ハロウィンはもともとケルト人の行事で、日本のお盆に相当する。この夜(10月31日)は死者の霊が家族を訪ねたり、魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守る為に仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いた。家庭では、カボチャを刻んで怖い顔や滑稽な顔を作り、悪い霊を怖がらせて追い払うため、家の戸口の上り段に置く習慣ができた。近年、日本にも入ってきて、9月末頃からカボチャをくりぬいたグッズが売られたりしている。そして仮装行列やパーティーをしてハロウィンを楽しむ風潮が広がりつつある。写真は久保なみよ氏のスケッチ「富良野のカボチャ」。 . . . 本文を読む
長女が出産。今、我が家に来ている。夫婦二人の静かな生活に、突如生まれたばかりの赤ちゃんがやってきた。娘は授乳とおむつの取り替えに明け暮れている。赤ちゃんは、泣くことが唯一の自己主張である。「お腹が空いた」も「おむつ替えて」も、「オンギャー、ウンギャー」。そのたびに、娘は消防士のように駆けつけて、赤ちゃんの求めに応じている。週末には、娘の連れ合いも泊まりに来る。それから、二女と三女も赤ちゃんをじかに見ようと、休みを取って東京から入れ替わりやってくる。二人だけだった牧師館が急に賑やかになった。
. . . 本文を読む
この前の日曜日の朝、礼拝に来た教会員が玄関近くの植木に近づいたとたん、激しい痛みに襲われた。イラガの幼虫である毛虫に触れてしまったのだ。よく見ると大量発生しているではないか。この辺ではよく発生し、魚のオコゼになぞらえて「オコゼ」というらしい。触れると毒を出して、ビリビリという強い痛みを与える。またの名を電気虫とも。
. . . 本文を読む
この赤ちゃんを産んだ長女が生まれたのは、30年前だ。その時、どんな気持ちで対面したらよいか分からぬままに、緊張しておそるおそる産科医院に見に行ったのを思い出す。赤いガウンを来た家内が、笑顔で、真っ赤な顔をした我が子を抱いて、ベビールームから出てきた。「これが自分の子かあ」と思わず空唾を飲んだ。そして、ひたすらシャッターを切った。それは今でも残っている思い出の一枚であり、我が子への精一杯の挨拶だった。 . . . 本文を読む
蝉に魅力を感じた少年時代の気持は今はほとんど忘れているが、夏はやはり蝉の鳴き声なしにはもの寂しい。今でも蝉しぐれの道を歩いては沸き立つエネルギーをもらい、つくつくほうしやひぐらしの鳴き声を聞いてはそこはかとない情緒を感じている。蝉たちのバラエティに富んだ鳴き声、それは聞きようによっては天から響く歌声のようではないか。
. . . 本文を読む
だいぶ前から新緑の季節になっている。最近、外を散歩して感じることは木の香りがすることだ。東京ではあまり意識しなかったが、こちらでは樹木のほのかに甘い生気溢れる香りが否応なく感じられる。そして、疲れた心をいやしてくれる。 . . . 本文を読む
月曜日の午後、教会の方から電話があって、「家庭菜園のいちごを摘みに来ませんか?」 よろこんで家内と一緒に出かけた。3㎏ほどのいちごと、そら豆、さやエンドウを収穫した。1時間ほどであったろうか。慣れない作業だったが、心地よい疲れがあった。 . . . 本文を読む
久しぶりに鯉のぼりを見た思いがする。東京の住宅密集地では鯉のぼりをたてる余地がない。ベランダにおしるし程度の小さなものを取り付けるのが関の山だろう。鯉のぼりが風にたなびく姿はいいものだ。「おもしろそうにおよいでる」とはよく言ったものだ。 . . . 本文を読む
5月3~5日の「浜松まつり」が終わった。昨年は初めてだったので、ずいぶん賑やかに感じたが、今年は慣れたせいか、それほどでもなかった。昔はもっと熱狂したらしい。浜松のすべての町が立派な屋台を所有し、それを曳きながら音頭とかけ声をあげて錬り歩く。浜松にはまだ地域社会が生きているのを感じる。東京では祭といえばたいていは商店街の一部の人たちが御輿(みこし)を担ぐ夏祭の行事があるくらいだった。私が住んでいたところでは、人の出入りが多いこともあって、町内会も機能しない有様だった。近所付き合いもない、孤立した世帯の集まりのようなところだった。
. . . 本文を読む
聖書では、五体満足な人が物乞いに甘んじてよいとは言われていない。できるかぎり、自分で働いて生活の資を得るよう努めるべきである。働ける人が物乞いをしなければならない社会は正されなければならないし、職がないからといって物乞いに慣れてしまうのもよろしくない。聖書からはそんな考え方が読み取れる。 . . . 本文を読む