時折小雨のぱらつく日曜日、気賀教会の牧師就任式があった。近隣の教会の牧師と信徒、それに静岡から教区議長も駆けつけてくれた。
若い牧師は(と言ってもアラフォーだが)、いくつかの職業を経て神学校へ。3年間、四国の教会で働いてから気賀へ赴任した。牧師夫人はうんと若い。就任式では奏楽者をつとめた。
二人は結婚したばかり。新しい生活と新しい仕事がこれから始まる。二人の表情はとてもよかった。
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5月の第二日曜日、教会では「母の日・子どもの集い」が午後行われ、私がメッセージを担当した。選んだ箇所は使徒言行録の冒頭にある弟子たちの祈りの場面だった。
イエス復活後の弟子たちの集いの中に母マリアがいる。イエスの兄弟たちもいる。いつの間に、彼らはイエスを信じる者になったのだろう。マリアは新約聖書でここが最後の登場になる。
思えば、イエスは母にはずいぶん心配をかけた。 . . . 本文を読む
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」。
テサロニケの信徒への手紙一 5:16~18
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ヨハネによる福音書の1章には、最初の弟子たちが次々にイエスと出会う場面が描かれている。最初にイエスと出会ったのはアンデレであった。するとアンデレは兄弟のシモン・ペトロをイエスのところへ連れていった。翌日フィリポがイエスと出会うと、彼はナタナエルをイエスのもとに連れていった。こうして信じる人々が集められていった。
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マルコによる福音書15章33~41節。イエスの十字架は目を背けたくなるような凄惨な出来事だった。このイエスの死を通して成就する神様の御旨とは何だったのだろうか。そのことが、「すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」という38節の言葉に集約されている。これは、イエスの死によって起こった目には見えない新しい事態を、あえて視覚化して語った言葉と言えよう。 . . . 本文を読む
「教団新報」第4694号の「人ひととき」欄に桝田京子さん(奥沢教会幼稚園主任教諭)が紹介された。一部引用してみよう。「京子さんは何より自分が洗礼を授けられたキリスト者であるので、保育にも教育にも先だって、伝道したい、と願い続けてきた。まず、伝道、それが京子さんの教育者、保育者としての基本姿勢だ。 . . . 本文を読む
東京神学大学報258号に掲載されたキスト岡崎さゆ里先生の日本伝道への提言の後半です。・・・アメリカ改革派教会も80年代以降教会員の減少と高齢化に伴い、教会がそれまでのように「求める者が必死にたたいたらドアを開く」のではなく、教会が自ら外へ「働きかける」という姿勢に変わっていきました。礼拝においても、教会員対象の内向きな内容ではなく、むしろ「求道者に優しい」(seeker sensitive)ということを目指すようになりました。(写真はさゆ里先生が学んだウェスタン神学大学) . . . 本文を読む
キスト岡崎さゆ里宣教師の日本伝道についての提言です。東京神学大学報258号の記事です。さゆ里先生曰く:「わたしはあなたを国々の光とし、わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする(イザヤ49)」とおっしゃった主が私たちと共にあることを思い出しましょう。私たちの真の姿は国々の光であり、伝道なしにはそれを見失います。伝道は、される側以上にする側にとってのアイデンティティ、存在意義がかかっているのです。
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使徒言行録9章36~40節。この聖書の場面では、教会の仲間が集まり、ドルカスの遺体を丁重に清め、その生前の面影を偲んでいる。初期の教会の素朴な葬りの様子を伝えるものだが、今日のキリスト教の葬儀にも欠かせないいくつかの要素を見ることができる。
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父親を早く亡くした祖父は、兄と共に東京に出てきて貧しさの中で医学を学びますが、何か心の拠り所を求めていたようです。日曜日の礼拝や水曜日の晩の集会に出席して、キリスト教の教えを聞いていたというのです。しかし、残念ながら、受洗には至りませんでした。その理由は二つあります。一つは自分が入信した場合、先祖の位牌をどうしたらいいのかという疑問、もうひとつは宣教師が集会の後で短兵急に洗礼を迫ったことでした。 . . . 本文を読む