ、私も聞き流していただけではなく、きちんと内容は憶えていたので、その情報を基に祖父の所属部隊を調べてみようと思ったのだ。
ちなみに私の憶えている情報は下記するものがメインである。

・所属連隊は、石田大佐が連隊長のため「石田の連隊」と呼ばれていた。
・石田連隊長は戦闘になると自ら先頭に立って騎馬で突撃する勇敢な軍人だった。
・勇敢であった石田大佐は戦闘で戦死してしまった。
・後任連隊長が着任するまで、上部組織である旅団の旅団長(少将)が部隊を掌握していた。
・河北省石家荘を出発し、娘子関を経由して、山西省太原攻略戦に参加。
・旧満州時代の話は本人がしなかったため、情報無し。

所属部隊を調べるのに必要な情報は上記の通りである。
これを基に
1.連隊長が「石田大佐」の連隊。
2.石田大佐が「戦死」している連隊。
3.山西省に展開していた連隊。
をキーワードで調べたところ、遂にその連隊が判明した。

その名は「歩兵第119連隊」である。

石田連隊長が「石田金蔵」大佐で戦死が昭和13年9月14日であること、所属は第109師団、歩兵118旅団隷下ということが判った。ちなみに第109師団長としては、終戦時の陸軍大臣「阿南惟幾」の名前もある。祖父からは師団長の話は聞いていないが、一兵卒が中将のことなど知っているはずもなかろう。

これで長年に渡り、私のアタマの中に残っていたもやもやが消えた。
もっと書きたいことはあるのだが、長文になっているので明日以降に書こう。

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