使徒言行録一三章四四~五二節。本日の使徒言行録一三章に有名な言葉がある。一三章四八節の「永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った」という言葉である。信仰ということも、ただ人間の意志によって決まるのではなく、それに先立つ神の選びによっているという考え方である。本日の使徒言行録の個所にあって、これは不思議な光を放っているように思う。 . . . 本文を読む
エフェソの信徒への手紙四章一七~三一節。教会というところは、人間の思いではなくて、なによりもキリストの思いが支配しなければならないところである。これが逆転すると、教会は変質していく。そして健全な成長が止まれば、教会は社会の中で信頼を失っていき、伝道の力も弱まってくる。キリスト者各自が自覚的に新しい生き方を身に着けていくことが、教会の成長に欠かせないということである。エフェソ書はここで、そのことを憂慮しながら、倫理的な勧告を語っている。ここには、教会に対する熱い真剣な願いが込められている。 . . . 本文を読む
エフェソの信徒への手紙5章21節~33節。この箇所はかつては結婚式で、「夫婦の務めに関する教え」として必ず読まれる箇所だった。しかし、近年、二二節の「妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい」が問題あるとして、あまり使われなくなってきた。式文にも問題があり、この箇所が用いられる際に、二二節からいきなり引用していて、その前の二一節が考慮されていないのである。これだと、二二節は正しく理解されなくなるだろう。
二一節はなんと言っていたであろうか。「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」である。 . . . 本文を読む
本日、読まれた聖書、ヘブライ人への手紙に登場してくるのは、第一世紀の終わり頃のクリスチャンたちだ。彼らの生活状況はとても厳しいものであった。キリスト教は一般世間でまだ容認されず、キリスト教徒であるがために、様々の困難を経験していたのである。なにしろ、ドミティアヌス帝というキリスト教徒を迫害した皇帝が在位していた時代である。クリスチャンに対する世間に風当たりがどんなものであったかは想像に難くない。彼らはローマ帝国の役人から不当な扱いを受け、一般市民からも白眼視され、家族親類縁者との交際もなにかとしづらく、肩身の狭い思いをしながら暮らしていた。また、官憲や暴徒からひどい目にあったという人もいた。
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コリントの信徒への手紙一 12章14~26節
コリント教会はずいぶん変なことになっていた。そこでは、特別に人目を引く目立つ賜物ばかりが、重んじられ、目立たない日常的な働きは顧みられなかったのである。聖霊の賜物に価値や優劣の差が設けられてしまって、教会の一部が突出して他の多くの人が取り残されるということになっていた。はたして、これが教会のかしらイエス・キリストのお考えに沿うことであろうかとパウロは問うているのである。
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使徒言行録20章17~35節 聖霊の導きによって設立された教会にも悩みや困難がついて回るが、それには例えばどんなことがあるのだろうか。外部からは迫害や妨害ということがあるだろう。パウロは19節で「ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました」と述べている。しかし、エフェソの教会について、パウロが特に心配していた問題は何だっただろうか。それは、信仰上の異端の発生であった。それは外から入り込んできて群れを荒らすこともあれば、内側から起こって人を惑わすこともある。パウロがわざわざエフェソから長老を呼び寄せたのは、その点についての話しをしておきたいからであった。 . . . 本文を読む
使徒言行録19章11~20節。本日の個所で特徴的なのは、パウロの伝道にも驚くべきしるしが伴ったということである。一一節以下はこう伝えている。「神はパウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気は癒され、悪霊どもも出て行くほどであった」。いったいこれはどういうことだろう服や身の回り品にも聖者の不思議な力が宿るという、素朴な民間信心の表現がそのままイエスと初代教会の言い伝えの中に入り込んでいたということだろうか。使徒言行録の著者はあまり修正を加えないで残したということであるにちがいない。いずれにしても、「神はパウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた」という表現がここでは重要である。得体の知れない非人格的な力ではなくて、神の力がこのような不思議な業を引き起こしていたのである。
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使徒言行録4章32~37節。本日の使徒言行録の個所の特色は、このようにして一つとされた群れが、緊密な相互の交わりを実現させたということである。交わりというと、今日では心の交流とか親睦を深めるといった意味にとられがちだが、ここで言われていることは今日の常識では考えられないような交わりである。「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」というのである。さらに、「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである」とも言われている。そして、その実例として、所有する畑を売ったバルナバの行為が細かに記されている。なんという気前の良さであろうか。有り余ったものを恵んであげるだけでも親切なのに、なけなしの財産を売り払って教会の仲間を助けているのである。これが聖霊の導きのもとで形成された最初期の教会の姿だったと使徒言行録は語っているのである。 . . . 本文を読む
コリントの信徒への手紙二 8章11~15節。パウロの活動のうちで興味深いのは、彼がエルサレムの貧しい信徒たちへの献金集めに奔走したことである。そもそも、この献金集めの活動は当時パレスチナを襲った自然災害に端を発している。使徒言行録の11章によると、クラウディウス帝の時代にパレスチナに大飢饉が起こり、各地の信者たちはそれぞれ力に応じて救援物資を集め、ユダヤに住む兄弟たちに送ることにしたとされている(11・27~30)。そして、この援助活動の熱心な推進者がパウロだったわけである。あのエルサレムの使徒会議での申し合わせでも、「貧しい人たちのことを忘れないように」(ガラテヤ2・10)という付帯事項があって、パウロはそれにも強い義務感を抱いていた。その「貧しい人たち」というのが、まさに飢饉で困窮しているユダヤのキリスト者たちのことであった。 . . . 本文を読む
フィリピの信徒への手紙2章12~18節(花の日・子どもの日合同礼拝)。今日は、読まれた聖書のなかでフィリピの信徒への手紙から学びたいと思います。この手紙はパウロ先生がとても愛したフィリピという町のクリスチャンに向けて書かれたものです。この町にイエスさまを救い主だと信じる人々がいることはパウロ先生の大きな喜びでした。そして、その人たちが「世にあって星のように輝いている」と言っています。お星様のように輝いて見えるというのです。こんなことを言われたのは、フィリピの教会の人たちだけでした。 . . . 本文を読む