いっきゅうの足跡

毎日の何気ない疑問と出来事 〜inモロッコ🇲🇦 (2010年〜2012年)、in 日本(2012年〜)

子育ての街 〜その①〜

2019-03-12 | Weblog
神戸から引っ越してきてから、三年近くが経ちました。

子育てするなら三田と掲げているだけあって、とても住みここちが良くって、引っ越してきて良かったなぁ〜と日々感じています。

実家が近いので、良く家を行き来しているし、息子も じぃじ👴🏼ばぁば🧓🏻や 私の母の友達(母は交友関係がとても広いのです)、同じマンションの人達(子育てグループや自治会役員、コミュニティカフェで知り合った人達)など、私以外の沢山の人達に見守ってもらっています。

実家が近くて 母とは 一日置きくらいの間隔で 顔を合わせるので、距離感が近い分 喧嘩もしますが、まぁ 言いたいことを言えるので そんなに後には引きずらないです。


自然も豊かで、ニュータウンで車🚗を持っていると 不便はあまり感じない。
自宅周辺にも、保育園の周辺にも 色んな公園や広場があって、その日の気分で 今日はこの公園に行こう!って選びたい放題だし、雨の日も遊べる 有料・無料の施設や、キッズスペースがある飲食店も多いし、三ノ宮や大阪にも 一時間弱で行ける立地◎

👇近くの大学の芝生広場。道路側は生垣に囲まれているし、すぐ向かいにはコンビニもあるし お天気いい日は お弁当を持ってピクニック🍱できる。大学の学食も安くて美味しい。時々 学生さん達に混ざって お昼ご飯を食べています。




👇深田公園。街中のオアシスって感じ。 水遊びも出来る😆




👇 よく行く マクドナルドのテラス席のキッズスペース。夏場や雨天の日は閉まっているけど、数少ない 子供連れでもゆっくりコーヒー☕️を飲める場所☺️



先日ここでお昼ご飯にして 、息子はハッピーセットを食べ終わると さっさと遊びに行きました。
中に入ると グルグル迷路みたいで、外から見えないし、なんだか 秘密基地 みたいで 子供達にはすごく楽しいみたいなんだよね😆

同じ所で遊んでいた同年齢くらいの可愛い女の子を見つけて、「一緒に滑ろう♪」と言って 仲良く遊んでいました。でも途中から出てこなくなって、姿は見えないけど中で2人でお話ししている声が 聞こえてくるんです。
「ぼくのお名前は 〇〇 ○ 君っていうの!」とか一生懸命 自己紹介をしていて、「ねえ、お名前なんていうの?」「これ ぼくのトミカ、かっこいいやろ。」とか☺️

おもろいわ〜😂と思いつつ聞いていたら、 「ぼくのママは 〇〇〇〇 っていうの。〇〇〇〇」と、私のフルネームを連呼しているので、若干 恥ずかしくなってきた😅
で、こっちに来てな〜!と その女の子の手を引いて、私の所まで連れて来たんです。

「ほら、ぼくのママやで!こんにちはって言うてな!」って、その女の子に 私に挨拶するように言うのです。
私が、「こんにちは。滑り台楽しいね、仲良く遊んでくれてありがとうね」と声をかけると 恥かしそうに黙っている女の子に、息子がさらに 「こんにちはって言うの!ほ〜ら!」とさらに挨拶する様にアピール。

まるで、自分のガールフレンドを紹介するような口ぶりでした😅

そんな 時々 面白い息子は、みんなに見守られ 愛されて 育っているな〜、この環境って本当に幸せだなぁと思います。



ただ、こんな恵まれた環境にあっても、ひとつだけ 不安な事があるんです。

それは、 夜間の小児医療体制 なんです。

一年半ほど前のことですが、夕方に帰宅して オムツを替えていると、息子のおしりや足に 1〜3cm大の膨隆疹(アレルギーの時にでる典型的な発疹)ができていたんです。
えっ😨と思って 上着も脱がせるとほぼ全身にできていて、 かゆいよ〜ってぐずるのです💦
そりゃ、こんだけ発疹ができていたら痒いよね😖
この時はちょうど 自分の体調が最悪で その後 入院する羽目になったのですが、それにしても帰宅してから30分以上たっていたのに、息子のこんなに酷い蕁麻疹にも気付かずにいるなんて、罪悪感でいっぱいになりました。
それに 夕方の8時を過ぎていたので、もう子供が受診できる医療機関は近くにないし、私の母も体調が悪くて 良くない事が 重なってしまい、どうしよう😰と 一瞬 パニックになってしまいました。

小児科にいた時、牛乳のアレルギーの子が 入院中に アナフィラキシーショックを起こした事があるんです。(お母さんが 帰宅している間、子守をしていたおばあちゃんが、フルーツオーレを飲ませてしまった)
自分も お薬で同じようなことになった事があるし、アレルギーの怖さは身に染みて わかっている💦

とりあえず 以前小児科でもらって飲み残していた 抗アレルギー薬を無理矢理飲ませ、ダメ元で 近くの市民病院に電話してみた んだけど、 車で一時間はかかる 神戸の小児初期治療センターに行ってくださいっていう 予想通りの返答。
夜は小児科医がいないんだって😓(ていうか小児科の入院病床があるのに、小児科の当直医がいないって 大丈夫なんかって思う)


熱が出て足も痛くて 辛かったのだけど、痛み止めを飲んで 息子を病院へ連れて行きました🚙
途中で「〇〇君、大丈夫?起きてる?」って 声をかけて、意識があることを確かめながら、病院に無事に着いたら一安心😌
結局 診察してもらうころには 蕁麻疹は少しましになっていて、呼吸困難や意識障害もないし様子を見ましょう、お家で抗アレルギー薬をすぐに飲ませたのが良かったんでしょう、と 念のため 抗アレルギー薬を処方してもらって 帰宅しました。(これ以降、抗アレルギー薬は常備しておくようにしてるよ)

こんなに慌ててしまって😔 それに もし車の中で アナフィラキシーの症状がてていたら💦 家で様子を見て いざとなったら救急車🚑を呼ぶ とか どの判断が 最善だったのか、未だにわからないのだけど、もし救急車を呼んでも 受け入れてくれる病院が無い もしくは 到着までにそこそこ時間がかかるのは確か なので やっぱり あの時はああするしかなかったかな?

帰りの車中で、スヤスヤと寝息をたててすっかり眠ってしまった 👦🏻 ですが、診察してもらって 症状も軽くなり アレルギー薬ももらったので 安心して 寝かせる事ができました。もし受診を躊躇していたら、息子が眠っても 心配でおちおち自分も休んでいられなかっただろうと思うから。



そんなことがあってしばらくしてから、市が主催する タウンミーティング というのがあって、“各地域ごと”や “世代ごと”の会があって、市長さんに直接 質問や意見・要望が言える という 機会がありました。
保育園の連絡ノートに案内パンフレットがはさんであって、ちょうど 息子の事が あったばかりなので、思い切って 参加したのです。

市長さんのお話を聞いたあと、 質疑応答タイムでした。
市長さんのお話 どんな内容だったか殆ど忘れたけど、三田市の人口問題 高齢化、財政赤字について みたいなことから、市民病院が赤字なので統合してベッド数を増やすこと、小児医療費の一部有料化(小中学生の外来診療)について などが 主な内容だったかな?確か😅

子育て世代の女性が対象の会だったので、質疑応答は穏やか〜な口調での質問が殆どだったのだけど、中には 強めの口調で 市長!と 意見する人もいた。

私も 息子の夜間の発病で すごく困った事、夜間の小児医療体制をなんとかしてほしい事 などを伝えた。
全国的に 小児科医療の現状が 厳しいことはよく理解できるし、小児科医の確保が難しい事もわかる。
他の過疎地域や、途上国に比べると 車で小一時間の距離に 24時間の 小児科の外来受診ができる医療機関があるのは 本当に恵まれている。

でも、夜に子供が病気になったとき、近くに対応できる医療機関があるかどうか って、安心して子育てできる街なのかどうか 判断材料の1つだと思うのです😣

他の事は すごく充実していて 本当に恵まれていると思うけど、“子育てするなら🐥”のスローガンの中で、一番 大切なところが すっぽりと抜けている事を実感したのです。子供の命を守ることが 一番 優先と思うから。


ミーティングの途中の休憩時間に、廊下の長椅子に座って コーヒーブレイクしていると、市長さんが 「市民病院のこと 頑張りますね。」と声をかけてくれました。
それと、帰りに裏口をでると珍しい車が泊まっていて(電気自動車) 、乗り物好きの息子が わ〜なにこれ〜!と寄っていったのですが、市長さん用の公用車だった💦💦
直後に 市長さんが出口から出てきて 車に乗り込むところで 、市長さんに続いて車に乗り込もうとする息子💦私、必死に止めた😰😰。
ぎゃーってっ👦🏻が喚いてたら 市長さんが 息子を抱っこしてくれんです 😱 😱😱😱💦💦
もう 平謝りでした🙇‍♀️

ちなみに、後日、市のホームページで タウンミーティングの議事録を 閲覧してみると、二つの質問のうち ひとつは削除されていました( ダヴィンチ っていう医療機器について質問したんだけど、それは色々な大人の事情で 触れてはいけないことだったのかもしれない。)

それにしても私と、私の隣の席に座っていたお母さん(「市長!」って言ってた人)、お隣の大きな国だったら、黒づくめの強面の人達に連れて行かれて 永遠に行方不明になりそう。言論の自由がある って 素晴らしい ✨




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