今日はちょっと真面目に、朝20分ほど、いつもより早く家を出たんです…。
理由は、リンゴの花を撮ること!
↑これは、さっき更新しましたよね。(まだの方は先に見て下さいね!)
で、もう1つは、今回のトップの写真。
この旗のこと、何て云うのか、結局わからなかったんだけど、とりあえず今日がお祭りだったって
ことは分かりました!!
この幟のようなの、『奉献 御神前』って書いてあるんです…。
里道に入ってから、リンゴの写真を撮ったところから少し走ったところに、最初の幟はあります。
ちょっと古め。 昔から守って来たって感じが全面に出てますよね。
次がこれ。 昨日までは普通に立てられてあったんだけど、今朝見たら、半旗になっているので、
ちょっと???状態…。 理由は、まだ解明されていません…。 どなたか、教えて!!
途中に2~3ヶ所くらいあって、(さすがに全部撮ってはいられませんでした…)
ここの古さも結構気に入っていました。 直線が長いので撮りやすさもあり、余裕でパチリ。
ここの辺りの地区が『厩所』って云うところかもしれないのですが、
この幟の先に見えるカーブを右に曲がったところで、
こんな山車が出ているのに気づき、慌ててハザードを点けて、カメラ片手に!
「写真、撮らせてもらっていいですかぁ…?」って云いながら、パチリパチリ!! ^^;
大人たちが前後で引き、子どもたちが上に乗っています。
笛の音がとても良かったです。
私の車が停まっているので、ちょっと避けて、遠回り状態…。
「何? 何? 何…?」
って感じで、周りのお母さんたちに聞いてみたんだけど、「さぁ…。毎年この日にあるけど…」
もう、頼りないなぁ…。
ってことで、調べてみました。 ちょっと長いですが引用です。詳しくはここを読んで下さい。
『(前部分略)上流域の入山辺地区には宝暦年間(1751~1764)からの棟札を残す宮原神社、
大和合神社があり、ここでも4月29日の例大祭にお船が曳かれている。(中略)
大和合神社も旧村社で、弘治元年(1555)に大和監物が創建したという旧中入村の鎮守である。
お船は宮本の大和合、薄川左岸の一ノ海、右岸の厩所の3基がある。 一ノ海には船庫はなく、
お船は部材ごとに分解され氏子が保管していた。今は倉庫にまとめて保管しているが、氏子が
少なく組み立てに手間がかかるため、現在では常はお船を出していない。
厩所のお船は建造年代は不明だが、お船と船庫ともに昭和2年(1927)に改築したと、庫内の
奉鎮札にある。この時の彫刻師、大工はいずれも村の住人である。
2階部分には太鼓があり、曳き回しの際にはここでお囃子が奏される。 この2基は、
須々岐水神社のお船と同様にいずれも車輪により曳航されるように改良されたが、大和合の
お船は筑摩神社と同じく担ぐ形式のままで古い形を伝えている。
これには船庫が境内にあることも幸いしている。
船に乗る高砂の尉と姥の人形と面は、大和監物が諏訪から神社を勧請したときに分与されたものと
伝えられている。
須々岐水神社、宮原神社、大和合神社の3社はいずれも諏訪の建御名方神を主祭神とする神社
であり、大和合神社のお船は、舳艫の幕に諏訪大社の梶の葉の神紋が鮮やかである。
(後略)』
会社までの間にある幟の最後。 この幟も年代物のようです…。
幟の右側に、小さく写っていますが、提灯が並んでいました。 通り過ぎてから気づいたので、
バックして撮ってから出勤しようかなぁとちょっとだけ悩んで、そのまま出勤してしまいました…。
リンゴの花を撮ったり、お船を撮ったりして、余裕をみていた時間がアッと云う間になくなり、
最後は結構焦りながらの出勤になってしまいました…。
でも、お船祭りは楽しかったです!!
やっぱり、早起きは何とかって云いますもんね。 今日はいい1日でした!
仕事を終えて、帰りに朝撮れなかった提灯を撮ろうと思っていたら、もう取り外されていて、ガクッ。
「やっぱり、朝のうちに撮っておけばよかったなぁ…」と思いながら運転していると、
提灯を燈しているところがあったので、またもや車を寄せて、撮って来ました。 良かったぁ。^^;
今日のおまけ!
出勤の途中、サイドミラーに写った常念。 逆さですけど、とっても綺麗でした。
理由は、リンゴの花を撮ること!
↑これは、さっき更新しましたよね。(まだの方は先に見て下さいね!)
で、もう1つは、今回のトップの写真。
この旗のこと、何て云うのか、結局わからなかったんだけど、とりあえず今日がお祭りだったって
ことは分かりました!!
この幟のようなの、『奉献 御神前』って書いてあるんです…。
里道に入ってから、リンゴの写真を撮ったところから少し走ったところに、最初の幟はあります。
ちょっと古め。 昔から守って来たって感じが全面に出てますよね。
次がこれ。 昨日までは普通に立てられてあったんだけど、今朝見たら、半旗になっているので、
ちょっと???状態…。 理由は、まだ解明されていません…。 どなたか、教えて!!
途中に2~3ヶ所くらいあって、(さすがに全部撮ってはいられませんでした…)
ここの古さも結構気に入っていました。 直線が長いので撮りやすさもあり、余裕でパチリ。
ここの辺りの地区が『厩所』って云うところかもしれないのですが、
この幟の先に見えるカーブを右に曲がったところで、
こんな山車が出ているのに気づき、慌ててハザードを点けて、カメラ片手に!
「写真、撮らせてもらっていいですかぁ…?」って云いながら、パチリパチリ!! ^^;
大人たちが前後で引き、子どもたちが上に乗っています。
笛の音がとても良かったです。
私の車が停まっているので、ちょっと避けて、遠回り状態…。
「何? 何? 何…?」
って感じで、周りのお母さんたちに聞いてみたんだけど、「さぁ…。毎年この日にあるけど…」
もう、頼りないなぁ…。
ってことで、調べてみました。 ちょっと長いですが引用です。詳しくはここを読んで下さい。
『(前部分略)上流域の入山辺地区には宝暦年間(1751~1764)からの棟札を残す宮原神社、
大和合神社があり、ここでも4月29日の例大祭にお船が曳かれている。(中略)
大和合神社も旧村社で、弘治元年(1555)に大和監物が創建したという旧中入村の鎮守である。
お船は宮本の大和合、薄川左岸の一ノ海、右岸の厩所の3基がある。 一ノ海には船庫はなく、
お船は部材ごとに分解され氏子が保管していた。今は倉庫にまとめて保管しているが、氏子が
少なく組み立てに手間がかかるため、現在では常はお船を出していない。
厩所のお船は建造年代は不明だが、お船と船庫ともに昭和2年(1927)に改築したと、庫内の
奉鎮札にある。この時の彫刻師、大工はいずれも村の住人である。
2階部分には太鼓があり、曳き回しの際にはここでお囃子が奏される。 この2基は、
須々岐水神社のお船と同様にいずれも車輪により曳航されるように改良されたが、大和合の
お船は筑摩神社と同じく担ぐ形式のままで古い形を伝えている。
これには船庫が境内にあることも幸いしている。
船に乗る高砂の尉と姥の人形と面は、大和監物が諏訪から神社を勧請したときに分与されたものと
伝えられている。
須々岐水神社、宮原神社、大和合神社の3社はいずれも諏訪の建御名方神を主祭神とする神社
であり、大和合神社のお船は、舳艫の幕に諏訪大社の梶の葉の神紋が鮮やかである。
(後略)』
会社までの間にある幟の最後。 この幟も年代物のようです…。
幟の右側に、小さく写っていますが、提灯が並んでいました。 通り過ぎてから気づいたので、
バックして撮ってから出勤しようかなぁとちょっとだけ悩んで、そのまま出勤してしまいました…。
リンゴの花を撮ったり、お船を撮ったりして、余裕をみていた時間がアッと云う間になくなり、
最後は結構焦りながらの出勤になってしまいました…。
でも、お船祭りは楽しかったです!!
やっぱり、早起きは何とかって云いますもんね。 今日はいい1日でした!
仕事を終えて、帰りに朝撮れなかった提灯を撮ろうと思っていたら、もう取り外されていて、ガクッ。
「やっぱり、朝のうちに撮っておけばよかったなぁ…」と思いながら運転していると、
提灯を燈しているところがあったので、またもや車を寄せて、撮って来ました。 良かったぁ。^^;
今日のおまけ!
出勤の途中、サイドミラーに写った常念。 逆さですけど、とっても綺麗でした。