しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「三島屋変調百物語六之続 黒武御神火御殿」 宮部みゆき

2021年02月25日 | 読書
「三島屋変調百物語六之続 黒武御神火御殿(くろたけごじんかごてん)」 宮部みゆき  毎日新聞社
   
神田三島町にある袋物屋の三島屋は、一風変わった百物語を続けている。
聞き手を務めていたおちかが嫁ぎ、「小旦那」と自称する次男の富次郎が聞きていを引き継ぐ。

「泣きぼくろ」
富次郎が1人で迎える始めての語り手は、富次郎と手習い所で一緒だった八太郎だった。
それは7つの時の事で、八太郎は豆腐屋〈豆源〉の八人兄弟姉妹の末っ子。
兄嫁や奉公人や女中もいて、大所帯の中で色恋沙汰の事件が起きる。
そして、その事件を起こす人物には、今までなかった泣きぼくろがあるのを、八太郎とすぐ上の姉が見つける。

「姑の墓」
語り手は、富次郎の母親、お民と同じ年頃で、豊かさも同じくらいの商家のおかみ、のようだ。
お花と名乗る彼女が12歳の時の物語。
故郷は桜が見事な山里で、丘の上に墓所があり、そこで花見をするのが村の習いだった。
丘の麓から頂上までは真っ直ぐな階段が作られていた。
しかし、お花の家、かがり屋だけは、女は花見の丘に登ってはいけない決まりになっていた。
それをお花はなんとも思っていなかったが、その年、他所から来た兄嫁が不満の声を上げる。
それまで黙っていた祖父が、その理由を話す。
それは自分のひい爺様とひい婆様の時の話だった。

「同行二人」
語り手は小柄ながら引き締まった身体付きの50歳の男。
亀一は、若い頃は生意気で、家族を顧みなかった。
しかし、定飛躍問屋に勤め、飛脚をしてから落ち着く。
家族を持ち、両親にも感謝の気持ちを持ち始めた頃、流行り病「餓鬼風邪」でみんなを亡くしてしまう。
4人は運が悪かったのか、自分が悪かったから報いを受けたのか。
自問自答してただ走る亀一だった。
ある日、箱根峠を下った辺りにある数軒の休み処の1軒が焼け落ちていた。
雷による火災で、爺さんが1人焼け跡前で蹲っていた。
その爺さんが1組の男女が慰めていた。
それを見て、何故か悪寒が総身に走る。自分にの分からない変化が起きていた。
やがて、亀一は自分の後を付いて来る人影に気が付く。
顔がはっきり分からないが、縞の着流しに赤い襷がけ、草履を履いていた。
旅装ではないが、亀一と同じ早さで付いて来る。

「黒武御神火御殿」
三島屋は質屋の「二葉屋」から質流れになり、古着としては使えない物を買っていた。
この年、「二葉屋」は奉公人の女中、お秋から頼まれたと言う印半天と持って来る。
その女中は「百物語をしている三島屋」を確認しての事と聞いて、富次郎は興味を持つ。
それは左右の襟に小さく「黒武」と書かれ、背中には□に十の字を重ねた印が入っていた。
印半天を預かり調べると、背中の内側の当て布の裏に、平仮名の文字がびっしりと書き込まれていた。
その文字に付いて、おちかの夫、瓢箪古堂の勘一に調べて貰う。
やがて、その文字の秘密が分かり、勘一はこれ以上関わらない方が良いと助言する。
二葉屋の印半天は使いようがないので、どうするか聞くと、お秋は取りに行くと言う。
しかし、なかなか取りに来ない内に、口入屋の灯庵老人が印半天に関わりのある話だと言う、次の語り手を紹介して来る。
やって来たのは、梅屋甚三郎と名乗り、傷や火傷のある身体で弱っていた。
語ったのは、10年前に迷い込んだ不思議な屋敷の事だった。
そこには6人の、同じ様に迷い込んだ老若男女がいて、みんなで脱出の方法を探ったと言う。
そして甚三郎だけが、黒い甲冑の武士を見たり、不思議な声を聞いていた。








今回は「同行二人」以外は、話の中の災厄がどこから来たのは良く分からない。
だからはっきり解決していないので、物語も後味が悪い。
「泣きぼくろ」は、推測は語られるが。
「いいじゃないの」と、「勘弁してくれ」にどんな意味があったのか。
そこまで恨まれるのは何故とやはり気になる。普通の家庭の見えるのに。
そして、これは割と今までにあったパターンだ。

「姑に墓」は、そもそもの呪いの元凶だった姑が何故そうなったか。
それを書きたかった訳ではないから、ないのか。
お花さんがどう転ぶかかは、実際には分からに怖さもある。
あれほど酷く激しい呪いなら影響があるかも知れない。
後味が悪いのは、元凶がはっきりしないから。
やはり、そこを知りたい気がする。
真っ直ぐで危険な階段を、村人たちはつづら折りに作り変えようとかしなかったのかな。

「同行二人」は、人は何があっても生きて行かなければならないのだと。
癒えない悲しみや辛さがあっても、生きる事が人間定めなのだと。
それを誤ってしまった寛吉を亀一が助け、亀一も救われた部分があった。

「黒武御神火御殿」は、途中でこれは「そして誰もいなくなった」なのかと。
罪を告白する。罪は難しい。
その人が罪だと思わなければ罪にならないし、自分がそう思っても周りの人が、仕方がなかったことだと許してくれたら、罪にはならないのではないか、とか。
簡単に周りの人も判断で決められる物でもない。
裁判が難しいのは、そんなこともあるのか。
後でおしげさんの事が書かれているが、本人からすれば、どうだったのだろう。
一方通行の話では真意は分からない。
ふと、「姑の墓」のお姑さんとこちらの悪霊を対決させたらどうなっただろう。
「私に罪なんてない」と言い切れそうなお姑さんだから。
物語にもあったが、「自分に罪はない」と言い切れる人はいないだろう。
だから集められた6人は、きっと偶然この怨霊の屋敷の側を通っただけなのだ。
巨大蝗が出て来るが、蝗は悪魔の使い。
流石、あちらの手下も使うのかと思った。
八つ当たりの為だけに、囚われた6人は気の毒でしかない。
金右衛門との因縁がなにか分かったら、もう少し怨霊の正体が詳しく分かったのかも知れない。
そして、折角逃げ出せたのに、その後遺症が身体の方にはっきり出るのは、何だか違うような気がする。
心の傷なら分かるけど。

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