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時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(169) 九州各県中心の駅

2009年08月22日 06時44分06秒 | 過去になる現在
 九州を離れる前に,九州の県庁所在地には行っておきたいと思い,18切符で関西と九州を移動した際にできる限り寄ってみることにした。その際乗り降りした各県庁所在市の玄関とも言えそうな駅(基本的に市名・県名をそのまま名前としている駅。ただし,福岡については博多,鹿児島については鹿児島中央)について写真などを並べてみたい。新幹線や立体交差やらで改修が進められているところもいくつかあり,丁度いい機会に行けたのかなとも思えた。

博多駅。※西鉄福岡(天神)駅もあるが,行ったこともないのでこっちのみ。

(2008年9月10日撮影)

 祭りのイラスト。(断言はできないが,個人的にはどんたくかと思う。)
 駅舎。

(2008年9月4日撮影)

 筑紫口。改良工事中でもこちらは工事をしている感じがあまりしない。
 それに対して…

(2009年3月12日撮影)

 博多口はいかにも改修中という感じだ。

 ホーム。

(2008年9月10日撮影)

 2階に1~8番までのりばがあり,3階には新幹線のホームが13~16番まである(構内図より)。鹿児島本線(経由)と篠栗線の列車が利用できるが,線路上は鹿児島本線のみ。
 写真を探してみて,宿泊もしていて,知り合いも多いのに物心ついてから博多に日が昇っている時刻に行ったことのないことに気付いた。

 
佐賀駅。

(2008年9月10日撮影)

 鳥のイラスト。よく分からないが,県鳥で県の天然記念物のカササギかと思う。

 駅舎。

(2008年9月10日撮影)

 北口,南口どちらから見ても同じような印象。

 ホーム。

(2009年3月12日撮影)

 高架上にのりばが1~4番まで。列車は長崎本線(佐世保線含)と唐津線のものがあるが,線路上は長崎本線のみ。
 1976年とかなり早くから高架化されているらしい。長崎・佐世保方面へ行く列車が長く停まる(早朝は25分ぐらい)ので駅周辺は2回ぐらい歩いている。それがなかったら1回降りて終わりだったのではないかと思う。

長崎駅。

(2009年3月12日撮影)

 長崎くんちの龍踊の龍が描かれている。

 駅舎。

(2009年3月12日撮影)

 ドーム状の屋根が駅舎と商業施設アミュプラザ長崎の間に作られている。駅舎は2000年改修と新しい方だが,高架化のための工事が始まるようだ。

 ホーム。

(2009年3月12日撮影)

 のりばは0番と1~4番の5つ。長崎本線の列車のみ。
 終着駅ですべての乗り場に上下移動なく行けるが,高架化されるとこの終着駅の特権のような構造もなくなるようだ。

熊本駅。

(2009年3月21日撮影)

 イラストは熊本城と武者返しが描かれている。
 駅舎。
 
(2009年3月12日撮影)

 4階は窓のみの部分もある。

 ホーム。

(2008年9月10日撮影)

 高架化工事のために入り組んだ造りになっている。現在のホームページの構内図によるとのりばは0A,0Bと1~5番まで。写真中央にある2番のりばと右手奥にある4番のりばは他のホームよりも鹿児島寄りにある。列車は鹿児島本線,豊肥本線,三角線のものが利用し,線路としては鹿児島本線と豊肥本線の2つのみ。
 2~3回利用してはいるが,行くたびに改札の場所が変わっているなど変化が激しい。熊本市の観光地などからは結構離れている。


大分駅。

(2009年3月30日撮影)

 高崎山の猿が描かれている。
 3つの路線があり,工事中でのりばを路線別にできないのかもしれないが,この表記だと隣駅の多さが分かる。

 駅舎。

(2009年3月30日撮影)

 正面からは分からないが,高架化に向けての工事がされている最中だ。

 ホーム。

(2009年3月21日撮影)

 北口改札から直接つながる1番のりばから。
 奥に部分的に高架化されたホームが見える。

(2009年3月30日撮影)

 高架化された路線のホームの線路ははがされているが,ホームはまだ通路としての役割をしている。このときは北口改札から高架上のホームに行くのに,地下道→旧ホーム→高架下への通路→エスカレータ→ホームと通っていく必要があった。しかも,高架の高さが結構あるのでかなりの上下移動をしたように感じる。
 のりばは地上に1~4まで,高架上に6~8まであり,日豊本線,豊肥本線,久大本線の列車と線路がある。
 新幹線は来ないものの,規模の大きな駅だけに工事後はだいぶ変わりそうだ。

宮崎駅。

(2009年3月29日撮影)

 駅のデザインのせいか,他の駅のものとデザインが違う。

 駅舎。

(2008年9月1日撮影)

 南国らしい?色遣い。

 ホーム。

(2008年9月1日撮影)

 高架上に1~4番ののりばがあり,列車は日豊本線と日南線が利用し,線路上は日豊本線のみが通っている。高架化されたのは1993年のようで,その当時にしては奇抜なデザインだったのかなと感じる。今回取り上げる駅の中で唯一自動改札が導入されていない。日豊本線は駅間がそれなりに広く,かといって長崎,熊本,鹿児島のように路面電車があるわけでもないので,車社会がかなり進んでいるのかもしれないと思わされた。

鹿児島中央駅。※
鹿児島駅もあるが,機能的な面からこちらの駅で。

(2006年6月8日撮影)

 広木駅が開業する前のものなので,隣が上伊集院になっている。イラストは西郷隆盛と桜島。それにしても,「ちゅうおう」口で言うのも面倒な時もあるが,ひらがなで書くと本当に場所をとる。

 駅舎。

(2008年11月7日撮影)

 小3のとき,宮崎駅を見て驚いたものだったが,自分の住んでいるところの駅がこうなるとは思っていなかった。この駅舎になったのが1996年のことのようで,思っていたよりも古かった。2004年にこの上に新幹線の駅ができて,鹿児島中央駅という長い名前になった。隣接してアミュプラザ鹿児島があり,観覧車もついている。
 ホーム。

(2009年4月5日撮影)

 地上に1~6番の在来線ののりばが,高架上に11~14番ののりばがある。列車は鹿児島本線,日豊本線,指宿枕崎線が利用でき,線路は鹿児島本線と指宿枕崎線が通っている。
 周辺にいわゆる開かずの踏切はあるが,高架化どころか,現駅舎の2階部分の増床工事が行われ,ホーム上空の空間は減りつつある。駅周辺も目立った空き地はないので仮に高架化することになれば,新幹線の高架よりもさらに高い位置にホームができるのだろうか。地下駅という手もあるかもしれないが,駅前の地下通路でさえ,大雨などの影響を考慮しての反対意見もあったので,かえって面倒なのかもしれない。ソ¥その開かずの踏切も鹿児島本線の列車も新幹線が来て,特急がなくなった分,その踏切を通る列車も減ってはいる。 

 この記事を書いて気付いたこと。(よく考えれば当たり前のことも含む。)
・ この時期になって高架化工事が進んでいる。
・ 工事が計画通りいけば,この中で高架駅でないのは鹿児島中央だけ。(新幹線除く)
・ 今の時点で新幹線ののりばがあるのは,この中では博多と鹿児島中央だけ。
・ 分岐する路線の始発駅,終着駅は,これらの駅には少ない。

(166) 筑豊と鹿児島の交差点

2009年08月19日 23時54分11秒 | 過去になる現在
 18切符で姫路から博多までの移動を予定していたが,まだ日が暮れる前に九州に入れたので,九州北部を回ってみることにした。そのとき乗換えで使った折尾駅。

(2009年3月11日撮影)

 別の方向から。

(2009年3月11日撮影)

 雰囲気のある建物で,近くの橋にもこの駅舎が描かれている。

(2009年3月11日撮影)

 かなり昔からありそうな感じの建物であるし,地域のシンボルのような存在なのかもしれない。
 駅舎の中の改札を抜けると…

(2009年3月11日撮影)

 筑豊本線の列車の停まる1・2番のりばがある。
 ホームの屋根も古くからありそうな感じだ。
 2番ホームに接して…

(2009年3月11日撮影)

 西口の小さめの駅舎がある。
 北の方から駅の方を見てみる。

(2009年3月11日撮影)

 線路と線路が交差している。
 駅舎だけ見ると普通の駅だが,複雑な造りになっていそうだ。

 1番のりばの改札脇。 

(2009年3月11日撮影)

 足元にのりばの案内がたくさん書かれている。
  4・5番のりばの方へ行ってみると…  

(2009年3月11日撮影)

 折尾神楽が飾られていた。
 その脇に通路がある。

(2009年3月11日撮影)

 突き当りまで行くと…

(2009年3月11日撮影)

 トンネルのようになっている。
 この上を線路走っているようだ。
 この先に行くと…

(2009年3月11日撮影)

 高架上のホームへ行くための階段がある。
 階段を上ると…

(2009年3月11日撮影)

 鹿児島本線の列車の停まる4・5番のりばに着く。鹿児島本線といっても今では鹿児島まで線路はJR線だけでつながっていないが…
 階段を上れば着く向かい側の3番のりばと比べて,移動距離は長く感じる。そして,曲がる箇所が意外とあるのでどちらの方向に向かっているのかが分からなくなってしまった。
 1番のりばから見た3~5番の高架ホームの真下。

(2009年3月11日撮影)

 さっきの通路も含めて,レンガが歴史を感じさせる。
 1番のりば(東口)と2番のりば(西口)の移動は高架上の3番のりばを通過することになる。

 この駅のホームはこの他にもまだある。
 東口の駅舎と道路を挟んだ向かい側の店が並ぶ中にこんな建物がある。

(2009年3月11日撮影)

 工事現場の脇を進んでいくと…

(2009年3月11日撮影)

 鷹見口と呼ばれる入口がある。

 この中に6・7番のりばがある。

(2009年3月11日撮影)

 こちらには鹿児島本線の小倉方面と筑豊本線の南側へ直接乗り入れる列車が停まる。時刻表を見ると…

(2009年3月11日撮影)

 本数は少ない。
 1~5番のりばの列車と6・7番のりばの列車を乗り継ぐ場合,改札外乗換えとなる。
 3~5番と6・7番のりばでは駅名の看板のイラストが異なる。
3~5番。

(2009年3月11日撮影)

6・7番。

(2009年3月11日撮影)

 上は折尾神楽だろうが,下は分からなかった。
 駅の周りを川が流れているので,その川に関するものかもしれない。

 この辺りは線路に挟まれており,また川も流れているので移動は単純には行かない場合もある。
 筑豊本線の南側にはこんな場所もある。

(2009年3月11日撮影)

 もともと線路を越えるための通路があったような感じだが,100m先の踏切まで行くようにとされている。この100m,歩いてみると結構長く感じた。
 その踏切の警報機には監視カメラ設置と書かれていた。
 6・7番のりばをつないでいる踏切にもこんなことが書かれていた。

(2009年3月11日撮影)

 監視が好きだなと思ったと同時にこれだけ線路に挟まれた環境にいれば,踏切を待てなくなるのかもしれないと感じた。
 この駅も将来的には全て高架のホームにする計画があり,この複雑で歴史を感じさせられる駅も見られなくなるようだ。しかし,このごたごたした場所では,高架にする工事も大変そうだ。

 この駅の名物。 

(2009年3月11日撮影)

 かしわめし。日付が変わる頃に鳥栖駅の待合所にて。

(154) 夢を咲かせ,舞う「洲」

2009年08月01日 05時06分16秒 | 過去になる現在
 パソコンを買い換えたり修理したりしたのでなく,今回も長時間パソコンがお利口さんだったので更新しています。

 タイトル最後の「洲」,何と読んだだろうか?
 

 大阪市の西の端の海に,「洲」と書いて「しま」と読ませる人工島が3つある。
 今,府庁移転などで話題になっているWTCの展望台からそれらの洲を見てみる。

(2009年6月27日撮影)

 一番手前の,今いる展望台があるのが「咲洲」,中央の左手が「夢洲」,右手が「舞洲」だ。咲洲のみが住之江区,他の2つが此花区に属している。ついこの間,咲洲と夢洲を結ぶトンネルが完成し,トンネルウォークが企画されていた。これはあくまでイベントとしての開通で,本日8月1日17時に開通予定らしい。しかし,この夢洲はまだ造成中の状態で,ほんの一部にコンテナターミナルがあるだけだ。
 咲洲についてはまた別の記事で書くと思うので,今回は此花区にある2つの洲(といってもほとんど舞洲)について書く。

 先ほどの夢咲トンネルはまだ開通していない(していたとしても通れるのは車)ので,此花区のUSJをさらに西へ行ったところにある此花大橋から舞洲に渡ることにした。自動車と自転車・歩行者用の入口は分かれており,歩行者・自転車用の入口は,自動車の入口の脇をそこそこ進んでいったところにある。

(2009年6月28日撮影)

 橋の上までは約4回転する必要がある。ここには渡船はないので避けることはできない。
 橋の上に着き,舞洲の方を行くと,目の前に奇抜な建物が見えてくる。

(2009年6月28日撮影)

 洲に着き,正面玄関の方へ回ってみる。

(2009年6月28日撮影)

 やたら高い煙突がある。この煙突,遠くからでも目立つのだが,正体が分からないうちは派手な橋の柱だと思っていた。

 この建物はオーストリアの芸術家フンデルトヴァッサー氏によりデザインされたものなのだが,案内板によると「エコロジー・技術と芸術の融和のシンボル」「大阪や世界の人々にとって注目すべきランドマーク」「この建物を友人として自慢できるように人間的な建物」となることを目的としているようだ。さらに屋根などの緑化は建物と自然の融合した人間生態学的なコンセプトの象徴と紹介している。
 このすばらしい目的のもとに作られた建物の正体は・・・・






 大阪市環境局舞洲工場という名のごみの処理施設だ。さらに,大阪市のごみだし事情の反映なのか,かなり性能のいい焼却炉を持っているらしい。
 他ではなかなかお目にかかれない発想が大阪市らしい。内部見学には予約を要すると門に書かれている。
 
 しかも,道路を挟んで北側にもこの建物と双子のような施設がある。同じく此花大橋の上から見える姿。

(2009年6月28日撮影)

 こちらにもあの煙突がある。

 正面から見てみる。

(2009年6月28日撮影)

 似ているのも当然で,こちらも先ほどの建築家によるデザインになっている。

 「大阪市舞洲スラッジセンター」という名前で,汚泥処理の施設のようだ。こちらこそ娯楽施設だと思って近づいたが,またしても予想を外してしまった。


 この舞洲,2008年のオリンピックの会場として立候補していた。その名残とも言える施設もある。

(2009年6月28日撮影)

 写真は舞洲アリーナだが他にも野球場やテニスコートや広場がある。この日は日曜日だったこともあり,家族連れやクラブチームなどが多かったが,普段はどうなのだろうか?

 このスポーツアイランドの後にも,意外な施設があった。

(2009年6月28日撮影)

 キャンプ場だ。
 この舞洲の西側は2002年に行われたボーイスカウトの大会である,日本ジャンボリーの会場となっていたらしい。この回はアジア太平洋地域のジャンボリーも兼ねていたようで,日本中はもとより,世界中からメンバーが集まるイベントだ。ボーイスカウトをポケモンの世界ぐらいでしか見たことがない人にとってはイメージは異なるかもしれないが,祭の運営ボランティアや募金活動など幅広い活動をしている。野営活動が中心となる活動の一つで,普段の集会でロープ結び,炊飯活動などの訓練もしている。そのような団体の集会がこのような人工的な自然の場で行われていたことは本当に意外だ。大阪府で開かないといけないような流れだったとしても,東部や南部には国定公園もあり,人工島での開催は本当に謎名部分がある。

 洲の西端には「新夕陽丘」と呼ばれる築山がある。

(2009年6月28日撮影)

 新とあるのは,天王寺区に夕陽丘と呼ばれる場所があるからだ。平らな印象の強い大阪市の中にある台地(標高20m程度)上に位置し,鳥居越しに夕日を望むことのできる場所だ。
 それに対して,新夕陽丘の日没数時間前の様子。

(2009年6月28日撮影)

 海に沈む夕日が見られるのはいいかもしれないが,どこか人工的な感じがしてならなかった。

 スポーツアイランドの南側には海に沿って遊歩道(?)が整備されており,夢洲を見ることができる。


(2009年6月28日撮影)

 さっきも書いたとおりまだ造成中で,特に北側には何も見えない。夢洲を前に釣りをしている人々が結構いた。釣り禁止の看板も見られるが・・・(試験的に許容するような案内もあり,この日がどちらだったのかは分からなかった。)

 舞洲と夢洲を結ぶ夢舞大橋。

(2009年6月28日撮影)

 まだ造成中の島にも立派な橋が架かっている。
 今のところ,唯一の夢洲へのアクセスができる橋だが・・・

(2009年6月28日撮影)

 自動車の通行ができる時間帯は限られているようだ。
 大阪の主要交通手段ともいえる自転車の場合は・・・

(2009年6月28日撮影)

 歩行者も含め,通行できないとされている。
 橋の入口は・・・

(2009年6月28日撮影)

 柵でふさがれていた。
 つまり,橋があるにもかかわらず,この日は車がなければ夢洲へも上陸はできなかったことになる。今日のトンネル開通でも通れるのは自動車なので,状況はそこまで変わらないだろう。ほぼ何もないからわたる必要はないとはいえ,寂しい事実だ。とはいっても,大阪の中心からは10km近く距離があるので,自転車で来る人はそこまでいないかもしれないが・・・(ただ,この日は自転車を結構見かけた気がした。)車がない場合,バスを使ってのアクセスが可能だ。たしか西九条駅から市営バスが出ていたと思う。市営バスの他にも・・・

(2009年6月28日撮影)

 舞洲のためのバスもあるようだ。

 今現在の交通の便はこんな状況だが,最初に書いた夢咲トンネルには鉄道のための設備も準備されているらしく,南港(咲洲)のコスモスクエアから夢洲,舞洲と渡り,北港の(仮)新桜島駅を結ぶ路線の計画もあるようだ。JRの桜島駅とは離れた位置だが,京阪の中之島線を延伸した際に接続駅とする計画もあるようだ。

 今は開発途中でところどころに多額の資金を投じたであろう施設が見られるような状態だが,将来的にどうなるのかは大阪市の財政の問題も含めて気になっている。

(No.148) 政令指定都市

2009年06月26日 06時26分22秒 | 過去になる現在
 日本で今現在最も新しい政令指定都市が誕生する少し前の写真。


(2009年3月11日撮影)

 駅の階段に堂々と政令指定都市誕生の文字が刻まれている。

 その誕生の数時間前にもこの駅前にいた。

(2009年3月31日撮影)

 
 近年,政令指定都市になるのに必要な人口の基準が緩和され,数も増えてきた。かつての政令指定都市とは意味合いも変わってきたように感じる。静岡市や岡山市は人口70万人を少し超えて指定都市となっている。

 まだ指定都市となっていない市でも合併などによって指定都市入りを目指しているところもある。現在67万人ほどの人口を抱えている熊本市は必死さが伝わってくるときがある。現在50万人程度の東大阪市も八尾市や柏原市との合併による政令指定都市化の構想もあるようだ。東大阪市自体3市の合併によってできた市なのでこの構想が成立した場合,もともと5市(布施・河内・枚岡・八尾・柏原)からなっている市となることになる。相模原市もあまりよく知らないがほぼ移行が濃厚らしい。

 構想を聞く市もある中で,合併がうまくいけばいけるはずなのに話題にのぼらない市がある。

 その一つが鹿児島市だ。あまり知られていないようだが,人口が60万を超えていて,全国でも22番目の人口を抱えている。周辺と合併すれば,70万人は確実に超える。しかし,政令都市化の動きが取り上げられることは自分の知る範囲ではなかった。ネットで「鹿児島市 政令指定都市」を検索すると同じ考えをしている人もいることが分かった。

 以下,政令指定都市化を勝手にシュミレーションしてみたい。もちろん財政状況,住民の意志などはここでは考慮しない。なお,新しい市名は鹿児島市以外のものにするとの条件が出たことを仮定し,つけてみた。

市町村名は以下の略称を使用。人口・面積は2008年10月1日のものを県HPで調べて使用。★は町,他は市を表す。

鹿児島 (鹿) 604,619 人 547.06 k㎡
日置  (日) 51,238 人 253.06 k㎡
★姶良 (姶) 45,001 人 102.52 k㎡
★加治木(加) 22,544 人 47.51 k㎡
★蒲生 (蒲) 6,987 人 81.29 k㎡
南九州 (九) 40,286 人 357.85 k㎡
指宿  (指) 44,989 人 162.01 k㎡
枕崎  (枕) 24,040 人 74.88 k㎡
南さつま(さ) 39,709 人 283.37 k㎡
垂水  (垂) 17,796 人 162.02 k㎡


【空想1】鹿・日・姶・加・蒲
人口73万389人,面積1031k㎡。面積も浜松市(約1511k㎡)を下回っている。
新市名は,県本土の中央部ということで「鹿児島中央市」。某駅名もこのように改称されたのだから可能性はないとはいえない。

【空想2】鹿・日・姶・加・蒲・九
人口77万675人。面積1389k㎡。
新市名は,合併前の市名にもあるが「南九州市」。北九州市よりもまだ少ないが,現状よりは南北で張り合いが出るかもしれない。

【空想3】鹿・日・姶・加・蒲・九・さ・枕・指
人口87万9413人。面積1909k㎡。
新市名は「薩摩半島市」。自治体としては広すぎる気が…

【空想4】鹿・日・姶・加・垂・指
人口73万4949人。面積1021k㎡。
指宿市抜きで「姶良カルデラ市」を目指したが,70万には満たなかった。霧島市や鹿屋市は規模が大きいので省くとしても錦江町や南大隅町も考慮に入れるべきかもしれないが,「錦江湾市」または「桜島市」。


 単なる遊びには過ぎないのだが,将来的には政令指定都市になっていそうな気もする。


 確実に政令指定都市のありかたは変わってきている。今後の動きが楽しみだ。

(No.143) 満足してはいけない。

2009年06月18日 02時51分09秒 | 過去になる現在
 探し物をしていたら,ある懐かしいマークに出会った。


 今は双葉のようなマークになったあの会社のマークだ。

 食料品中心への経営転換をきっかけにマークが変わってからしばらくは,前のマークがそのまま残されているところも多かった。しかし,いつの間にかそれも見なくなってしまった。
 4月に三重の柘植から滋賀の草津へ向かう途中に,このマークと野球チームのキャラのイラストが描かれているコンテナのようなものが民家の片隅に放置されているのを見かけた。

 このマークは完全な円でないことから,まだ欠けているところがあるから現状に満足するなという意図が込められていると高校時代に日本史の先生から聞いたような記憶がある。

 なくなると分かっていても,予定以上に残されていて,まだ最後ではないと油断していたら急に全く見なくなってしまうということも結構多い気がする。

(No.133) 大都市の真ん中でも・・・

2009年05月26日 06時46分20秒 | 過去になる現在
何年生向けだったかは忘れたが,社会の教科書に描かれた地図を見ていて,列車が高架上を走っているのが一般的なのかと思わされたことがあった。用地の問題,渋滞や事故の問題,市街地の分断化の問題を考えると都市部においては高架または地下を鉄道が設置されるのが理想なのだろう。
 何度か利用したことのある大阪駅もホームが10番まであるが全て高架上にある。しかもほぼ並行に並んでいるので,逆に「気持ち悪さ」を感じたこともあった。
 隣接する私鉄や公営地下鉄の梅田駅も高架上または地下に設置されている。

 その一方でこんな風景も見られる。

 大阪駅北側の道路を福島方へ行くと・・・


(2009年3月10日撮影)


 規模の大きな踏切があり,しかも特急列車が通過している。

 また,福島駅下においても・・・


(2009年5月20日撮影)


 高架上にある福島駅の下に踏切があり,特急列車が通過している。
 これら2枚の写真は特急の通過時刻を事前に調べていたわけではなく,たまたま通りかかった時に偶然撮影したものだ。そう考えると結構な頻度で通過しているのかもしれない。

 大阪駅北側には貨物の梅田駅があり,特急列車が走っている地上の線路は貨物列車用の線路のようだ。その線路に客扱いのある特急列車を通すダイヤが組まれている。しかも,その特急は大阪駅を通過せずに新大阪駅へ停まるようだ。以前の記事で書いた梅田スカイビルの展望所に行った際,鉄道に精通しているお方と一緒にこのあたりを眺めていた。彼からは,線路の枕木が昔のタイプのものが使われていて見ごたえがあるという評を耳にした。敷地内か隣接かは分からないが,ビルの屋上にはテニスコートがあり,ゲームの最中であった。
 中央郵便局も移転し,ますます梅田地区の再開発が進んでいく中,昔ながら(?)の風景も残っている。
 貨物梅田駅の地下化の案や,なにわ筋線だったか名前ははっきり覚えていないが,大阪市を南北につなぐ鉄道路線の検討も行われている最中のようだ。
 まだ確定案は出されていないが,この大都市の中心部に似つかない光景もみられなくなるだろう。他にも大阪市にはこのような場所がまだ残っている。

(No.131) 中・全

2009年05月24日 08時24分48秒 | 過去になる現在
以前の記事で紹介したトミー君。


(2009年5月5日撮影)


 昨日,通りかかったときに見てみると,今の大阪の状況に応じた変化があった。









(2009年5月23日撮影)


 新型インフルエンザの関係でマスクをしている。
 
 神戸は土曜日から,大阪は月曜から原則的に学校関係も動きだそうとしている。

 関西のいる人=ばいきんのような扱いをされているように感じるときもあったがそれも徐々におさまっていくだろう。

 自分自身,神戸での感染が発覚した日は,ちょっとしたことから三宮に寄ってしまった。その日は主に京都にいたので,何で寄ってしまったんだろうと家に帰ってから後悔していた。三ノ宮駅地下で食事,灘,東灘地区を電車で通過した。しかも,周りには神戸に関わりがある人も何人かいて,神戸以外の場所で接触もしていた。そのときにウイルスはもらっていなかったようだ。この関係で,月曜の午後より1週間の休みがもらえた。これと同じような経験を2年前の麻疹のときにもしていた。そのときは2週間の休みだった。ここで休んだ分,あとで埋め合わせがある上に,外出は原則控えるべきなので嬉しいような嬉しくないような感じもした。

 感染が発覚した日,京都では小,中,高たくさんの修学旅行生とすれ違った。たまたま目に入った学校名を検索にかけると山梨からの中学生も来ていて,まだ最終日ではなかったようだ。中途半端な修学旅行になってしまった側,延期や中止になってしまった側,それぞれで旅行を楽しむ上で障害がでてしまった。旅行を受け入れる側の損失も計り知れないものだろう。

 都市機能は回復の方へ向かっていくが,何らかの余波がやってくるように思う。

 また,このような事態が起きる可能性はあるだろう。そのときの対応が今回の反省点を改善し,被害が最小限になればと思う。

(No.121) 東京のものほどは…

2009年05月06日 23時56分40秒 | 過去になる現在
 中央郵便局の移転がニュースで取り上げられていたが,頻繁に取り上げられているのは東京のものなので,こちらの移転は大したことはないのかと思っていた。
 駅のすぐ近くにあり,旅の途中に利用することもあった。
 列車待ちの間に急いで利用した程度であったことに加え,内部の一部はおそらくリニュアルされたものであるためかあまり古い建物として思っていなかった。
 先日,この郵便局の前を高校の同級生と通りかかったときに,東京と比べて移転が問題にならなかった方だということを聞いてその局舎のもつ意味を知った。
 ということで,現在の局舎での営業が最終日となる日に近くを通ったので外観を見てみた。

 局舎の真向かいの交差点から。

(2009年5月5日撮影)
 
 上に行くほど窓が少なくなるのが特徴らしい。

 駅の入り口の方から。

(2009年5月5日撮影)
 
 建物が隠れない場所はなかなかなかった。

 駅側の入口の一つにあるポスト。

(2009年5月5日撮影)
 
 万国郵便連合加盟100周年を記念するポストのようだ。
 1877年-1977年とあるので,1977年からあるのだろうか?
 このポストも今後利用できなくなるようだが,何らかの形で残されるのだろうか。

 移転先となるビル。


(2009年5月5日撮影)
 
 駅からの距離は少し離れてしまう。

 旧局舎は高層ビルに生まれ変わり,その一部に旧局舎を何らかの形で残すようだ。その保存方法をめぐっても今後動きがありそうだ。

(No.114) 新旧混在

2009年03月26日 21時46分02秒 | 過去になる現在
 所属していた学部の建物の半分が改修されている。
 先日大学へ行くと,工事がほぼ終わっていた。


(2009年3月17日撮影)


 古いほうから新しい方を見た写真。
 明るさがかなり違って見える。

 数日後,柵がなくなり,通行が可能になった。


(2009年3月25日撮影)


 部屋のドアもかなり違った印象になった。

 小中大と建物の改修時期に在籍していた。高校も卒業後に改修が始まったので,改修とは縁のある世代なのかもしれない。

 耐震強度などの問題から改修は今後も進んでいくだろう。昔のタイプの学び舎というものは,案外すぐに見られなくなるかもしれない。

(No.110) 船小屋

2009年03月18日 23時59分59秒 | 過去になる現在
九州新幹線鹿児島ルートの筑後船小屋駅(仮)の建設予定地周辺を船小屋駅から瀬高駅まで歩いてみた。

※ とりあえず写真のみ投稿。
2009年5月25日文章追加。

 在来線の船小屋駅。

(2009年3月12日撮影)

 結構小ぶりな駅舎で無人駅で,さらに快速も通過してしまう駅で,新幹線駅が設置されるとは考えがたい。
 この日,この駅で降りたのは自分だけだったが,別の日には久留米から一緒に乗車した男の子が降りていた。とりあえず,利用者は少ないようだ。


(2009年3月12日撮影)

 駅前の道路。
 新幹線の高架がどんどん作られているが,車はたまに通る程度だ。
 筑後市の中心部は隣の羽犬塚駅周辺のようだ。

 駅からしばらく(約500m)南へ行くと・・・

(2009年3月12日撮影)

 高架以外にも何か作られそうな雰囲気だ。
 ここが新幹線駅の建設予定地なのだろう。

 新駅舎とは反対側の風景。

(2009年3月12日撮影)


 右手の線路奥に歩道橋のようなものが見えるのが,現在の船小屋駅だ。

 2年後にはこの場所に新幹線が停まるようになるとはにわかに信じがたい。

 さらに南へ行き,矢部川にたどりつく手前には新しく公園が建設されている途中だ。

(2009年3月12日撮影)

 サッカーの練習が丁度行われていた。
 新幹線駅開業に向けての動きのようだ。
 先述の男の子も服装から判断するとこの公園に行っていたのかもしれない。

 公園端を在来線が通っている。

(2009年3月12日撮影)

 古くからありそうな橋の上を列車が通っていく。

 公園の男子トイレ。
 扉に鍵がかかるようになっていたので,大便器のみがあると思うと・・・


(2009年3月12日撮影)

 中には小便器が一つあるのみだった。
 広々としたトイレだが,何か意図があるのだろうか?スポーツの試合などで大人数が使うことを考えたら,小便器の数を増やした方が得策だとは思うが・・・

 橋のようなものが見えたので線路沿いに川の方向へ行くと・・・


(2009年3月12日撮影)

 まだ人道橋は架かっていなかった。

 他の橋もまだ工事中で,公園外に出て大きな道路の橋を渡って川の向うのみやま市に行くことになった。相当の遠回りだった。最終的にどこまで橋が整備されるのだろうか?

 その橋の上から建設中の船小屋駅を見る。


(2009年3月12日撮影)

 かなり遠くに見える。一つ前の写真の在来線の橋が見えないことから,先程の地点からはかなり離れていることが分かる。列車を1本遅らせたが,次にも遅れそうな時間になっていた。瀬高駅の場所も大体しか把握していないので,ここから走ることになった。年度末で工事も多く,簡単にはたどり着かなかったが,列車到着5分以上前には駅に着いた。
 この瀬高駅には特急も停車する。羽犬塚も同様だ。そう考えると2つの特急停車駅の中間に新幹線駅ができるのもどちらかに極端に寄るよりは平等なのかもしれない。
 それでも,新船小屋駅(仮)が政治家MK氏の影響が全くないとは思えない。

 このような場所への新幹線駅の建設には失敗例だけでなく,成功例もあるようなので,開業後どちらになるのか楽しみだ。