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時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(No.105) 緑地帯の園路

2009年03月08日 07時30分39秒 | 過去になる現在

 秘密基地の記事でも紹介した秘密基地にしていた木。

(2009年1月26日撮影)

 1km近く続いているグリーンベルトの一番端にある木だ。
 この木のあるグリーンベルト,5つある中で唯一通路が土のままだった。
 他の4つは通路の部分は舗装されている。うち3つは,自分が小学生の頃に舗装工事が行われていた。しかし,ここだけはずっと舗装されないままだった。

 この写真を撮った数日後,緑地帯の中に仮設便所が設置され,その後,ロープなどで封鎖された。
 工事が始まった。名目は「園路のバリアフリー化」。

 1ヶ月ぐらい経った頃,だんだん完成後の姿が見えてきた。


(2009年2月27日撮影)


 他がアスファルト舗装だったのに対して,照り返しに配慮した舗装になっている。

 まだ,工事中であるが,これでこの地区のグリーンベルトの園路はすべて舗装された。でこぼこした土の園路ではバリアフリーが十分になされているとはいえないのだろうが,土や草を踏みながら歩く感触が好きだったので少し残念であった。

(No.104) 最後の高校入試

2009年03月06日 04時12分43秒 | 過去になる現在
鹿児島県の公立高校の入試が昨日からスタートした。
鹿児島市にある西高校。

(2009年3月5日撮影)

 試験が始まって2時間ぐらいが経過した時の校門前。

 この西高校と郡山にある甲陵高校が再編されて来年度から甲陵高校の位置に新設校が開設される。そして,2012年度には両校は閉校となる予定だ。
 そのため,今回の入試がそれぞれの高校にとって最後の入試となる。

 西高校周辺には工業高校,女子高校もあり,このあたりは高校の密集地になっていた。新設校の位置を検討する際も高校の配置バランスのも考慮されたようだ。
 
 最近の鹿児島市内でははじめての統合だが,県内の他の地域では高校の再編がすでに行われていた。新設校のほとんどが斬新な名前の高校になっている。
 鹿児島市には「東・西・南」の名前の高校があった。西高校の名前がなくなることで「東・南」が残ることになるだろう。新設校が鹿児島北でもよさそうな位置ではあるが,最近の名前の付け方を考えるとそれはなさそうだ。
 少子化が進む今後,高校の数はさらに減っていきそうだ。

(No.101) 夕刊休刊

2009年02月28日 22時56分49秒 | 過去になる現在
 今日で,75年間続いていた地元紙の夕刊の発行が休刊となった。
 広告収入や発行部数の減少が要因だという。
 以前,夕刊を取っていたことがあったが,見ているのはほとんど家族だった。たまに見ることがあっても,見るのはニュースとテレビ欄だけで,その他のコーナーは軽く目を通して,興味が持てたらという感じだった。
 休刊前の地元の番組のコーナーでは夕刊の編集者の夕刊への想いを紹介するコーナーもあった。朝刊にはない地元の生活に密着したコーナーを設けていたそうだ。以前,興味を持って読んでいた記事が特集中に出されており,その記事もそのような意図で書かれていたのだと分かった。

 夕刊休刊にあたって企画された最後の夕刊の印刷を地元紙本社へ見学に行った。
 その場で刷りたての夕刊をもらうことができた。
 また,夕刊の地元特集のコーナーの記事もいくつか展示されていたが,その中に自分が欲しいと思っていた情報も載っていた。
 夕刊の特徴についてあまり考えたことはなかったため,それを見直す機会にもなった。明日からなくなると思うと本当にさびしい。

(No.94) 懐かしい自販機

2009年02月21日 23時59分09秒 | 過去になる現在
唐湊で見かけた自動販売機


(2007年8月7日撮影)


 そこそこ前までの主流だった型の自動販売機だ。
 商品をアップで見てみる。


(2007年8月7日撮影)


 商品も今は見なくなったものが多い。
 背景の外国の山と町のような画像もなつかしい。
 この自販機,だいぶ前から使うことはできなかったが,長い間撤去されることなく置いてあった。
 しかし,この写真を撮って数ヵ月後に撤去されてしまった。

 先日,緑ヶ丘の交番近くで同じような自動販売機を見つけた。


(2009年2月18日撮影)


 現役ではなさそうだが,商品は先ほどのものよりも古くは感じない。
 しかも,1Lペットボトルについては,値段には「保証金30円を含む」と書かれ,空ビン(ママ)をもって来れば引き換えてくれるとある。結構最近まで使われていたのかもしれない。

 昨年,9月に熊本を訪ねたときに見かけた自販機は,現役のようだった。


(2008年9月10日撮影)

 ボタンに書かれている値段をテープを貼って修正したような跡もある。


 ここまでは,某飲料会社の自販機だったが他のものもある。

 交通局の食堂(一般人も入ることができる)には,こんな自販機があった。


(2009年2月16日撮影)


 お金を入れて商品の番号を押すと,リフトのようなものが出てきて飲み物を低い位置まで運んでから,取り出し口に落とす仕組みだ。

 県文化センター(宝山ホールというべきか?)4階の博物館の分室のようなところには昔からあるお菓子の自販機が残っている。


(2009年2月20日撮影)

 番号を押すとクリップが倒れて,お菓子が落ちてくる仕組みだったように思う。

 こうした自動販売機も,そのうち突然見られなくなるかもしれない。

(No.87) 市営プール

2009年02月14日 08時03分46秒 | 過去になる現在
 鴨池にある市営プール。

(2008年12月12日撮影)


 施設の老朽化により,今年から改築が始まるようだ。

 計画書によると,改築にともなってこの国道に面した入口も使われなくなるようだ。

 入口は丁度反対側の今,池がある位置に移るようだ。


(2008年12月19日撮影)

 奥に見えるのが市営プールの屋内プールの建物だ。
 この池ももともとは噴水で水も透明だった。
 その名残もまだ残っている。
 今は学校の観察池のような感じになっている。
 
 この噴水と青少年ホームの間には十分な空間がある。
 市営プールの入口が変わることで,この周辺も変化しそうだ。

(No.76) 【西駅2】 地下通路

2009年02月03日 04時05分06秒 | 過去になる現在
【西駅】の記事

1 今なお残る「西駅」の名(65)
2 地下通路(76)
3 0番ホーム(161)
4 幅の狭まる開かずの間(423)


今は増床部の建設のために,封鎖されているアミュプラザの駅西口側の入口。


(2008年11月7日撮影)


 今はエレベータで地下へ下ることになるが,少し前までは階段があった。


(2008年11月7日撮影)


 階段を下ると地下通路を通ってアミュプラザへつながる。


(2008年11月7日撮影)


 この地下通路をAMUができて間もない頃に,通ったとき,以前通ったことがあるような場所に感じていた。

 

 通路の横のガラス張りになっている部分の配置,階段の形。

 しかも,出来立ての施設の床としては何か古い。


 そんなことを考えているうちに思い出したのが,旧西駅舎の改札からホームに行くために通っていた地下通路だった。

 おそらく,ガラス張りの部分は,地上のホームに昇るための階段があった場所のような気がする。

 地下と地上の関係は分からないが,地上のホームにも階段の出口の痕跡と思われるものがある。


(2007年3月30日撮影)


 この場所へも,今は工事のために行くことができなくなった。


(2008年12月1日撮影)


 奥の出口の階段は西口の小さな駅舎につながっていた。
 今は面影もないが,その西口の駅舎にカレーやか何かがあって,列車の待合時刻に利用していたことを記憶している。

 今は,ホームやそれぞれの入口へは駅舎内の2階を通って渡っている。


(2008年12月1日撮影)


 改札が2階にでき,必要のなくなった地下通路。
 その通路が別の目的で再利用されていたことに懐かしさを感じた。
 しかし,その昔の面影を残していた姿もまた変わろうとしている。

(No.68) 藤誰俺岡阪奈鹿熊・・・

2009年01月26日 08時26分16秒 | 過去になる現在
 タイトルの漢字が何か分かるだろうか?

 最初の3字を除くと,いずれも都道府県名に使われている漢字という点で共通している。


 しかし,この漢字の列はここで終わりではなく,まだ続いている。続きを以下に載せる。


頃 韓 弥 斬 虎 狙 脇 尻 叩 闇 籠 呂
亀 頬 膝 鶴 匂 嘘 須 噂 濡 笠 嬉 股
眉 朋 覗 鎌 凄 撫 溜 謎 稽 曾



 これらの漢字の共通点は分かっただろうか?



 これらの漢字が話題になったのは少し前で,最近はあまり取り上げられていないように思う。
 これらの漢字は,法令,公用文書,新聞,放送など一般の社会生活で現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安とされている「常用漢字」に新たに追加されることが検討されている220字のうち,基本的に加える方針のSランクに分類された42字だ。以下,基本的に残すが不要なものは落とす方針のAランク150字,特に必要な漢字だけを拾う方針のBランク27字,そしてその下にCランクが1字(綬のみ)ある。

 1981年に1945字の漢字が常用漢字として指定されて以来の改訂となる。改訂の理由はIT化などによる漢字環境の変化だという。逆に銑(せん),錘(すい),勺(しゃく),斤(きん),匁(もんめ),脹(ちょう)の6字は現在は常用漢字であるが,ほとんど使われないために今後外される方針であるようだ。


 さて,最初に挙げたSランクの漢字の中にも,常用漢字として扱うことにもめた漢字がいくつかある。

 その一つが「俺」という漢字だ。

 もめた理由は,俺という言葉が同等以下の身分のものに対して使う一人称であるために,法令,公用文書,新聞,放送など一般の社会生活では必要ないためとするものなどがある。(注:俺という言葉の意味についてはいくつか議論あり)また,できるだけ子どもに使わせたくない言葉であるという理由も聞いたような気がする。

 法令や公文書では俺という言葉を使うことはまずないだろう。しかし,新聞や放送などは決して書き言葉のみで構成されることはなく,話し言葉でも構成されうるメディアである。また,一般の社会生活とあることから日常生活で使うのであれば常用漢字に指定する必要もあるのではないかと思う。もっとも「オレ」というカタカナ表記をすれば,漢字は必要ないが・・・

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注 カテゴリーの「過去になる現在」の内容はおおよそここまでで,以下は作成者の考えを載せた「weblog」の内容に近くなります。勝手な意見というわけでもなく,根拠がないというわけでもないのですが,根拠を明確に示せないので,あくまで参考ということでお願いします。言葉のイメージへの言及もありますが,他にもいい言葉があると思うので,解釈の一例として考えてください。


 では,日常生活で「俺」という言葉はどれくらい使われているだろうか。ある例を参考に考えてみたい。

ある団体の名簿で自分にふさわしいと思う一人称を尋ねる項目があった。一人称を聞かれることなんてまずない。しかし,完成した名簿に対してこの一人称の項目に対しての反応はそれなりにあったようだ。それだけ個性を反映する項目だったといえるのではないだろうか。
 まず,女性は「私」「わたし」のみであり,「あたし」や「(下の名前)」はいなかった。おそらく何の迷いもなく,記入したのだと思う。一方,男性の方は,僕・俺・自分等に分かれていた。
 「自分」という一人称も興味深い。特に音声ではなく,文字として表すので「俺」と書くのも戸惑うし,かといって「僕」と書くのもな~という感覚になると,丁度便利な言葉が「自分」であるのだろう。この自分という一人称,話し言葉でも,俺にも僕にも抵抗がある場合に使い勝手が良い。言葉の持つイメージとして,「僕」は「幼い」「弱い」などのイメージが,「俺」には「かっこいい」「強い」などのイメージがあるように思う。(あくまで個人の意見であり,言葉の持つイメージを言葉でピッタリと表すことは簡単ではないということは分かっているが・・・)

 小学生の発表モデルに「ぼくは○○だと思います」などが挙げられることから,最初に教えられる一人称は「ぼく」がたいていなのだろう。それが小学校高学年頃になると「俺」へと変化していく。(最近ではもっと早い段階から移行しているかもしれない)そして,中学校の段階では「俺」が多数派になっている。

 大体の男の子が「俺」へ移行していく時期に乗り遅れた場合,「僕」から「俺」に変えるのは意外と大変なものだ。周囲や自分自身のイメージなどとの葛藤を強いられる。その後は,俺に移行できる人もいれば,僕に戻る場合もあれば,どちらにもなれずに自分を使う場合などがあるように思う。頑張って「俺」と言っている人を見ると,本人には申し訳ないが,頑張っているな~(たまにやっぱ違和感があるな)と感じていた。


 しかし,不思議なものである程度年をとってくると,当然「私」への移行もあるが,逆に「僕」に戻る場合もあるようだ。

 一人称が豊富な日本ならではの現象であり,悩みなのかもしれない。

(No.60) 開くべきか閉ざすべきか

2009年01月18日 02時36分33秒 | 過去になる現在
注:カテゴリは「過去になる現在」ですが,厳密には「過去になるかもしれない現在」です。

昨日からある戦いが始まった。
たまたま朝に目が覚めていたので,早朝の戦いの場へと足を運んだ。ブログの更新時間とかを見ても分かるように完全な夜行性なのだが,朝の空気に触れたり,日が昇る前の街並みや雰囲気,朝日が昇る瞬間を見たりするのは気持ちがいい。

 さて,戦いというのはニュースでも取り上げられたセンター試験のことだ。4年前の今頃(1時00分頃)は,2日目に備えて,早く寝ないといけないと分かっていて,布団には入っていたのだが,寝付くことができずに,眠くなるまで,最後の見直しをしていた。眠気を感じて寝ようとしたときに突然嘔吐と下痢が襲い掛かった時間だったと思う。病院へ行き,点滴を受けてから,試験へ臨んだ。何の予兆もなかったことから,急性胃腸炎だったのではないかと言われた。そんな思い出ももう4年前のことになってしまった。
 そのセンター試験会場の早朝の様子だ。


(2009年1月17日6時40分撮影)


(2009年1月17日6時43分撮影)

 会場となった大学の2つの門付近の様子。
 流石に受験生の姿はない。予備校の車が停まっていて,忙しそうに横断幕をつけていた。
 この横断幕をつけていた予備校職員のせわしげな様子を別の場所でも見ることとなった。
 その場所がここ。

(2009年1月17日7時11分撮影)

 警備員が打ち合わせをしていた。
 横断幕が写真左に見える。横断幕はぜんぜんさりげなくないし・・・
 勝ち方がどうかはわからないけど・・・
 この予備校も最近は小・中学生まで指導範囲を広げている。
 


 この試験会場は,玉龍中であり,小学生の戦いの場だ。適性検査はかなり難しく,大人でも(大人だから)できないものもある。

 例年は中学入試はセンター試験の1週間前にあるのだが,今年は同じ週になった。翌日は附属中の試験。その附中を設置している大学はセンター試験の会場で,数年前は附属中の校舎までセンターで使ったことがあるのに場所の確保が大丈夫なのかと思う。工事中の学部もあるし・・・とにかく,今日(18日)の大学近辺は高校生,小学生と引率者,保護者であふれそうだ。

 その後,再びセンター試験会場の脇を通った。先ほどと同じ場所の写真。


(2009年1月17日8時50分撮影)



(2009年1月17日8時48分撮影)


 受験生はほぼ入室完了していなければならない時刻で,遅れてきている生徒以外は見なかった。
 予備校職員が退散をし始めていた。
 その他,地域住民など受験に関係がなさそうな人の姿も見られた。
 予備校職員は挨拶運動のように誰にでも挨拶をしていた。

 さて,前振りがかなり長くなったが,タイトルにある本題を考えたい。
 
 8時50分の大学の門の写真と最近起こった事件との関わりだ。
 この写真の日は入試の日で特別な日ではある。
 しかし,普段も入口に警備員(主に自動車進入ゲートの管理)が数人立っているだけで自由に立ち入ることができる。もちろん,自動車以外の場合は何のチェックもない。誰でも無断で入ることが可能だ。しかも,入口を完全にふさぐ門扉がないので,完全に閉鎖されることもない。
 先日の中央大学での事件を受けて,今後大学構内への立ち入りの規制が検討されるかもしれない。しかし,小さな町村の人口ぐらいいる学生の学生証をいちいちチェックするわけにもいかないし,そもそも大学は地域に貢献する役割を持っている。地域との関わりが大切な中で,地域とのつながりを絶つようなことはできまい。
 小中学校では,池田小の事件を受けて,門が閉ざされることになり,附属小・中では警備員も置かれるようになった。
 大学の場合は,どうなるのだろうか?今後の対応が楽しみでもある。

(No.59) 高麗橋~中郡~紫原~桜ヶ丘

2009年01月17日 00時00分11秒 | 過去になる現在
郡元墓地の端の方から崖の下の方を眺めてみた。


(2008年11月25日撮影)


別の方向から。

(2008年11月25日撮影)


 家が壊され更地になっている土地と高架橋の脚のようなものが見えるが,ここに陸橋ができる予定になっている。
 これが完成することにより高麗橋~中郡~紫原~桜ヶ丘が一本の大きな道路により結ばれる。
 だいぶ家が壊された状況においてもどのように道路ができるのかまだ見当がつかない。 


(2008年11月25日撮影)

 陸橋が完成すると,JRの線路を踏切で越える必要がなくなる。
 この踏切,下り列車は郡元駅停車中も遮断機が降りる上に,車の通行量も多いので渋滞の原因となっていた。
 この踏切から電車通りの方へ向かうとこの陸橋への入口ができるであろう交差点(中郡電停)に着く。そこから陸橋の方を見てみる。


(2008年11月25日撮影)

 現在は幅の広い歩道になっているが,ここが将来的に道路になるのだろう。

 となると,正面に見える建物が邪魔になる。

 この建物の店は土地区画による移転を粘っているのだろう。
 周りの家はほとんど移転してしまい,すでに陸橋の脚が立っている。
 この店もいつまで持つのだろうか?




(2008年11月27日撮影)

 完成後は旧道となる道を登っていき,紫原の少し手前のカーブ。
 
 斜面がコンクリートで固められている。

 ここも2年前はまだこんな感じだった。


(2006年9月8日撮影)

 同じ場所を上から見たものなので印象が異なるが,すぐ下に見える道路の幅が広がり,手前のもともと家のあった場所の段がなくなっている。

 この道も幅がせまく,カーブも多いわりに通行量はかなり多い。
 陸橋の完成により渋滞も緩和し,通行人もより安全に歩けるようになるだろう。

(No.44) 越

2008年12月12日 09時28分39秒 | 過去になる現在
今年の8月,ここで高校3年のクラスの同窓会が開かれた。

店の前に来た時にこの写真を撮った。


(2008年8月29日撮影)

集合場所へいくと,先に来ていた同級生に写真を撮っているのを見られていたことが判明。


その時,同級生から言われた言葉。


「何,撮ってるの?」


そんなに珍しい場所ではないのでそれを聞かれるのは当然だろう。


撮った理由を聞かれたら,「何か違和感があったから」としか言いようがない。


その違和感の正体。 


アーケードの屋根が取り払われていることだ。


かつてここのいづろバス停は何度も利用したことがあったので,屋根があるのに慣れていたため,異常にすっきりした感じがしたのだろう。

 この店のビアガーデンで飲み会をしたのだが,(また来たいと思ったかどうかは別にして)この店で来年以降,会を開くことができなくなると誰が予想しただろうか?

 1ヶ月後の9月末,三越が鹿児島店を2009年5月6日をもって閉鎖することを発表した。

 突然の発表に驚いた。天文館から絶対に消えることのないと思っていたデパートがなくなる。すぐには実感が湧かなかった。大会社でも人員の大幅削減を発表している金融危機後の今の状況の前触れだったのかもしれないなどとも考えた。
 

 それから2ヶ月経った11月,あと少しで閉店となる三越へ足を運んでみた。
 
 先ほどの写真と同じ場所。


(2008年11月28日撮影)

 上のアーケードがほぼ完成している。もともと屋根がある場所だったので,元に戻ったという印象を受けた。
 
 店内を最近まともに見て回ったことがなかったので,少し見ていくことにした。

 エスカレーターへの移動のために,婦人服売り場といういかにも場違いな箇所を通ったが,店員の方々は丁寧に「いらっしゃいませ」と声をかけてくれた。

 ほぼ全て回ったが自分が用がありそうな店舗はあまりなかった。

 それでもこのデパートがなくなると言う現実がさびしい。

 途中会の登り降りに使用した階段が風格があった。


(2008年11月28日撮影)

 先代の丸屋の時代からあったのだろうか?

 屋上に観覧車があった時代もあると聞く。
 
 今後どうなるかはまだはっきりしていないようだが,長い間続いてきたものが終わろうとしている。

 そして,2008年12月。いづろ商店街のアーケードが完成した。


(2008年12月7日撮影)

 記念に商品券などが当たる抽選が行なわれていた。
 もちろん,三越も参加している。
 新しい商店街が築かれていく中で,歴史のある店が去っていく。
 本来ならアーケードができてお祝いムードであろうが,素直に喜べない部分もあるように感じる。